パラマトマ、内なる導き 

無数の宝石のなかにひとつの太陽が反射して現れるように、至高なる者はすべての生きる者の心(ハート)のなかに彼自身をあらわす。

  シュリー・チャイタニヤ、チャイタニヤ・チャリタムリタ:アディ・リラ2.19

 

 多くの精神的伝統は、すべてのいきるものに見いだされる神の側面について語る。ヴェーダ経典はこの特質を<内なる導き手>、あるいは<証言>と呼ぶ。サンスクリット語で個人の魂はアートマと呼ばれる。内なる導き手としての神はパラマトマ、あるいは<超越魂>と呼ばれる。

 すべての生きるものへの愛から、すでにあまねく存在する神は、すべての心(ハート)に鎮座し、それぞれの幸福に個人的な関心を持っている。わたしたちは心(マインド)を静め、ヨーガ、祈祷、その他の黙想する実践を通して感受性を高め、神の存在を感じる。心(マインド)がとても静かなら、神の導きの声が聞こえるだろう。

 カタ・ウパニシャッドは、個の魂と至高の魂を木の上にとまる二羽の小鳥にたとえている。個の魂は木の甘い果実も苦い果実も味見して時間を過ごす。一方の超越魂は、いつも満足し、友人、証人として残る。超越魂はけっしていかなる魂も捨てない。というのも彼はそれぞれを愛すが、魂の選択に干渉することはないのである。むしろ彼は恩寵を授けたがり、彼のほうを向かせようとさしむけた。それゆえ心(ハート)の中で神はときおり<内なる守護者>、と呼ばれる。それは近しい友人が与える安全と保護の適性の描写である。パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』は、この神聖な内なる導き手、すなわちすべての師のグルについて瞑想することによって、サマディ、すなわち揺るぎのない平安の状態へ導かれると宣言している。

 大半の人の内面には、無数の声がある。しかもわたしたちはその声の影響を受けている。大半の人はまた、エゴの影響を受けた心(マインド)の声に支配されている。声は、わたしたちが嫉妬する人々に対して行動を起こすよう鼓舞する。あるいは物質的な、または精神的な情熱を満足させるようわたしたちを促す。わたしたちの両親や教師、大衆メディアの声も――子供のときに聞いた広告の鈴の音だってそうだ。しかしながらパラマトマはたんなるもうひとつの声ではない。彼の声は至上の声である。真の自我のためにいかに行動するかを思い起こさせてくれる声である。

 ギーターはどうやって彼を見つけるか教えてくれる。

 

心(マインド)を征する人はパラマトマを理解し、平静を知る。そのような魂にとって幸福と絶望、熱さと寒さ、名誉と不名誉はおなじである。

        バガヴァッド・ギーター 6.7

 

 パラマトマは、高い直観や通常の知性および創造的意識を超える洞察力の源として描かれるかもしれない。19世紀の超越主義運動のリーダー、ラルフ・ウォルド・エマーソンがエッセイのなかに書いている。「オーバーソウル(注:最高の魂といった意味合い)とは、人の内部にある、全体の魂である。賢明なる沈黙。不変的な美。それに対し、すべての部分、区分がひとしく関連している。永遠の一」

 多くのクリスチャンは超越魂を聖霊とみなしている。

 

何を言うか、どのように言うかについて、心配することはない。そのときになれば、言うべきことがあなたに与えられるだろう。話すのはあなたではなく、あなたの父の聖霊が、あなたを通して話すのである。

        マタイ伝 10:20

 

 パラマトマは自由意志に干渉しようとしないが、わたしたちの心(ハート)のなかにつねに存在し、愛情をもってわたしたちが彼のほうに向くのを待っている。パラマトマはわたしたちを導くが、彼の導きの量はわたしたちがどれだけ受け取りたいかと相関関係にある。あなたが頭の中にほかの声以上のパラマトマの命令の声を聞いたいなら、清潔で、健康的な生活を送り、純粋にスピリチュアルな実践をおこなうことを要求する。こうした生活スタイルの変化がなければ、パラマトマの声をエゴに影響された想像と勘違いするかもしれない。

 覚醒した師たちの教えを聞き、明らかになった経典を読んで、わたしたちはそのような生活を送るためのガイダンスを見つけることができる。この教えと経典はパラマトマの外部の声と言われている。

 

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