チベットの英雄叙事詩 

ケサル王物語 

41  トトン、大国タジクの名馬を盗む。タジク軍、出兵の準備 

 

 世界獅子王ケサルがモン国のシンティ王を倒し、四方の魔王征服を成就してから3年の月日が流れた。ケサルの義兄であり、大英雄といわれた今は亡きギャツァの息子ダラが成長し、少年英雄と呼ばれるまでになった。総監ロンツァ・タゲンとトトンは70歳を超える老人になっていた。

 五月一日、タクロン部落の長トトンは、白檀の宝座に横になってくつろぎ、酒を飲み、肉を食べながらさまざまなことに思いをめぐらした。

「妻のテンサもだいぶババアになってしまったなあ。ふたりの妃もまだまだ美人ではあるが、わしの好みというわけでもない。歯のない人が麦こがしを食べるようなもので、痛いだけだ。聞くところによると、大きくなったテンマ将軍の娘が世にも美しく、従順だという。この娘を嫁にできたら言うことないな。だがテンマが賛同してくれるかどうかはわからん。わしの年長のふたりの妃も賛同してくれるかどうかは何とも言えんな。いや、このふたりが賛同するかどうかなどどうでもよい。肝心なのは、テンマが娘をわしに嫁がせてくれるかどうかだ」

 トトンは美しい娘が自分の妻になった姿を想像して酔いしれた。彼は肉のかたまりを頬張りながら虚空にトロンとした目ざしを向けつつ、どうやったらテンマにその気にさせるか考えていた。

 お碗の酒をグイと飲み干すと、言い考えが浮かんだ。ケサルとダラ王子がもっとも愛する大臣はテンマである。もしケサル王自身が仲立ちをするなら、テンマは文句が言えまい。これには王と王子も喜んでくれるだろう。でもどうやって? そうだ、王子が乗っていた馬はモン国との戦いのときに死んでしまい、いまだに新しい馬を選んでいないはず。わしは千頭の良馬をもっているが、王子に献じるにふさわしい馬となると一頭もいないのが現状だ。

 だが聞くところによると、西方のタジク国には「青色追風」という名馬があるとのこと。この馬は大鵬の卵から生まれるといい、耳に柔(やわ)毛があり、四つの蹄にも綿毛が生えているのが目印になっている。そして一瞬の間に南贍部(なんせんぶ)洲を一周することができるという。もしこの馬をダラ王子に贈ったらどんなに喜ぶだろうか。ケサル王も当然喜んでくれるだろう。そして父子(おそらくダラ王子は養子)がテンマに婚姻について話してくれるだろう。

 トトンは次第に想像していることが現実になったかのように思い始めた。もうテンマの娘が自分のものになったかのように錯覚した。

 トトンの密命を受けたトゥグゴとケノ、レブレの3人の家臣が、宝馬を盗む目的で、タジクへ派遣された。3人は寄り道することなくまっすぐ進み、十日目にタジクに達した。

 そこで120人の内大臣、120人の外大臣、120人の騎士を連れて、威風堂々と山々を巡っているタジク国王と遭遇した。彼らは競馬やアーチェリー、レスリングなどをおこなって武勇の腕を競っていた。

 聞きまわったり、探し回ったりする必要はなかった。タクロン部落から来た3人の馬泥棒は、タジク王の王座のすぐ下に青い駿馬を見つけることができた。それらは蹄を地につけることなく、飛ぶがごとくに走ったのである。彼らは日が暮れるのを待って馬がつながれた場所に行った。

しかし7頭の馬がよく似ていて区別がつかなかった。乗ればわかるかもしれなかったが、盗人にその機会はなかった。仕方なく月光のもと、3人は近づいてくわしく馬を見た。その結果、一匹の馬がやや小さめで、耳が尖っていて柔毛が緻密に生えていることがわかった。これが「青色追風」に違いなかった。ほかのふたりもそれぞれいい馬を選び、この3頭に乗って、安心した彼らは中国経由で国に戻っていった。

 タジクの宝馬を見守る人はいなかったのだろうか。盗人の思いのままだったのだろうか。もちろんそんなことはない。トトンが宝馬を盗むため、馬の担当大臣に呪術をかけていたのだ。迷魂帽子をかぶっていた大臣は、盗まれた日の翌日の午後になるまで宝馬が盗まれたことに気づかなかったのである。

大臣トンチラグはようやく迷妄の霧のなかから出てきた。3頭の「青色追風」の馬が盗まれ、残った4頭の馬はヒンヒンと鳴き、脚をばたばたとさせ、不安でいっぱいそうだった。

 大臣トンチラグは頭のないハエのように周囲の壁を叩きまくった。馬がいないということは、山のほうに逃げてしまったのか。それとも馬泥棒に盗まれてしまったのか。自分なりに一生懸命働いてきて、いままで間違いをしでかしたこともないのに、どうして今日にかぎっていなくなってしまったのだろうか。その理由はわからないが、馬がいなくなってしまったことだけはたしかである。

 しばらくして、中国へ向かう道に足跡が残っていることがわかった。大臣トンチラグは機嫌がよくなかった。ともかく彼は300人の兵士をつれて、そのあとをたどることにした。ナンチパマ地方に達したとき、隊商と遭遇した。トンチラグは先回りして隊商の前に出て、たずねた。

「おい、商人ども、おまえらはどこから来た? どこへ行こうとしている? 馬泥棒が逃げていくのを見なかったか? 3頭の馬はだいたいどれもおなじような毛の色をしているのだが、そのうちの1頭は青色追風馬と呼ばれ、国王御用達の馬なのだ。もし有力な情報を与えてくれるなら金や銀を差し上げよう。もし逆に隠し立てするようなことがあったら、そのときは……」

 大臣トンチラグは後ろに控えている300人の兵士を指した。

「おまえたちの筋(すじ)はえぐりだされ、皮ははがされることになるだろう」

 トンチラグが本気で怒っているのを見て、隊商の首領はあわてて馬から降りた。そして大臣に七色の贈り物を渡しながら言った。

「わたしはラダックの国王でございます。ここに来ましたのは西方のタジク国の財宝王に謁見するためです。馬泥棒とやらには出会っておりませぬ。

ことわざにも言います。あわてずゆっくりと進めたほうが願いはかなう。落ち着いてしっかりと話したほうがわかりやすい。馬も速度を出しすぎないほうが勝利に近い、と。

 でも大臣どのはことを急ぎすぎておられます。まるでわたしどもに嫌疑でもかかっているかのようではありませんか。わたしは馬泥棒とやらは見ておりませぬが、占いをすることはできます。いかがでしょうか」

 トンチラグはこの自称ラダック国王の商人を信用していなかったが、占いをすることは同意した。ラダック国王はトンチラグの靴のひもを抜き取り、自分の懐から占い用の肩甲骨を取り出すと、それに3つの道ができるように巻いて、火の中に放って焼いた。それから肩甲骨を拾い上げ、子細に見てからラダック国王は言った。

「おやまあ、あなたの馬は、人に見えない帽子をかぶり、人に見えない靴をはき、鳥のように飛ぶことができる3人といっしょに太陽が昇る方向に向かっていますな」

 トンチラグと300人の兵士たちは占いの結果を聞いて、たがいに顔を見合わせ、どうすべきか言いあった。馬泥棒を追うべきだと主張する者もいたが、この3人を恐れる者もいた。結局、ひとまずタジク国に帰国し、国王に報告しようということになった。

 その頃タジク国王も宝馬がどこへ行ったかを占わせていた。女占い師タクセ・レナは弓の上に13本の矢を置き、花縄を用い、さらに48個のトルコ石をサイコロとして転がして占った。神憑かった彼女は言った。

「東方にふたつの川が交わる場所があります。赤い崖の下に長い矛に似た岩があり、そこに角のような城があります。馬はそのなかにいます」

 タジク王セチニマはすべてがあきらかになった。リン国の泥棒が馬を盗んでいったのだ。怒りを抑えきれずに彼は心の中で考えた。

「タジク王であるおれにかなうやつはいない。上はインドから下は中国まで、タジクの領域を侵犯しようと試みたなんて話は聞いたことがない。領土のなかにいれば絶対安全だ。そんなおれの宝馬を東方のケサル王はなぜ盗んだのだ? 青色追風馬はもとガルダ(大鵬)の子どもだ。大王のもとにあると運命づけられた尊い馬なのだ。それはタジク国の財宝の象徴でもある。それはかけがえのない価値があるのだ。もし取り戻せなかったら、大王である自分は屍(しかばね)同様ではないか」

 セチニマはカッと目を見開き、青色追風馬を奪回するために軍隊を出すことにきめた。

 タジク王の隣に座っていた大臣のシェセ・ラブランはこの決断に待ったをかけた。彼はおもむろに身を起こし、できるだけカドの立たない口調で王にたいして言った。

「大王さま、ことわざにも言います。すぐれた師匠はいつも凡庸な僧に中傷されるもの。官吏の靴ひもはいつも下僕に引っ張られるもの。白檀の木はいつも棘の木に邪魔されるもの、と。われわれの宝馬を盗んだのがリン国人とはとうてい思えません。ですから、まずだれかを派遣してよく調べるべきでしょう。もしリン国が盗んだということになれば、そのときあらためて軍を出せばいいのです」

 ほかの大臣たちも賛同し、セチニマ王も同意した。

 翌日、内大臣シェカル・テンパと馬担当大臣トンチラグのふたりは、ボロボロの衣を着て、破れた靴をはき、乞食に化けて東へ向かった。

 十一日目の正午、彼らはリンの中央部に到達した。彼らは草の多い丘の上で老人と若者のふたりの遊牧民と会った。彼らは草地に座ってお茶を飲んでいた。トンチラグらふたりは遊牧民に近づいて、物乞いした。遊牧民はいっしょにお茶を飲むように彼らをさそって、言った。

「物乞いするのなら、いまいちばんいい場所は谷間の向こうのトトンのうちだよ。このかたは、太陽が山に沈むときに虹を見て、カッコウが飛び去るときに城を出て、人が年取って死のうというとき妻をめとるんだ。あのかたはリンの国内にいない尊い馬をダラ王子に贈ったので、王子はテンマ将軍の娘を娶ることをお認めになったんだ。今日まさに結婚の宴が催されると聞いたよ。リン国中の人がこの屋敷に集まってくるはずだ。あんたがたふたりも宴に行くといいよ。たらふく食べられよ、きっと」

 大臣トンチラグらふたりはトトンが馬を王子に献じたということを聞いて、心中おおいに喜んだ。互いに目配せすると、シェカルが5枚の金貨を出し、老人の遊牧民に馬を献上した話について知っていることすべてを話すよう求めた。

 この馬が青色追風であるのはまちがいなかった。このお忍び旅行は早くもその目的を達成したことになった。彼らは遊牧民のふたりに礼を言って、悠々とリン国のタクロン部落周辺の様子を探ってからタジク国への帰途に就いた。

 9日目の朝にはタジク国に着いた。彼らはすぐ王宮に入り、セチニマ王に報告した。

「牧草地に羊が散らばっているとすれば、それは山の悪しきオオカミたちのせいです。野生の馬が傷ついているなら、それは林のまだら模様の虎のせいです。盗まれた駿馬がいるなら、それはリン国のトトン王のせいです」

 セチニマ王は冷ややかに笑い、タジク軍の各部隊に出兵の準備を命じた。タジク国はもともと豊かな国であり、兵力は強大で、武器もすぐれていた。彼らの兵馬は他国を寄せ付けない傑出した雰囲気があった。

 

赤い人が赤い馬に乗る、きらめく光 

まるで火神が赤い炎の舞を舞うかのよう 

青い人が青い馬に乗る、きらめく光 

まるで湖のさかまく波のよう 

白い人が白い馬に乗る、きらめく光 

まるで雪原を進む竜の群れのよう 

黒い人が黒い馬に乗る、きらめく光 

まるで流れる黒雲のよう 

 

 さらには各首領のが率いる百戸、千戸、万戸部落の部隊も、蜂の群れのように集まり、リン国めざして進み始めた。


⇒ つぎ 



大国タジク 

 ケサル王が君臨するリン国を囲む4つの魔国、北の魔国、ホル国、ジャン国、モン国は実在するどの国がモデルか、それほどはっきりしない。ジャン国のモデルがナシ族の国であろうとほぼ確定できるだけである。

 しかしその外側にある大国になると、明確になる。ギャナ(中国)、ギャガル(インド)、ソグポ(モンゴル)はチベット語の意味する通りだ。

 もうひとつ確定できるのが、このタシク(タジク)である。「Ta zig」という綴りがおそらく正しいのだろうが、通常「sTag gzig」(虎豹の意味)という綴りが用いられる。

 すなわち、ペルシア。
 古代中国語の大食(アラブを指す)と同源の語ともいわれる。(タジクの定義はむつかしいが、チベット人はペルシアやペルシア系の人々をタジクと呼んできた)

 多くの日本人にイランおよび古代ペルシアは過小評価されているかもしれないが、二千数百年ものあいだ、ペルシアは強大な国家であり、文化、芸術、学問においてもつねに世界の先端を走ってきた。

 そのペルシアと、チベットや古代シャンシュン国は国境を接することもしばしばあった。チベットにもっとも大きな影響を与えたのはインドであったろうが、ついでペルシアも影響を及ぼし続けてきた。

 ボン教、とくに現在のユンドゥン・ボン教はタジク(ペルシア)との密接な関係を強調し、誇ってきた。ボン教祖師トゥンパ・シェンラプ・ミウォチェの出身地をタジクのオルモルンリンとしているのである。

 仏教徒がどの程度この伝承を受け入れているかわからないが、少なくともタジク(ペルシア)を広く身近な存在にしているのは間違いないだろう。

 タジクがペルシア帝国なら、その宝庫に金銀財宝がつまっているのは、容易に想像できる。またペルシア(たとえばサーマーン朝)の版図にはフェルガナが含まれることがあったが、フェルガナは汗血馬で知られる地域だ。トトンは汗血馬を盗んだのかもしれない。

 大帝国であるペルシアに、リン国、あるいはチベットがそう簡単に勝てるとは思えない。ただしタラス河畔の戦い(751)の頃、チベット帝国はアッバース朝(大食)や唐に引けを取らないほどの強国だった。

 古代チベットと古代ペルシアについては「古代チベットとペルシア文明」参照。