ケサル詩人　サンドゥプ（bSam grub）伝　（３）

　サンドゥプが１１歳のときのある日、いつものように山の上で羊を放牧していた。チベット北部の天気は子供の顔のようだった。つまりあっという間に変わった。朝早く家を出たときは雲一つない晴天だったのに、正午には黒雲が湧き起こり、篠つく雨が落ちてきた。サンドゥプは羊をかかえて洞窟の傍らの草地に置き、自身は洞窟の中に入って雨をしのいだ。不覚にも彼は洞窟内の岩壁にもたれたまま眠ってしまった。夢の中で借金取り立て人たちとやりあっていると、ケサル王が眼前に現れ、なにも言わずにこの悪漢どもをやっつけてくれた。サンドゥプは感動し、感謝のことばを述べようとするが、口からは何も出てこなかった。すべての力をふりしぼっても、あえぐだけだった。そこで目が覚め、周囲を見回してこれが夢であることがわかった。

　家に戻ったサンドゥプは、頭が重く、足がふらつき、精神は恍惚とした状態にあることを自覚した。夢の中で脳みそが揺さぶられたのかもしれなかった。息子がうつけたようになっているのを父親は見て心配し、ドンフ寺院へ連れて行き、レタン活仏に見てもらった。活仏はサンドゥプを寺院にしばらくとどめることにした。サンドゥプには特別なケアと治療が施された。数日後、彼は完全に回復したが、それから毎晩奇異な夢を見るようになった。あるとき彼は夢の中で自分が活仏のようになり、ケサル物語が書かれた書を見た。物語は物語につながり、十分に面白いものだった。目覚めたとき、ケサル物語の書はまだそこにあるかのようだった。頭の中はケサル物語で満ちていた。

→　つづく