ケサル詩人 サンドゥプbSam grub (2)

 サンドゥプは少し大きくなり、祖父が吟ずるケサルの内容を理解することができるようになった。さながら最初の頓悟がなされたかのようだった。高揚し激越した曲調は、正義ある英雄が人民から害を除き、安定した国を建て、幸福を与えるということを強調するためのものだった。そこから崇拝心が生まれ、つまりケサル王を崇拝するようになり、とくに祖父を通じてそれは高まることとなった。祖父と孫はこうして離れがたくなり、サンドゥプは影のように祖父に終日付き従った。それからずっと長い間、ケサル王は薄っぺらなヒーローではなく、豊かな血肉をもった、敬服すべき救世主となるのである。

 祖父ロサン・ゲレクはもともと商売人であったけれど、財をなすことはできず、飄々とした人生を送り、最後は落伍者となったものの、「ロゲ・ノルブ・ツァドゥ」というあだ名をつけられるほどケサル物語を得意とし、この世を去った。サンドゥプはもっとも愛する人を失っただけでなく、もっとも尊敬する人を失ったのであり、その悲しみはかぎりなかった。祖父を失った日々は「塩の入っていないお茶は味がないお茶だ」という格言通りの状態だった。愛がなければケサルはなかった。(文化的に)富をもっていたサンドゥプは「赤貧洗うがごとし」という状態になった。祖父が亡くなってからというもの、押し黙ることが多くなり、楽しむということがなくなった。彼は祖父のことが忘れられず、心の弦をふるわせる旋律と物語ばかりを思い出していた。

 しかしもっと大きな心的打撃を受けるのは、祖父の死後しばらくたってからの晩のことだった。何人かの借金取りが門を越えて家の中に入ってきて、祖父が生前に借りていたお金を返せと父親に迫ってきたのだった。両親がこの家のどこに返す金があるのか、と開きなおると、彼らは家中くまなく見回り、二頭のゾと多少の高価なものとを見つけて持って行った。このことを境に家族は一挙に没落し、サンドゥプがだれかの羊を放牧する仕事を得て、なんとかその日暮らしの生活をつづけた。こうした連続したできごとはサンドゥプの心に癒しがたい傷を植えた。彼は思わずにいられなかった、なぜ悪人はますますつけあがり、善良な年寄りは騙されたりいじめられたりするのだろうかと。これが逆になったらどんなにすばらしい世の中だろうか。サンドゥプは心の中で祈るようにおとなたちの様子を観察し、学んだ。苦難から人々えお救う変幻自在のケサル王がこの世に降臨したらどんなにすばらしいことか。そしてわれわれに温もりと幸福を与えてくれたら!


→ つづく