2 記憶学習型(原文は聞知型) 

 チベット語のトゥドゥン(thos-sgrung)は「聞いて知るケサル詩人」という意味である。彼らはほかの人が説唱するのを聞いたあと、あるいはケサル王物語の本を見たあと、説唱するというタイプだ。人数は比較的多く、過半数を占める。彼らの多くは3、4巻、少なければ1、2巻、極端な例では精彩を放つ場面だけを説唱する。彼らの説唱は記憶してそらんじているのだから、部分的には神授型と同じようなものだ。しかし量的にも少なく、神秘的な色合いはいっさいない。

 彼らはケサル王物語が流伝している地域に生活しているので、常日頃から説唱に接する機会があり、ケサル詩人を模倣するのはむつかしくない。彼らは自分が説唱を聞いて学んだことを隠し立てしない。

 たとえば雲南迪慶州のナグ・ツチェン、和明遠(ゲサン・ドンドゥプ)、ガワン・チュンペらが、他の説唱を聞いて学んだタイプである。

 何人かのケサル詩人はチャムド出身で、雲南デチェン県の太子雪山に巡礼に行っている。これにより、ケサル王物語は雲南にやってきたのである。

 青海省の少なからぬケサル詩人はこのタイプに属する。同仁県(レコン)の盲目の李加、尖扎県の丹正加、貴徳県のケンポ・ツェランらである。

貴南県の有名なサンドゥ・タシは四川のデルゲ地区で出家し、何年も僧院生活を送りながらケサル王物語を学び、還俗したあと故郷に戻り、ケサル詩人としての生活をはじめた。50年代末から60年代はじめにかけて青海省で大規模に「ケサル救済工作」が行われたとき、彼は民間に流伝している物語を集めることに尽力し、この活動におおいに貢献することになった。

 このタイプの少数のケサル詩人は文化的知識を備え、チベット文を解し、ケサル王物語を聞いて理解し、物語が書かれた本を読むこともできた。ただし大部分は字が読めず、記憶に頼っていた。彼らはそれほど豊かではなかったが、説唱を生活の糧とすることはなく、何かほかの生活手段があった。しかし、一部には説唱しながら物乞いをする者もいた。

 青海省ゴロクのツェテン・ギェルは幼い頃両親を亡くし、流浪しながらハラ(マーモット)を獲って暮らしていた。それはもっとも卑しい職業とみなされていた。当時はつねに飢餓と寒さに苦しめられていた。のちにケサル王物語を学習し、見どころのある場面を説唱できるようになり、遊牧民のテントからテントを回って物乞いをするようになったという。彼は聡明だったので、次第にうまく演唱できるようになり、群衆から支持を受けるようになった。こうして説唱が生活の糧となった。

 このタイプのケサル詩人は群衆が愛する箇所をもっともよく知っているといえる。たとえば『天(ラ)リン卜占』『英雄誕生』『競馬称王』『北国降魔』『ホル・リン戦争』などの人気がある晴れやかな場面を好んで演唱する。彼らは群衆に娯楽を供給し、精神生活を保つのに役立っているのである。


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