無私無欲の愛 

 シンドゥタイのような現実の生活やフィクション上の生活の自己犠牲の行動について聞こうと聞くまいと、これらの物語はもっとも深いところでわたしたちの心の琴線に触れる。それらは人々がもともとつつましく、美しいことを示している。そしてわたしたち自身がよりよい人になるよう鼓舞する。マーティン・ルーサー・キング博士はつぎのように言う。「暗闇は暗闇を駆逐することができない。光だけができる。憎悪は憎悪を駆逐することができない。愛だけができる」。バクティ・ヨーガの実践はあなたが光の覆いをはずす手助けをする。

 見返りを期待することなく、他人を喜ばすために愛が与えられるとき、それは無私無欲である。無私無欲の愛において、いやしくも自分のリスク、喪失、不便について考えるなら、それらは二次的なものとみなされるだろう。無私無欲の愛は、感謝の念、熱心ぶり、勇気の精神に捧げられる。それは人にある種の内なる満足――それはすべての利己的な楽しみを青ざめさせるもの――を与える。

 バクティにおいてめざすのは、私利私欲のない愛の起源と、至高なる魂と個人の魂の間の愛を結びつけることである。かつてわたしたちはそのような結びつきを成していた。愛はごく自然に外に出てほかの魂と結びついたのである。バクティの道は拡張された愛の表現の無数の例であふれている。例としてラーディニ(リンダ・ジュリー)の物語をあげたい。

 

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