棘と友だちになる:孤児の母 

 2012年、ムンバイで開かれた国際女性デーのイベントは、最近のインドで起きたおぞましいレイプ事件と、そのようなむごたらしいことに対しての大衆のデモについて考える意義深い機会となった。基調演説をおこなったのは63歳の女性、シンドゥタイ・サプカルだった。彼女は伝統的な村のサリーというシンプルないでたちだった。彼女の物語は聴衆の涙を誘った。

 シンドゥタイはマハラシュトラ州の貧しい家庭に生まれ育った。六歳のとき彼女は学校に通いたかったが、両親には水牛の小さな群れの世話係として彼女が必要だった。毎日彼女はこの大きな動物を棒でとりまとめ、知覚の池に追いやって体を冷やさせた。水牛たちは首までどっぷりと水に浸かり、シンドゥタイはそこから逃れて二、三時間だけ学校の授業に出ることができた。彼女が遅刻するので、教師はいつも彼女を殴った。彼女が学校にいる間に水牛はしばしば他人の土地をうろつきまわった。するとこの土地の農民たちも彼女を殴った。彼女が言うには、それでもこの時代が彼女の子供時代でももっともいい時代だった。

 子供時代は終わり、十歳になったとき、彼女は強制的に三十歳の男と結婚させられた。二十歳になる頃には、彼女は三人の男の子をもうけ、四人目の子供を妊娠していた。この期間に彼女は地元のマフィアのメンバーが村人たち、とくに女性たちを食い物にしていることを学んだ。つまり彼女らを強制的に奴隷として働かせたのである。シンドゥタイはこのことを地区収税官に訴え出た。これを知った犯罪者自身がシンドゥタイの夫に嘘をついた。すなわちシンドゥタイは夫を騙している、と。彼女はひそかに彼自身と情事の関係にあると主張したのである。実際に彼女の子供は夫の子供ではなく、彼の子供であると言い張ったのである。怒った夫は妻のおなかを何度も蹴飛ばし、ついに彼女は意識を失った。彼女が死んだものと思った夫は彼女を引きずって牛小屋に放り込んだ。近所の人々も彼女は牛に踏まれて死んだであろうと考えた。

 しかし一匹の牛が彼女を哀れに思い、彼女の上に立って危険から守ったのである。牛小屋の中はギュウギュウ詰めだったが、この牛は動物も人間も彼女に近寄らせないように踏ん張り続けた。牛の下で、彼女は娘を生んだ。彼女は尖った石でへその緒を切った。牛の利他的な情熱が彼女の命を救ったのである。シンドゥタイは牛を抱きしめ、自分の命を助けのない人々を助けることに捧げると誓った。

 シンドゥタイは赤ん坊を連れて両親の家に戻ることにした。しかし村のしきたりでは結婚して夫の家に住むようになったあと、娘は親元に帰ってくることは許されなかった。両親は彼女を拒絶した。ひとりきりになり、レイプされるやすくなり、ほかのいろんな種類の虐待にあう可能性があった。そこで彼女は川岸の火葬場で夜を過ごすことにした。そこでは野外で遺体が焼かれていた。その場所はたたられていると考えられていたので、だれも彼女に近づこうとはしなかった。ときおり絶望を感じながら腹も減り、彼女はわずかの小麦粉を水と混ぜ、燃える遺体の上に置いて調理した。

 シンドゥタイは繰り返し自殺について考えた。ある晩彼女は走っている列車に赤ん坊といっしょに飛び込むことにした。想像もできないことをしようと準備しているとき、彼女はもだえるうめき声を聞いた。音の聞こえるほうへ近づくと、死に際の乞食の男が水と食べ物を求めているのだった。彼女が言うには、その瞬間、男の叫び声を通して、彼女が誓ったように、誰からも助けられない人を助けるようにという神の声を聞いたのである。自ら命を絶つかわりに、自分の人生に意味を持たせることができると彼女は理解したのだった。

 しかし打ちひしがれた彼女に何ができるというのだろうか。シンドゥタイはこれについて考えるため、牧草地のなかの木の下に坐った。見上げると、木こりが荒々しく切った枝が裂けた幹から下がっていた。木の本体に加えられた損傷にもかかわらず、枝は彼女と赤ん坊の上の庇となり、照りつける太陽光から守っていたのである。そして彼女は神の声を理解した。彼女は家のない、親のない子供たちの母になるべきなのだ。彼女は孤児たちを集め始めた。彼らを食べさせるために彼女は駅のプラットフォームで歌い、施しを求めた。どんな場所でも――比較的安全な場所を見つけることができた――眠っている間、彼女は子供たちを守った。

 しばらくすると、子供の数はかなり増え、憐み深い人々が彼女のために簡素な建築物を建てた。そこなら子供たちを安全に保護することができた。彼女は「孤児の母」として知られるようになった。彼女は必死に子供たちに愛、心づかい、教育を与えた。これらはすべて彼女が与えられなかったものだ。長い年月の間に、彼女はおよそ千人の孤児の母親を務めてきた。彼らの多くは現在医者や弁護士、教師、農民、エンジニアとして成功した人生を送っている。

 彼女の善行が広く知られるようになると、血縁のつながった息子たちは父のもとを去り、彼女と暮らすようになった。今日、そのうちのふたりは博士号を取り、シンドゥタイは270以上の賞を獲得した。そして15か国から招待を受け、講演をおこなった。

 国際婦人デーで感極まりながら、シンドゥタイは魅了された聴衆に向かって彼女のもっとも意義深い達成について語った。暴力を受け、捨てられてから何十年もたってから、彼女は家のない、病気がちの八十歳の老人から助けを求められたのである。彼女は男を認識することができた。冷酷な夫だった。男は彼女に許しを請い、彼女は男を許した。彼女は彼に孤児院の避難所を提供した。彼の妻としてではなく、母として。彼女はたくさんの自分の子供たちに「この人に愛をあげてください。それがもっとも必要なものですから」と言った。訪問者に対して彼女は彼を長男だとして紹介する。ときにはこう、付け加える。「この子はわんぱく小僧なんですよ、ほんとに」。

 生命の木のようにシンドゥタイの人生は、暗闇のなかにいるときでも希望を失うべきではないことを教えてくれる。「むつかしい状況になったとき」と彼女は言う。「しっかりと立つべきです。そしてそれらの上にあがってください。そうするとそれらが小さく見えるでしょう。先に進むことをおそれないでください。そして戦ってください」

「これがわたしの人生なのです」と彼女は結論づける。「わたしの道は棘(とげ)だらけでした。だからわたしはこれらの棘と友だちになったのです。わたしの人生はシンプルで、うつくしいものになりました」

 わたしが初めてシンドゥタイに会ったのは2013年のことだった。彼女の物語を聞いてから一年後のことだった。わたしたちは喜んで理解していることを分かち合った。彼女によれば、自分の脆弱な赤ん坊のように、神の愛を求めて泣きわめくとき、人生の魔術を発見したという。会話が結論に達し、まさに立ち上がったとき、シンドゥタイはわたしの注意を、彼女の横に静かに坐っている輝きを放っているエネルギッシュな若い女性に向けさせた。「こちらはわたしの娘のひとりです」と彼女は言った。「彼女は医師になったばかりです。そして孤児院のひとつを監督しています」。涙を浮かべてほほえみながらシンドゥタイは付け加えた。「この子があの日、牛の下で生まれた赤ん坊なのです」

 

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