心風景 landscapes within 42 宮本神酒男
90年代、私は雲南省南部のシーサンパンナ(西双版納)に何度も入った。この地域の人々はみな親切でどこか山や盆地の村で夕方を迎えても、心配する必要がなかった。だれかがもてなしてくれるからだ。いまは中国とラオスに二分されてしまったが、もともと景隴金殿王国(1160−1950)というタイ族主体の国があり、中国とは違う歴史を歩んできたのだから、漢民族と性格が異なるのは当然だった。
このとき私は米国人とイスラエル人の友人といっしょに山のかなり奥のほうを歩いていた。(数日後、3人で野生の象を探しに森のなかへ入った。2021年に雲南省内を大移動して世界的な話題になったあの象たちである)
ここでこのラフ族の家族と会った。幹線道路(?)はラオス、ミャンマー国境方面へとつづくが、この村の門(アイニ族の門ほど見事ではないがいちおう鳥居に見える「鬼の目」つきの門)から脇道に入ると、彼らが住む小さなラフ族の集落があるという。われわれは集落を訪ねることにした。
村は貧しそうではあったが、のどかな空気が流れていた。人々は高床式家屋の屋根の上でワラビを干していた。ワラビが採れるということは、このあたりでは焼畑がさかんだということだ。周恩来首相の音頭取りで換金作物のゴム林が増えたがまだまだ焼畑はおこなわれていた。家に入るとき、数羽のニワトリが木の葉が積もった地面を走り回っていた。
すぐに日が暮れ、この日はこの家に泊めてもらうことになった。
「ニワトリ、食べるか?」と主人は気配りからか、われわれにごちそうをふるまおうとした。
われわれは顔を見合わせ、申し出を断った。スーパーや肉屋で売っている肉ならともかく、足元を走り回っているニワトリの死刑執行にサインする気にはならなかった。それに彼らのごちそうを奪う気にはならない。
結局、主人は新鮮なタケノコを使ってスープを作った。極上の味だった。しかしわれわれの食事が終わると家族は、残った外被を集めてスープにして食していたのである。これを見て、われわれは動揺してしまった。
ニワトリもごちそうだが、タケノコだって貴重な彼らの晩餐だったのではないか。そのことに考えも及ばなかったことが恥ずかしく、申し訳ない気がした。そもそも家に招待したのも断られることを期待して、口にしただけのことだったのかもしれない。
ともあれこうしてラフ族の生活に触れることができたのは、じつにありがたく、いまもいい思い出になっている。彼らは何族かときかれると、「ムッソーだ」と答えた。タイ北部のラフ族の自称とおなじである。彼らはもともと四川南部から雲南北部に分布したモソの子孫なのである。モソといえばナシ族というイメージがあるが、ナシ族を含めたチベット・ビルマ語族の一部の総称なのである。ムッソーに対応するのはリッソー(リス族)である。
タケノコやワラビを食べ、千木・カツオギがある(こともある)高床式家屋に住み、鳥居のような門をもつ彼らに近いDNAを感じるのは不思議なことではないだろう。
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