ではなぜケサル王物語は面白いのか 

チベットとのわが関わり 

 私はなぜケサル王物語に夢中になったのか。キッカケは何なのか。まずそれから話すべきだろう。

80年代、まだ20代だった私にとって、チベットといえば中沢新一氏が紹介するチベットだった。『虹の階梯』や『チベットのモーツァルト』といった著書は私にとってバイブルだった。

しかしはじめてラサに足を踏み入れたのはようやく1993年のことである。このとき、のほほんとした観光客だった私は地下組織の亡命チベット人から接触を受け、言葉に乗せられてデモに参加し、あげくは公安に捕まり、取り調べを受け、国外退去の憂き目にあってしまった。

急転直下。スピリチュアルとかそんなこと、ほざいている場合じゃない。

 国外退去させられた私はその足で、亡命チベット人の本拠地であるダラムサラへ向かった。そこで私は多数の難民チベット人と会い、チベット人が置かれている悲惨な状況について理解を深め、チベットの歴史や文化について学びたいという思いを強くした。翌年にはダラムサラ郊外の森の中にある仏教瞑想センターに滞在し、修行のまねごとをした。ダライラマ法王のティーチングをはじめて聞いたのもその時期だった。

 幸いその後ラサに入ることができ(闇バスを使ってだが…)数年間はほぼ毎年チベット自治区を訪ねた。ただ、政治的な問題には巻き込まれないよう極力気を使っていた。チベットを応援したい気持ちは山々だったが、入国を拒否されるようなことになればチベットに触れることもできなくなってしまうからだ。

とはいえ、実際はたびたび「事件」に巻き込まれることになってしまった。1995年、チベット中央を回るランクルのツアーに参加したとき(参加者4人)、石油タンク近くの草地で写真を撮っていた同行の日本人青年が、突然現れた人民解放軍のふたりの兵士に両腕を抱えられて連れ去られたことがあった。また同じ1995年、雲南北部のキリスト教チベット人の村に滞在したとき、宗教活動に関わったという理由で捕まり、何日間か拘留されることになった。チベット関連以外にも、2007年、新疆ウイグル自治区のウイグル人の村でシャーマン儀礼を見たとところ、迷信活動に参加したという理由で公安に拘束され、厳しい取り調べを受けた。

 1993年からはアムド地方レコン(青海省同仁県)に通い、ハワというシャーマンが主導するリル(六月祭)を調査した。何人かのハワと親交を深めることによって、チベット文化の神秘的側面にいくらか詳しくなった。

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