3 テルトン(埋蔵宝典発掘師)型 

 チベット語のテル・ドゥン(gTer-sgrung)とは、隠された物語を発掘するケサル詩人という意味である。テルトンはニンマ派の用語。ニンマ派はパドマサンバヴァ(蓮華生)が伝えたタントラの教えを尊重している。吐蕃期に著された経典が埋蔵され、その宝蔵(テル)を発掘するのが発掘師(テルトン)である。彼らは前世においてパドマサンバヴァの話を聞き、また加持を受けているので、一般大衆とは異なるという。彼らは他の人が感じ取れないものを感じ取り、他の人が見えないもの(とくに経典)が見えるのである。ニンマ派はケサルをパドマサンバヴァと三宝の化身とみなし、ケサル王物語によって群衆を教化し、(魔を)調伏すると考える。

それゆえ彼らはケサルを信仰し、愛するのだ。そんな彼らのなかにケサル王物語を発掘するテルトンが出現するのは当然の成り行きだった。そのテルトンが発見したのがケサルの埋蔵物語である。

 このタイプのケサル詩人は、人数は多くはないが、ニンマ派が伝播した地域に見られる。四川カンゼ州セルタ県のゲンサン・ニマはニンマ派の世襲のテルトンである。彼が発見して書き写した物語は、カンゼやゴロクで広まり、愛読された。

 ゴロクのノルデが収集した抄本『コンテウラン山羊(ラ)ゾン』は、テルドゥン・ゲンサン・ニマがマミ雪山に巡礼したときに石の中から発見したものだという。それを書き写し、物語は広く知られるようになった。

 このように物の中から発見された場合、ゼ・テル(rdzas-gter)という。一方、意識の中から発見された場合、ゴン・テル(dgongs-gter)という。

 意識から物語を発見するケサル詩人に、まだ若いゴロクのゲレク(?)・ギェルツェンがいる。彼の目録には120巻ものタイトルがリストアップされていた。自分ではすべて書き写せると言っていたが、その後5年間に7巻書き写すだけに終わった。彼はパドマサンバヴァと高弟がのちの人のためにケサル王物語を書き記したのであり、それを発掘できるのはテルトンだけであると主張した。

 宇宙には霊魂があり、それは伝達されるのだろうか。それと人は交流できるものだろうか。答えは永遠に得られないだろう。しかしチベット人は、霊魂は不滅であり、転生するものであると信じているのだ。

 ゲレク・ギェルツェンがマミ雪山に巡礼したとき、たまたま四川から来た活仏と出会った。活仏は一枚の紙を彼に渡し、自分はガワン・シェラブ・ギャツォの転生だと名乗った。このガワン・シェラブ・ギャツォ、正式にはデルウェイ・ガワン・シェラブ・ギャツォは、ゴロクのケサル詩人ガンズの父親である。彼の故郷カチュ高原はケサルが広く流伝している地域だった。伝説によれば、もともとデルウェイ部落は80人の兄弟からはじまっていた。この80人はケサル王物語の80人の英雄の子孫なのである。

 このガワン・シェラブ・ギャツォは当地ではきわめてよく知られたテルトンだった。同時にまた呪術師であり、ケサル詩人でもあった。彼の字はとてもきれいで、決去る王物語をうまく書き写すことができた。

 彼は1000ページ以上に及ぶ『ジャン・リンの戦い』を写した。同時にケサルの祈祷や祭祀の詩文を書き記した。

 テルドゥン(テルトン詩人)はもともとボン教かニンマ派に源があった。この伝統は8、900年も続いているのだが、南派テルトンと北派テルトンのふたつの流派がある。この伝統がいつケサルに影響を与えたのかははっきりしない。現在のところ3人のテルドゥンを調査することができたが、ゴロクとカム以外では発見されていないのだ。これは地域的な独特の現象ととらえるべきかどうか、なお調査研究する必要がある。

 テルドゥンが書き写した写本にはつぎのような特長がある。

 まず、彼らはケサル詩人とは異なる。彼らは手に筆を持たせ、ケサル物語を書くにまかせる。ある人は書き写したあと、その写本を見ながら説唱する。

 その形式は一般の写本とは異なる。それは埋蔵経典(テルマ)と近い。そのなかにはテルツィクという記号(÷に似ている)が用いられる。文章の末尾には「口を閉じる」「秘密を守る」という語句が使われる。

 第三の特長として、文字が優雅で美しく、文語が多いという点があげられる。またそこには大円満(ゾクチェン)が宣揚される。一方物語の筋立ては単純である。物語としては面白みに欠けるのだ。その原因は作者の宗教信仰と文化水準に求められるだろう。



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