神秘的なケサルの語り手と会う 

 はじめてケサル詩人(ケサル王物語の語り手)と会ったのは1997年のことだった。どこかヒマラヤの奥のほう、ではなく、西寧(青海省都)市内の殺風景な政府ビルのなかにあるケサル救済室で、はじめてツェラン・ワンドゥと会った。最初に目にしたのは、録音室でマイクに向かってケサル王物語を説唱する彼の姿だった。

 あとでエレベーターのないアパートの7階にある彼の部屋を訪ね、そこで説唱を披露してもらうとともに、その類まれなる生涯について語ってもらった。

 ツェラン・ワンドゥは「神授型」といわれるタイプのケサル詩人だった。神授型は、夢の中で物語を授かったり、意識や土の中、銅鏡の上などに見たり、発見したりした。ツェラン・ワンドゥは、毎晩見る夢の中で神から物語を授かった。

にわかには信じがたいと思いながら、私は讃嘆と尊敬の念を抱かずにいられなかった。もしかするとこれこそ本当の創作ではなかろうか。尽きざる泉のごとく湧き出る創作と、夢の中で物語が与えられるのは、おなじことなのではなかろうか。

彼のレパートリーはその時点で148巻もあった。1巻あたり、読むのに何時間もかかるのだから、通しで読んだら、1000時間をはるかに超えるだろう。世界最長の叙事詩というのは、たんなる謳い文句ではないのだ。しかも驚くべきことに彼は一言一句すべてを記憶しているという。「驚くべき人々(リマーカブル・メン)」というグルジェフの言葉はツェラン・ワンドゥのためにあるのではなかろうか。

 これも不思議なことなのだが、小説のような創作物ではないので、自由気ままにストーリーを考えるのではなく、あくまでケサル王物語という大きな枠の中には収まっているのだ。その枠組みのなかでケサル詩人の表現力が問われるのである。

 ツェラン・ワンドゥはタングラ山脈(唐古拉山)の麓の遊牧地帯に生まれた。生粋のノマド(遊牧民)である。8歳のとき、遊牧部落(テント村)がカザフ人匪賊に襲われ、親族の多くが殺された。母親も内蔵が露出するほどの大怪我を負いながらも何日間か生き延び、死ぬ間際に息子に向かって巡礼の旅をすすめた。

 11歳のとき、聖なるナムツォ湖の周囲を3人の女性とともに回っていたツェラン少年は、突然意識を失った。意識を失いつつも、湖上に馬に乗った武将の姿を見た。少年は七日七晩夢を見続けた。目覚めたあと、わけのわからないことをしゃべりつづける少年の姿を危惧して、3人の女性は彼を寺のリンポチェ(高僧)のもとへ連れて行った。リンポチェが浄化儀礼をおこなうと、少年のたわごとはやみ、筋の通ったことを話すようになっていた。それはケサル王物語だった。

 このように、シャーマンに興味を持っていた私にとって、彼の前半生は驚嘆すべきものだった。少年時代に精神的な病にかかり、それをだれか、とくに師匠によって癒され、変性意識状態をコントロールできるシャーマンになる。これが典型的なシャーマンのストーリーである。神授型ケサル詩人は、シャーマンだと言ってもいいだろう。現に、シャーマンらしく、憑依状態で物語を語るケサル詩人も少なからず存在するのだ。

 

⇒ つぎ