アヒンサのシンプルな形 

 マハトマ・ガンジーは言った、「国の偉大さとそのモラルの進み具合は、動物の取り扱い方を見ればわかる」と。ヴェーダによると、非暴力はすべての生きるものを含む他の人類との関係を超えて広がるべきである。サンスクリットの語句で共感を意味する<para duhkha duhkhi>がある。他者が苦しんでいるときに痛みを感じ、幸せなときに喜びを感じるのである。共感は進化した人間の特質である。しかし面白いことに、それらが動物にないわけではない。かつて南インドのウドゥピにいたとき、わたしは犬の感情に心を動かされたことがあった。

 ウドゥピにはみずみずしい椰子の木がたくさん立っていて、海からやさしいそよ風が吹いてくると、いっせいに揺れた。緑の田んぼが四方で地平線につながっていた。あなたの目には黒い曲がった角の水牛の群れを、また木のくびきをかけられた純白の牛たちを見るだろう。木綿のルンギを腰に巻いただけの裸足の、針金のような農民たちが、水牛や牛が引っ張る鉄の鋤を後ろから握っている。

 平屋建ての家々はその地域特産の赤い石のブロックと黒く着色された丸太を使って建てられていた。屋根はオレンジ色のタイルが貼られ、藁で葺かれた。それぞれの家の横には小さな手作りの池(プックル)があった。そこで家族は沐浴し、洗濯し、家をきれいにするために水を引く。それぞれの池には暑さを逃れようと、水牛が首まで浸かっているだろう。

 それぞれの集落は共同井戸をシェアしている。井戸は赤、青、黄など色とりどりのサリーを着た村の女たちの集会所となっている。彼女らは木のバケツに水を入れ、それを粘土製の壺に入れ、壺を頭上に載せて優雅な足取りで運んでいく。

 やわらかい砂が何マイルもつづく海辺はパラダイスだ。海岸までビーチを何百ヤードも下りていかねばならなかった。そこでは高い波が激しくぶつかり、音のシンフォニーを作り出していた。焼け付くような太陽のもと、簡素な木の漕ぎ舟に乗った漁民たちはアラビア海に漁網を投げ込んで一日を過ごしていた。

 ここからそう遠くないアーユルヴェーディック・ヘルス・クリニックでわたしは一か月を過ごした。田舎道を歩く毎日の長い散歩がわたしの治療の一部だった。その地域には少ない二階建ての家のひとつでわたしは暮らした。鉄道から遠くない未舗装の道沿いにそれはあった。この道に母犬と四匹の子犬がいた。隣人が語るには、前週に二匹の子犬が走っている車のタイヤにひかれてしまったという。だれも路上の子犬をわざわざとどめようとはしなかった。二度とも隣に住む女性が死んだ子犬を土に埋めた。母親だけが、ほかの母親の喪失感を理解することができるのだ。彼女は何度も家で飼おうとしたという。しかしインドのほとんどすべての犬は野良犬であり、その母犬も毎度道端の生活に戻ろうとするのだった。

 この母犬、ふさふさしたベージュの毛並みの雑種犬はあきらかに子供たちの死を嘆き悲しんでいた。昼も夜も彼女は生き残った二匹の子犬を近くの原っぱではしゃぎまわらせるか、傍らで寝させて、目を離さなくなった。

 エネルギーの毛玉のような子犬の一匹は、道端に穴を掘ることに取りつかれたかのようだった。二週間で土をかきだして、穴を完成し、犬は得意げだった。つねに母犬は彼を舐め、世話をした。そして弟には乳をやった。穴が完成すると子犬は体を丸めてそのなかに収まり、寝入った。遊んでいるとき以外は、子犬は穴の中で丸まっていた。

 ある朝鉄道に沿って散歩をしたあと戻ってくると、20ヤードほど先でSUV車が曲がって未舗装の道に入ってきて、わたしの家のほうへやってくるのが見えた。道の真ん中に誰かがバイクをとめていた。それを避けるために運転手はハンドルを切って、道の端の方に車を寄せた。そのときまさに車のタイヤが窪みにはまったのである。わたしがいるところからも、哀れな叫び声が聞こえた。子犬だった。一瞬ののち、後ろのタイヤも窪みにはまった。今度は沈黙しかなかった。そしてSUV車は走り去った。怒りに駆られた母犬は吠え始めた。わたしは急いで窪みに向かった。

 母犬はクンクン鼻を鳴らしながら――犬の言葉としてわたしには理解できた――半狂乱になって、自分の赤ん坊を舐めていた。押しつぶされた子犬は前脚を少しピクピクと動かしていた。鼻と口からは血が流れ出ていた。

 わたしは子犬の傍らの土の上に坐り、最後の祈りの言葉を受け取ってくれると願ってクリシュナの名を唱えた。わたしにできることといえば、これしかなかったのだ。バガヴァッド・ギーターは、死の瞬間に至高の神を思い出す者は精神的な安住の地を得るだろうと述べている。至高なる者の名は、それ自体聖なるものである。死につつある者の魂に聖なる名前を聞かせるのは、偉大なる愛の行為とみなされる。

 母犬はわたしが子犬のことを思いやっていることを理解したのではないかと思う。わたしが唱えているあいだ、彼女はおとなしく坐っていた。数分間、子犬は弱々しくひきつらせるだけで、ほとんどじっとしていた。十分後、子犬は前脚を最後のひとあがきさせたあと、この世を去った。

 母犬はやわらかい、悲しそうな息をして、鼻を鳴らした。彼女の心の痛みの音をわたしは忘れることができない。彼女はすがるような目でわたしを見た。音も立てずに泣いている彼女をわたしはやさしく撫でた。

 それからわたしは立ち去り、母犬だけが死んだ子犬のそばに残った。彼女はこの小さな穴の上に立ち、ふたたび何度も子犬を舐めた。まるで必死に舐めたら命がよみがえると信じているかのようだった。唯一生き残った子犬は穴の横に立ち、悲しそうに吠えたてた。六時間後、母犬はなおも舐め続け、泣いていた。わたしは隣人に子犬の死骸を埋めてくれないかと頼んだ。そうしてようやく、その女性によって子犬を母親から引き離すことができた。子犬が掘った穴はそのままになった。子犬の母親も兄弟の子犬もそこから離れられないようだった。静けさが戻ってきたのは、真夜中過ぎだった。バルコニーから道路を見下ろすと、二匹の犬が穴のところで鼻をクンクン鳴らしていた。ときどき母犬は歩いてそこを離れ、また走って戻ってきた。

 母犬は人間なみの知性を持っていないかもしれない。しかし彼女が感情と愛情を持っているのはあきらかだった。そして人間が苦悩するのとおなじように犬も苦悩するのはあきらかだった。なぜ彼女の痛ましい嘆きは個人的なのだろうか。それは彼女が生命を愛する「人」だったからだと私は信じる。

 アメリカのわたしの山の寺院で牛やヤギの世話をしているときにも、おなじ感情を見ることがある。母牛と子牛の間の心のこもった愛情もしばしば見てきた。また長い冬が終わり、新鮮な春の牧草地で、乳牛や雄牛、ヤギがはしゃぎまわり、喜ぶのを見てきた。棘でケガをしたり、病気になったりしたとき、彼らが痛みを表明しているのを聞いたことがある。なぜペットへの虐待に対する法律があるのに、わたしたちは何百万もの牛、ヤギ、ブタ、ニワトリ、鴨、その他の動物が何の考えもなく、虐待され、殺されるのか。おそらくわたしたちは子犬と母犬の愛から学ぶことはたくさんあるだろう。


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