チベットの英雄叙事詩 

ケサル王物語 

34  メルツェ、謀略をめぐらしてジャン三大将軍のひとりを殺すも、自身捕らわれの身となる 

 

 ひとりで塩湖のほとりにやってきたホル出身のリン国将軍シェンパ・メルツェは、ジャン国軍を率いるドゥクデら3人の将軍と出くわした。彼らはいかがわしそうな目で見たので、メルツェのほうから声をかけた。

「わたしはホルの大臣シェンパ・メルツェと申します。われらのクルカル王はリン国の王妃ドゥクモを奪うべくリン国に攻め入りましたが、国王自身が雪山の山頂でリン軍兵士によって殺されてしまいました。120万ものホル兵がそのとき殺されました。わたしメルツェだけが、命からがら逃げ出すことができたのです。そしてジャン国に投降しようと思っていたとき、たまたまユラ王子と出会いました。王子はわたしに1万戸を託し、ジャン兵を率いて先陣を切るようおおせになりました。しかし武器をとっても、われわれのものはリン軍の比ではありません。方策を練らないと、勝利を得るのは不可能です」

「おまえは何を言っておるのだ? 勝利は不可能だと?」とドゥクデは眉をひそめた。「それに王子だと?」

「王子とわたしはともに行動し、怪物の九つの頭を持つ野牛を倒しました。しかしあまりに大きくてふたりではそれを動かすことができません。それでわたしが人を集めることになったのです。いま、説明する時間がありません。王子は怒っているかもしれません」

 ドゥクデ・パルデン・グポはメルツェの話にある程度の道理があると考え、将軍ギャルウェ・トゥカルに、メルツェとともにすぐにそこへ行き、王子を連れてもどってくるように命じた。 

 メルツェとギャルウェ・トゥカルのふたりがムロン地方にさしかかったとき、緑水の緑と同様の緑の鎧(よろい)を着て、緑の旗をさし、青空の青と同様の青い鞍をつけた、青い馬に乗った武将が立ちはだかった。その人は威風堂々として、殺気がみなぎっていた。その馬もまた弦から放たれた矢のごとくであり、闊歩するたびに風が起こった。ギャルウェ・トゥカルは警戒心を最大に強めた。

「メルツェよ、この人は凶悪そうに見えるな。どこから来ただれなのか、メルツェどのはご存知か」

 メルツェはなにも気にしない様子でぞんざいに答えた。

「知っていますよ。リン国の羊飼いでロツェという者です。恐れることはありません。柴刈りをしているだけですから」

「柴刈りをしている羊飼いだと? わしにはそうは見えぬが」

 ギャルウェ・トゥカルはメルツェが言うことを信じなかった。

「テンマとも呼ばれています」

「テンマ? なぜそれを早く言わぬ。テンマなら知らぬ人のいない大英雄ではないか。あんたはなぜ羊飼いなどと言ったのか」

 ギャルウェ・トゥカルは刀を抜き、テンマを殺そうと馬を前に出そうとした。しかしメルツェが押しとどめた。

「ギャルウェ・トゥカルどの、あわてないでください。戦うのなら、わたしが先です。後ろでわたしの戦いぶりを見ていてください」

 ギャルウェ・トゥカルはメルツェに疑惑をもちはじめていたので、自分が押しとどめられたことに怒りを覚えた。彼は左手に持った鞭でメルツェをおさえこみながら、右手でテンマに馬上の戦いを挑もうとした。しかしそのときすでに、テンマは間近にやってきていた。

「これは見ものでありますな! まずおふたりで存分にやってくだされ。わたしは高みの見物といきましょうか」

 頭に血が上ったギャルウェ・トゥカルは、メルツェを押しやってテンマに向かって突っ込もうとした。しかしそのとき突然メルツェの刀がギャルウェ・トゥカルの馬を斬った。馬は痛みのあまり後ろ脚で地面を蹴って飛び上がり、そのはずみでギャルウェ・トゥカルは遠くに投げ飛ばされた。

メルツェはすぐに馬から降りると、地面に倒れているギャルウェ・トゥカルの腰をおさえ、そこにテンマがやってきて、一太刀で彼を斬った。ギャルウェ・トゥカルの首は、熟れた果実のように地面に落ちて転がった。

 テンマとメルツェはギャルウェ・トゥカルの首級をもって、王宮のケサル王と英雄たちのもとにもどってきた。ケサル王は喜び、お茶とお酒をふるまって、功のあったふたりを慰労した。

 メルツェは奮い立った。ジャン国との戦いにおいて、彼は二つめの功を立てたことになった。酒を半分飲むと、彼はケサル王に戦いをはじめるようお願いした。

「シェンパは二つに功を遂げました。ユラ王子を生きたままとらえ、ギャルウェ・トゥカルは殺しました。午後、わたしは塩湖のほとりへ行き、ドゥクデ・パルデン・グポとツァマル・キェルキェをだまし、この3人の大将を滅ぼしましょう。そうすればジャン軍は壊滅状態に陥り、自ら撤退することになるでしょう」

 獅子王ケサルは口を開かなかったが、総監ロンツァ・タゲンはこう言った。

「シェンパ王よ、あなたは二度うまくやってのけたかもしれない。しかしオスの鷹が羽根を広げて天を舞うと、羽根が落ちて人の手にわたるもの。もしもう一度ジャンの本営に行ったなら、敵はあなたをあやしむでしょうな」

 ケサル王は総監の言葉に同意した。

「シェンパ・メルツェよ、ご老体が言っていることはもっともである。もう一度ジャンの陣営に入ったら、こんどはあなたがとらえられてしまうかもしれない」

「国王さまには山のごとき恩があります。国王の事業を完成するためにも、国民によい暮らしをさせるためにも、わたしシェンパ・メルツェは、この身が犠牲になろうともかまわない覚悟をもっています」

 そういうとメルツェは鎧(よろい)を着て馬に乗り、ジャンの本営へと向かった。

 ドゥクデ・パルデン・グポはメルツェがひとりで戻ってきたのを見て、疑いを持った。

「おや、メルツェどの、われらの王子とギャルウェ・トゥカルの姿が見えませぬが。ひとりでお戻りとはいかがされたのでしょうか」

「ギャルウェ・トゥカルとわたしは路上で三つの頭を持つ野牛と出くわし、戦って殺しました。ふたりはまさにその肉を運搬しているところです。ツァマル・キェルキェと10名ほどの兵士に手伝ってもらえば、すぐにでも肉が届くはずです。それからみんなで肉を食べることができます」

 メルツェの説明を聞いたドゥクデ・パルデン・グポは、冷たく笑った。

「メルツェどの、あなたは人をだますのが得意のようですな。だがもうだれがだまされますか! ジャン国のふたりの大将がもどってくるまでは、あなたを帰すわけにはいかないですぞ」

 メルツェはドゥクデ・パルデン・グポに策略が見破られたことがわかり、水晶月刀をふところから抜いたが、顔は鉄のように真っ青だった。

「おまえはいったい何がしたいのだ? そんなもので恐がると思っているのか」

 ツァマル・キェルキェはメルツェの手の動きを注視し、ドゥクデ将軍に目で合図しながら言った。

「シェンパよ、まあそんなに怒りなさるな。王子とギャルウェ・トゥカルがもどってくるまでここで待てばいい。もしあなたの話が真実なら、それから出て行っても遅くはないだろう。ドゥクデ大臣もすこし気を静めたほうがいい。シェンパもどうか大目に見てやってください」

 メルツェは危険に身をさらしているが、彼らが自分にたいして武力に訴えることはないだろうと考えた。ツァマル・キェルキェの言葉を聞いて彼は刀をおさめ、敷物の上に坐った。しかしそれと同時にドゥクデとツァマルは彼にとびかかった。メルツェは抵抗することなく、捕らえられた。

 


⇒ つぎ 












ジャンの三大将軍のひとりギャルウェ・トゥカル 



ジャンの三大将軍のひとりドゥクデ・パルデン・グポ