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 弟子は庵にいたあいだに彼が経験した試練について述べた。そして彼の質問に対するアーナンタの秘密の答えのことを最後に語った。アーナンタの答えを知ったパラシャーラは手を叩いて喜んだ。「なんと完璧な、よく理解できた答えであることよ」と彼は言った。

「どういうことですか」弟子は叫んだ。「塩やニワトリ、鶴とどういう関係があるというのですか」

「よく聞いてほしい」パラシャーラは言った。「アーナンタの智慧の深さについて説明したい。料理の塩加減がちょうどいいとする。塩が多すぎても、少なすぎても、料理は満足いくものにならない。塩の加減のように、スピリチュアルな道を行く人はバランスを見つけなければならない。バガヴァッド・ギータ―は、聖なる生活を送る人は食べ過ぎても、ほとんど食べなくても、眠りすぎても、ほとんど眠らなくてもよくないと教える。彼らには働くための、リクリエーションのための、スピリチュアルな実践のための適切な時間が与えられるべきである。何かに挑むとき、複雑な問題に取り組むとき、バランスを取ること、すなわち極端を避け、いい味を得るには料理の塩加減をほどよいものにすることが、とりわけ需要である。

 あなたはアーナンタに、自分を理解するためにどんな特性が必要かとたずねた。塩のもうひとつの特性は、料理に風味を加えるときに、塩が隠されることもあるということだ。人は穀粒や野菜、スパイスなどの質を評価して料理を称賛するが、だれも料理の塩の加減が絶妙だ、とは言わない。塩のように真のヨーギは認めてもらいたいとか、称賛してほしくて奉仕するわけではない。彼らは喜んで他者に名声を譲るし、聖なる者に喜びを、他者に恩恵を与えることにしか興味を抱かない。

 しかしながら塩のもうひとつの特性は、他から独立しているという感覚を放棄し、他の内容物のなかに溶け込むことである。塩のようにわたしたちは、至高の存在や他者との愛ある関係からわたしたちを隔てるエゴイズムを放棄することができる。魂としてのアイデンティティに没入することで、わたしたちは至高なるものの永遠の愛の下僕として、自分自身を統合することができる」

「ニワトリは」パラシャーラはつづけた。「ゴミの山の中から栄養価の高い種子を選んでついばみ、価値のないものを残していく。ニワトリのように真のヨーギはたくさんの中からいいものを見つけ、他のものは気にしない。わたしたちは他者のいい特質を見るべきで、彼らの過失にこだわりすぎてはいけない。もし状況によって仕方なく他者の過失を扱うことになるなら、それはその人物か、それらに影響されるかもしれない他者の利益になる場合のみにすべきである。もし心を満たすために、周囲によい特質があきらかに不足しているなら、わたしたちの心は汚染されてしまうだろう。よい特質に焦点を絞るなら、逆に心は豊かになるだろう。

 この類推を通じて、わたしたちはどんな状況下でも建設的な機会を探すことを学ぶ。問題について不平を言うことはない。もしあなたが不平の理由を探すなら、どこにでも見つけることができるだろう。同様に、もしよいことをする機会を探すなら、どこにでもたくさんあるだろう。ニワトリのように、わたしたちは宗派争いのような不必要な行為をやめ、精神性の本質やその実践を探し、真のゴールに焦点を当てるべきだろう。このようにしてわたしたちは自身の道の本質だけでなく、他者の道も同様に評価することができるのである」

「鶴は」とパラシャーラは言った。「片足で辛抱強く立ち、水面をじっと見ている。大きな魚を待っている間、小さな魚は好きに通させている。大きな魚が来たときが、鶴の晩餐のときだ。この話は忍耐と物事が起こることに神経を集中することについて教えている。もしゴールに到達することを望むなら、耐えて、小さなことにはかまわないということである。表面的に道を見失うことはよくあるが、ヨーギはより深くに進む。鶴のようにヨーギたちはより大きな問題に集中し、こまかいことは手放すのである。それでどんな報いがあるのか。彼らは真実をのみ楽しみ、世俗のゴシップやプロパガンダに煩わされることはない。

 アーナンタがあなたを含めていたことに関していえば、自己の真の探索者はあなたのような人のことを言う。真実を熱心に求めて、あなたはたいへんな困難を耐え忍んでいる。この熱狂こそ精神的進歩の本質である。アーナンタが質問に答えるまで不平を言わず、あなたは六か月待った。自己のないあなたは反対することなく、自分が食事をする前に何千人もの巡礼者をもてなした。喜んで困難に耐え他者をもてなすのは、真の探求者の本質なのである。

「アーナンタはとても親切だ」とパラシャーラはうなずいて評価の意思を示しながら、言った。「彼はあなたが到着した日にすべてのことを説明することもできた。なぜそうしなかったか、わたしが説明しよう。心は畑のようなものだ。そして智慧は種のようなものだ。種は適切に耕され、肥料が与えられた畑でのみ成長するだろう。わたしたちは謙虚で、感謝の気持ちを持ち、他者のために働き、障害をものともせず学ぼうとすることによって心の畑を耕すことができるのだ。そしてこれらの特性を耕すとき、智慧に沿って愛は育つだろう」

「精神的な知識はもっとも価値のある贈り物である」パラシャーラは言った。「それは安価ではない。だから全身全霊でもってそれを追求しなければならない。それを獲得するまで、我慢強く待たなければならない」

 風がココヤシの葉をさらさらと鳴らすあいだ、師と弟子は静かに坐っていた。それからパラシャーラはほほえんだ。「アーナンタは謎めいた答えをあなたに与えるかわりにこうしたことを説明することもできたはずだ」と彼は言った。「しかし彼はわたしの古い友人だ。彼はこの無限の価値がある教えをわたしと同様分かち合いたかったのだろう。この賢者の言葉によってわたしたちの目が見開かれたとき、もっともありふれたもの――ニワトリや塩――のなかに教えを見いだすことができるのだ」

 


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