ハーバート・リード 『グリーン・チャイルド』(1947)について
宮本神酒男
『英国できごと史』(12世紀)に収録されたグリーン・チルドレン伝説の唯一の小説化作品がこの『グリーン・チャイルド』(増野正衛訳 1959、1968)である。初版の解説を読むかぎり、翻訳者自身は『英国できごと史』を参照していないばかりか、その存在すら知らなかったように思われる。もっとも、原著の解説のグレアム・グリーンもそのことに触れていない。
主人公オリヴェロは南米の某国大統領だったが、暗殺未遂をのがれ(仕組んだのは本人だった)生国である英国に戻ってくる。故郷の村に近づくにしたがい彼は川の流れが逆向きに変わっているという大きな異変に気づく。その原因を調べようと探っていくうち、製粉小屋に行きあたる。そこには緑色の皮膚の女性がいた。そういえば30年前故郷を出るとき、グリーン・チャイルドが発見されたと大騒ぎになったことを思い出した。
*このあたりの描写は作者の故郷がモデルとなっている。
「教会の上手約半マイルのところ、小川の勢いは急に衰え、その水のいくらかは岩床の裂け目をくぐって消える。(……)地下の水路を流れ(……)地下深くから泡をたてて噴き出している。そのため伯父の小さな地所は源という意味のハウケルドという名で呼ばれていた」。
このあと作者は水車小屋をじつに楽しそうに美しく描いている。そしてカークデイルの洞穴を探検したときのことをつづっている。
「この有名な洞穴は、地下三千フィートにわたってのびており、いくつかの支脈が分岐している。(……)洞窟の側面は蝋燭の光でひかり、湿気が雫になって、私たちの上の鍾乳石から落ちてきた。(……)どのくらい進んだときだったろうか、ある地点で突然、暗闇のなかに火のように燃えるふたつの目があらわれ、こちらにむかってきて私たちをぎょっとさせた」(叢書・ウニベルシタス『ハーバート・リード自伝』北條文緒訳)
ある年(1830年頃)のことだが、○○州の○○村に、ほぼ四歳ぐらいと見受けられる二人の子供が現れた。彼らは既知の言葉を口にすることができず、したがってその出身の家系や出生地を、それどころかいかなる世界の出生であるかを解明することもできなかった。
なおその上に、なんだか得体の知れない生地で作られた皮膜ようの緑の衣をまとった子どもたちの身体をみると、その肌は緑色に半ば透き通っていて、まずサボテンの果肉に一番よく似ているが、もちろんのこともっと華奢で敏感らしい感じだった。
子供たちは年老いた寡婦のところへ養子として迎えられ、躾(しつけ)と教育を受けた。子供たちのうち男の子は、すぐに死んでしまう。女の子は生き延びて、ニーショウという地元の青年と結婚する。ニーショウは30年前、若い教師だったオリヴェロの生徒だった。
じつはニーショウはこのグリーン・チャイルドの女性を幽閉していた。オリヴェロとニーショウは対立し、取っ組み合いになり、そのときのはずみでニーショウは川に落ちて溺死する。
解放された女性といっしょにオリヴェロは川の上流へとたどっていく。源流地帯だが、そこは奇異なことに水を吸い込んでいた。彼らはそこから地底の洞窟へとワープする。ここで女性は鐘の説明をする。『英国できごと史』にも、グリーン・チルドレンが鐘の音を聞いてうっとりしている間にこの世界にやってきたと説明していることを思い出させる一節だ。
グリーン・チャイルドはオリヴェロに向かって、ああした鐘か銅鑼のようなものが、人々をある場所から他の所へ案内するために、この国中の至る所に吊り下げてあるのです、と語った。東西南北それぞれの方角を示すために特定の音調ないし旋律が定めてあって、この国の住民たちは、その音に耳を傾けるだけで、太陽や星を頼ることもなく、自分の行く先を知ることができるのだという。音調や旋律はすべて、それを辿って行けば、この地下の世界の中心へと導いてくれる。
彼らは洞窟から洞窟へと進んでいく。グリーン・チャイルドは自分の本当の名がシレーンであることを思い出した。オリヴェロは地下世界の人々と接し、彼らに時間の観念がないこと、死を恐れていないことなどを学ぶ。彼らにとって神とは宇宙の法則だった。彼らによれは「感覚が肉体によって拘束されているがゆえに自我という幻想を生み出す」のだという。
オリヴェロは長く滞在する間に地下世界に順応していった。
病気などというものは、ほんのちょっとした身体の失調ですらもが、この国には全く見出されないのだ。生身を訪れる石化の作用と同じように、きわめてゆるやかな過程でやってくる。しかも、肉体が死に接近してゆけばゆくほど、あの固体化して結晶になる完就の状態が、いやましに美しく見えるようになるのだった。
長く地下世界で暮らしたオリヴェロは、隠棲の洞窟に入る。
この現世においては、霊魂との交流または関係をできるだけ少なくして、霊性を飽食することなく、神が喜んでわれわれを解放してくれるその日まで自己の純粋さを失われぬようにしているならば、そのときわれわれは完就の状態に最も接近しているのである。そして、そのようにして精神の動揺を駆逐してしまったならば、われわれは純化されて、宇宙の調和の一部となるだろうが、この宇宙の調和とは、まさに真理の法則ということに他ならないのだ。
こうしてオリヴェロは死を迎える。オリヴェロの死とシレーンの死は同時刻だった。シレーンとは、離れ離れになっていたが、こうして同時に死ぬことで愛を成就しているかのようだ。
二人の体を浸している水の面に漂うシレーンの髪の毛は、オリヴェロの胸の上に広がって、珊瑚色に密生した彼の顎鬚と解き難いまでに絡み合ってしまい、まるで石の飾り格子のように見えた。
この末尾の一節などはかなり不気味だが、そもそも永遠の生とはかぎりなく死に近いものなのである。この20世紀の著名な詩人は、グリーン・チルドレンが地下世界から来たと考え、この地下世界をいわば賢者の世界と想像した。地下世界人は生身の人間というより結晶体のようであり、彼らは生と死を超越した存在だった。
ハーバート・リード(1893ー1968)は英国ヨークシャー出身の詩人、思想家、美術評論家。著作に『芸術の意味』『モダン・アートの哲学』など多数。
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ハーバート・リード『グリーン・チャイルド』
増野正衛訳 みすず・ぶっくす 1959年