チベットの英雄叙事詩 

ケサル王物語 

46  三人の美女を追いかけたトトン、羅刹肉城に監禁される 

 

 ダラ王子は目が覚めると、突然兵士たちに隊列を組むよう指示し、侍従たちに宴席を作らせ、ケサル王を迎える準備に取りかかるよう命じた。家臣たちはなぜダラ王子がこのような命令を下したのかわからなかった。おそらく悪魔にでも魅入られたのだろうと噂した。ダラ王子は家臣たちがしぶしぶ命令に従っているのを見て説明した。王子は夢を見たのだった。夢の中でケサル王は自らタジクへ出征しようとしていたのである。家臣たちはなお半信半疑だった。

 実際にケサル王はやってきた。馬や兵士の数はそれほど多くはなく、かなり身軽だった。兵士の数は3600人に過ぎなかった。ダラ王子はタジクとの戦いの経緯について詳しく報じたが、ケサル王は叱責することはなく、むしろねぎらいの言葉をかけた。

「挽回することができない場合が6つある。一、仏法戒律に違反した僧の場合。二、太陽が沈む西の暗い場所(もう明るくならない)。三、心の熱が冷めた伴侶。四、頭の上の白髪。五、険しい山の上の石攻めの石礫(つぶて)。六、命運が尽きた英雄。

 われらリンの地では、仏法はインドのようにさかんである。国の法の公平さでは中国を上回る。夜叉のごとく豊かさを享受している。神の地のごとく幸せな土地である。金山のごとく堅固で、海のごとく水は濁らない。一度挫折をしたところで、立ち上がるのに時間がかかるだろうか。どんな敵でもいずれ倒すことができるだろう」

 英雄たちはこの言葉を聞いておおいに勇気づけられた。

 タジク国はケサル自らが出征したと聞いて、非常に恐れおののいた。タジク国王はリン軍兵士の侵入を防ぐために、ボン教呪術師360名を招いた。呪術師らは、火山の火から毒の呪術の9種の物質、硫黄、ハトの糞、蛇の骨などを取り出し、七日間燃やし続けた。するとたちまち地獄の大火は大きくなり、この世界にまで炎がのびて、タジクの城の周囲を壁のように廻った。

 ケサルはタジクの城を取り囲む火の壁を気に留めないわけではなかったが、従者を連れて丘の麓の3つの谷川が交わるところにやってきた。ケサルはお茶をいれて休息するよう命じた。このときそう遠くないところに、色が白くてやや赤みがかった光沢のある肌の3人の娘があらわれた。彼女たちは薬草の花を摘んでいた。ケサルは3人の娘を指しながら家臣たちに言った。

「この女たちは夜叉である。もし彼女らを追いかけたなら、こちらが望んでいる姿をとって誘惑するであろう。もしういういしい生娘を望むなら、彼女らはそのような姿になるだろう」

 みなケサルが指した方向を眺めるうちに目を輝かせ、生唾をごくりと飲んだが、何も言わず、自分をぐっとおさえた。

「ケサル王よ、昨晩、予兆夢を見たが、どうやら幸運がもたらされるのは、わしトトンさまだけのようだ」

 トトンだけがトロンとした目のまま、3人の娘のほうへ歩き出した。持っていた宝石でヒゲを飾り、周囲の花を手あたり次第もぎとると、乙女のように花束を胸元に持ち、彼女らのほうへ近づいていった。トトンには、おそらく女の子たちが蓮華のように美しく、竹のように弾力性のある体の持ち主に見えるのだろう。ケサルには3人の鬼ばばあにしか見えなかった。兵士たちにも醜い妖魔の姿が見えていた。

 将軍たちはいっせいに腹を抱えて笑った。
「醜女が絶世の美女に見えるとは、トトンどのも老いぼれ色情狂になったものよ」
 笑われてもトトンはめげずに、娘たちのいる川辺のほうへ近づいていった。3人の娘の前に来ると、左のヒゲにつけたトルコ石の飾り、右のヒゲにつけた銀の飾り、中央のヒゲにつけた金の飾りをぶらぶら揺らしながら、威勢よく娘たちに言った。

「吾輩はタクロン王のトトンである。つまり18部落の王であり、10万の騎馬軍の将軍である。おまえたちはわしといっしょにタクロンの宝庫を見てみたいと思わんかね? わしは尽きないほどの金銀財宝をもっておるぞ。
 おまえたちはつぎのことわざを聞いたことがあるであろう。お金持ちになりたかったら、財神像の頭に水をそそいで祈るがいい、と。どこかへ行きたいなら、ともに行く従者を必要とする、と。幸福になりたかったら、老いぼれの妻になるべし、と」

 トトンは、3人の美女を自分のものにできるかもしれないという期待で頭がいっぱいになった。しかし彼女らは何も答えず、振り向きもせずに立ち去ってしまった。トトンは金、銀、トルコ石の飾りをかなぐり捨てて、あわてて美女たちを追いかけた。3つの水辺の草地を抜けると、山の麓に達した。そこに険しい崖があったが、彼女らの姿はそこで消えていた。トトンは麓に馬を置いて、険しい崖をよじ登った。

 トトンは何時間も登ってようやく洞窟に行きついた。見ると石の扉が開けっ放しだった。なかから女の子たちの談笑する声がかすかに聞こえてきた。トトンはそろりそろりとなかに入り、奥へ進んでいった。ふと振り返ると、石の扉はすでにしまっていた。もう一度前方を見ると、そこにうず高く積もっていたのは骨と肉のかたまりであり、あたりは血の海だった。トトンの顔は恐怖のあまり死人のような灰色になった。急いで立ち去ろうとしたが、出口がなくなっていたので、出ていきようがなかった。トトンはガクガクとふるえた。

 どこからか数人の羅刹(ラクシャ)があらわれ、彼を捕まえると、小鳥のように軽々と担いで、羅刹王の前に連れていった。羅刹王は彼のほうを見るともなしに言った。

「こいつを人皮袋に入れろ。そして七日たって、こいつが何になっているか、楽しみだ」

 一方、ケサル王と家臣たちは川辺でお茶を楽しんでいたが、3人の美女を追いかけまま半日戻ってこないトトンのことがさすがに心配になってきた。するとそのとき蜜蜂たちがブンブンと飛び回りながらケサル王に告げた。

「世界王のケサルさま、こんなことをしている場合じゃありません。トトンが羅刹王の人皮袋に入れられてしまいました。あなたたちはすぐに羅刹肉城を攻めなければなりません。もし長寿宝物がタジク王にとられたら、あなたたちはタジクを征服することができなくなってしまいます」

 ケサル王は、これこそ天の父である梵天が自分に与えてくれた予言であることを理解した。ケサル王は立ち上がって家臣たちに告げた。

「叔父トトンがどうやら羅刹王に捕まり、拘留されているようだ。われらはすぐに羅刹肉城を攻めなければならぬ」

 ケサルは家臣を率いて崖の下までやってきた。見るとあたり一面に馬の毛や肉、粉々に砕けた骨などが散乱していた。トトンが乗っていた馬にちがいない。トトンはすでに羅刹王に食べられたのだろうか。

 ケサルは目いっぱい空気を吸い、崖に向かって思い切り吹いた。すると崖はふたつに割れ、そこから羅刹王や羅刹どもがゾロゾロと出てきた。ケサルは崖の上にあがり、そこを三度叩くと、山崩れが起きて羅刹王の頭はもげてしまった。羅刹どもは振動のため、立ちくらみがしてオロオロするだけだった。そこにリン軍の兵士たちがやってきて、羅刹全員を叩き切った。

 ケサルは洞窟のなかに入り、人皮袋を割いて意識を失っているトトンを救出した。杜松を焚いて作りだした聖なる火をかがすと、トトンは目覚めた。

 羅刹肉城を攻略したことによって、そこに隠されていた羅刹の宝物を手に入れることができた。宝物というのは、三千世界の綱や羅刹の長寿生命帳などだった。



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