モン族(ミャオ族)ディアスポラ
神話時代の敗走から現代のボートピープルまでの苦難つづきの民族史
宮本神酒男
1 モン族突然死症候群
ナショナル・ジオグラフィック誌(1988)に掲載された「アメリカのモン族 巨人の国のラオス難民」(スペンサー・シャーマン)という特集記事は衝撃的だった。ボートピープルとなって国を脱出し、アメリカに安住の地を得たラオスのモン族の多くが突然死症候群にみまわれ、亡くなっているというのだ。
「モン族突然死症候群」(Hmong Sudden Death Syndrome)という専門用語ができるほど、際立った、珍しい現象だった。学術的には「夜間突然死症候群」(Sudden Unexpected Nocturnal Death Syndrome)という想像するだけでも恐ろしい名前で呼ばれているらしい。1988年の統計では、それまで117名もの難民がこの症状で亡くなっている。
当時、といっても読んだのはバックナンバーだったので、90年代のことだと思うが、モン族に関するわが知識は情けないほど乏しかった。ラオスにモン族がたくさん住んでいることを知らなかったし、ボートピープルの大半がモン族であることも耳にしたことがなかった。私は中国のミャオ(苗)族やタイのメオ族の村を訪ねたことがあったにもかかわらず、モン族が彼らと同一の民族であることに気づかなかった。
実際、「百苗」といわれるほどミャオ族の種類は多く、その数ほど自称があった。モンという名はその中でももっとも多く用いられる呼称なのだが、コーションやムーと称するグループもあり、ひとつに決めるのはむつかしいのだろう。それならばミャオでもメオでもいいじゃないか、と思ってしまう。しかしミャオ(苗)が中国人による他称であり、ミャオが訛った東南アジアのメオが蔑称であるとされることから、現在ではモン(Hmong)が好まれ、統一名称のようになっている。われわれ日本人にとっては、音韻上モン・クメール族のモン(Mon)と区別しがたく、不便ではあるのだが。
突然死症候群の患者の大半は男性だという。彼らの多くは北ベトナムに対抗するため、米CIAによって訓練された特殊部隊の兵士、つまりゲリラだった。ということは、たんにアメリカという先進文明に放り込まれたため適合しなかったのではなく、最近よく言われるPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状を示していたのかもしれない。もちろん環境の変化は突然死の最大の要因のひとつだった。難民の一部はアメリカから南米ギアナ高原に移されると、気候や風土が似ていたからか、この症状はほとんど見られなくなったという。しかし大半はアメリカの軍事作戦に従事し、北ベトナムの激しい攻撃を受け、命からがら国を脱出したあと、難民キャンプをへてアメリカ本国にたどりついたのである。彼らが目にしたのは、生ぬるい平和社会だった。そんな彼らが帰還兵とおなじような心理状態に陥ったとしても不思議ではないだろう。
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