10 ケサルの再来とシャンバラ伝説   A・ダヴィッド=ネール (宮本神酒男訳)

 ケサル王物語にはさまざまな予言が接合されている。それは来たるブッダの再臨と関連づけられるものである。それらはすべてケサルの帰還を新しい時代の先駆けとみなしている。このときの役割がどんなものであるのか、はっきりと規定されていないが、現在の地上にある正義よりも、もっと厳格な正義がもたらされるはずである。

 期待されるケサルは、勇猛なる戦士としての役割を演じ続けるだろう。彼が戦う目的は、宗教的というより、社会的なものだろう。それを彼は超常的な力によって得るのだ。ケサルの帰還というテーマに関して私が話すことができるのは、おなじ確信である。すなわち彼は辱められたアジアの力を取り戻し、白人を駆逐するのである。しかし奇妙なことに、こうした希望を熱く語る人々の大半がアジアの地理の知識を持たず、白人を見たことすらないのである。

 アジアという言葉を彼らは使ったことがないが、それは彼らチベット人にとって第一に自分たちの国、つまり「宗教の国」のことである。ついで中国、インド、ネパール、モンゴル、そして北方には神秘的なオロソス(シベリアのロシア人)の国がある。

 彼らにとって白人は侮りがたい存在で、インドを統治する邪悪なピリンパ(外国人)だった。彼らは中国の上にも君臨し、ダライラマには彼の臣民から税を徴収するよう強要した。

 ロシア人に関して言えば、白人として憎むべき存在ではあるが、彼らの行動はそれほど明瞭ではない。敵とはさほど見られていないのだ。彼らは白人ではあるが、本当におなじピリンパの種族なのか? この点では疑問があった。しかしつぎのようなことが知られていた。

ソグポ(モンゴル人)の国の向こう、ずっと北方に、白人でない人々が住んでいた。彼らはラマであり、ナンパ(内側の人、つまり仏教を信仰する人々)であり、ケサルに従う人々だった。

 とりとめのないこのような諸説の下に、この種の考えを楽しみ、それに熱中する人々の精神状態を発見するのは、興味深く、もしかすると有用なことかもしれない。

 チャン・シャンバラ(北方の神秘的な国。静寂の国)は、ケサル帰還の予言において重要な位置を占めているのだ。

 シャンバラとは町や国の名前だろうか。それはありえるが、証拠らしい証拠はない。

 尊敬すべき日本の河口慧海は30年以上前、ラサにしばらく滞在したとき、シャンバラ伝説の発生源は黄帽派(ゲルク派)のラマだと考えた。彼は、シャンバラがある場所はカシミールと推定し、世界を征服するべき王子がそこから現れ、世界の盟主となって仏法を世界に広めるだろうと述べた。

 おなじインフォーマントによる情報だが、のちにツァーの政治的密使としてチベットに派遣されたシベリアのラマ、ドルジェフが、チベットにおけるロシアの影響を強めるために、巧みにこの予言を利用し、シベリアこそがチャン・シャンバラであると宣言した。

(*[訳注]このあたりのことはAndrei Znamenskiの『赤いシャンバラ』(2011)が非常に詳しい)

 チベット人がシャンバラの位置をカシミールと考えたと仮定したとしても(個人的には疑わしいと思う。なぜならチャンは北方を意味するのに、カシミールはチベットの南にあるのだから)、のちに、このミステリアスな国、または都市をロシアに移した。しかしこの信仰もまたなくなってしまったようである。

シャンバラが北方、おそらくロシアの近く、しかしロシアではない、白人の国オロソスに、シャンバラと呼ばれる島があると主張する人々(外国人が考えるほど多くはない)もいる。

 旅の間に、私は3人のボン・ナク(黒ボン教徒)の呪術師と会ったことがある。彼らは数週間私のテントの近くに野営していたので、話す機会があった。彼らによれば、同宗主義者(おそらくリメのこと)は、北方の静寂の国に関する古代の伝統が代々伝えられてきたことを認識しているのだという。シャンバラの起源はチベットの原始宗教ボン教の民間伝説のなかに探し求めるべきなのかもしれない。

 一方で、シャンバラに関するチベット人の信仰の起源が、簡単に説明できるかもしれない。古代において、インド人は「永遠の至福の国」を信仰していた。彼らはそれをウッタラ・クル、「クル人の北方の地」と呼んだ。

 宗教的書物や多くの伝統などじつにさまざまなものを、チベット人はインドから借りてきた。このシャンバラ伝説という伝統も、またインドから輸入したのかもしれない。この事実は、しかし、チベットにすでに存在した伝説と混合したという可能性を排除するものではない。

 シャンバラを神秘的な概念だと主張するラマもいる。彼らのお決まりのフレーズは「シャンバラはあなたの心の中にある」である。

 北方は、神秘主義的な方角である。「精神的覚醒を得た人々(ブラフマーを知っている人々)は、太陽が北にある6か月の間、この世界を去り、戻って来ない」とヒンドゥー教徒は言う。

 またチベットの秘教的教義の師匠たちは「北方の道」がヨーガ行者を至上の解放へと導くと教える。

 スピリチュアルなシャンバラのほうが現世的なシャンバラよりも興味深いかもしれないが、テーマから離れてしまうので、道草は食わないことにしよう。

 ケサル帰還に関する予言のすべてがシャンバラに言及しているわけではないことを、留意しなければならない。それらの多くは、ケサルがふたたび生まれる場所に名前を与えていないし、前世の軍隊の戦士たちをどこに集めるか明確にしていないのだ。しかしそれが北方、モンゴルやトルキスタン、シベリアのどこかであることは間違いない。

 人によっては、予言の一部はすでに実現したと考えている。チベット人の予言者によると、ケサルと新しい物語の何人かの登場人物はすでに生まれている。英雄の行動のはじまりとする重要なできごとが起きて、すでに15年の時が経過した。

 
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