希望を見つける:生命の木
2013年、わたしはヤング・プレジデント・オーガニゼーションの会合で講演をするためにバーレーンに行った。ホストのアフメドとラミスが現代世界の七不思議のひとつ、生命の木と呼ばれる国のランドマークにわたしを案内してくれた。何平方マイルの砂に囲まれたアラビア砂漠の丘にその木は立っていた。見回してもほかの木は一本も見えなかった。広大な不毛の砂漠には実際生命の兆しがまったくなかった。平均気温は41度で、49度まで上がることがあるという。また骨までさらすようなすさまじい砂嵐がここでは一般的だった。この木はどうやって生きのびたのか。
だれも確たる答えを見つけ出していない。科学者たちはもっとも近い水源が地下3キロの地下水流であり、そこから水分を吸い取っていると推測している。一部の学者は、木はペルシャ湾から吹いてくる風から湿気を吸い取ることを学んだと考えている。また砂粒から湿気を搾り取ると考える者もいる。木はエデンの園と言われた場所に立っているとし、神秘的な水源があるのだと主張する者もいる。
道理にかなっているかどうかはともかく、生命の木は樹齢四百年以上で、十メートル近い高さがあり、豊かな緑の葉に覆われていた。葉の庇のもと、太い幹にもたれて坐り、わたしはこの木がわたしたちの意志の力をどのように表わしているかについて瞑想した。もしエッセンスを自分の意志の力に入れられるなら、力を得たわたしたちは、どう見ても不利な状況下でも、うまくやることができるだろう。生命の木は希望を、論理を超えた希望を表わしている。希望はわたしたちを育み、維持し、難しい状況でも、力を得たわたしたちは成長することができるのだ。信仰の側から見ると、生命の木はこの世を超えたパワーのなかの信仰を表わしている。
生命の木はひとりぼっちで立っている。大きな困難があるにもかかわらず、どうにか砂漠に水を見つけ、何世紀も生きてきた。木の成長は離れ業ではなかった。それは天まで届き、木の下に坐ろうとする誰に対しても庇を提供するだろう。