スピリチュアルなヴィジョンで世界を見る 

 物質世界に住んでいて、スピリチュアルなヴィジョンを持つことによってあなたが飢餓や喉の渇きといった肉体的試練や経済的困窮、季節の変わり目の暑さや寒さから救われるというわけではない。バクティを実践することによって、クラゲを撃退できるわけではない。しかしバクティの実践はクラゲに関して別の見方を教えてくれる。冷たい水を求め、かつクラゲの一撃を避けようとするのはごく自然なことである。しかしクラゲを避けようとしても、ときにはどうしても刺されてしまう。あなたがバクティを実践すると、あなたはこのクラゲの一撃に関して、それがどんなものであるか学び始める。成長のカタルシス(触媒)である。

 この世界のわたしたちが知っている幸せがどんなものであれ、それが成就することはないし、長続きするわけでもない。これは普遍的な真実である。もっとも幸福な人生でさえ、死によってはばまれる。不幸によって彼、あるいは彼女の不完全な幸福の価値を内省し、疑い始めたとき、疑問が湧きおこる。これ以上の何かがあるのか、と。

 物質世界はもともと聖なるものである。というのもそれは至高なる者の力の一部だからである。また解放、あるい言葉を選ぶなら気晴らしのために、それは無限の機会に満たされているので、やはり聖なるものである。バガヴァッド・ギーターによると、誕生、老い、病気、死の物質的真実を意識するのも、きわめて重要な知識の要素である。しかしながらこのあきらかに気の重くなる警告とともに、明るい未来はやってくる。

 

肉体をまとった存在が三性質(タマス、ラジャス、サットヴァ)を超越するとき、彼らは誕生、死、老いの苦悩から解放され、この生においてさえ甘露を楽しむことができるだろう。

    バガヴァッド・ギーター 14.20 

 

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