祝福の食べ物:食べ物を捧げる行為 

 食べ物は健康の恵みであり、喜びの恵みである。前述のように、バクティ・ヨーギたちは至高なる存在に食べ物を捧げ、こうして聖化されたベジタリアンの食事をとるのである。こうした食事によって食べ物がもたらす恵みに精神的な喜びが加わることになる。

 この聖化された食べ物はプラサダ、すなわち聖なる慈悲と呼ばれる。インドでは、何百万もの人々が家の中に祭壇を持っている。彼らは愛の行為として至高なる者への食べ物を準備していると考えながら調理をする。そして調理したものを皿に載せ、捧げものとして他と区別して置き、神に受け取ってくれるかどうかたずねる。愛しき者(神)に受け入れられた祈りのこもった捧げものはプラサダに変容する。そしてプラサダは家族と分かち合う。バクティ文化は世界中に広まり、多くの人々は時を超えた伝統を実践している。旅をするときでさえ、食事をする前、静かな祈りを唱えながら食べ物を捧げることができる。変化することがあるとすれば、それは神の愛だ。わたしたちは食べ物だけでなく、感謝の気持ちと信仰心を捧げなければならない。

 バクティは、料理を作ることと食べることをスピリチュアルな実践に変えることで、食べ物との関係を考え直すことができる。もっとも基本的なレベルで食べ物は聖なるものである。なぜならそれは自然から来るものであり、わたしたちを養ってくれるのだから。それなしではわたしたちは死んでしまうのだ。深いレベルでは、わたしたちが食べるものはわたしたちの意識に影響を及ぼし、それゆえ精神的な成長も促すことになるのだ。準備、奉仕、そして食べることは、パワフルなメディテーションであり、こうしたことをおこなっている間、バクティ・ヨーギたちは、食べ物自体が、至高なる者が地上に与えた贈り物から成っていることを思い出す。贈り物には日光、雨、種子、そして健康のために何を集めるべきか知っている知性が含まれている。

 
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