環境への気づかいも非暴力のうち 

 気づかいのある生活様式という広い観点を評価しようとすると、わたしたちは母なるもののひとつと多くの人からみなされている地球をどのように取り扱っているかについて、関心を持たざるをえない。どのように母なる地球を扱うかということが、みなが幸福になるかに影響を与えている。わたしはあなたがたと、環境に対するアヒンサという概念について深く考えるきっかけを与えてくれた出会いを共有したい。

 日中はやさしく、夜は刺すように寒い、それがニューデリーの冬だった。その道路は広く、巨大な政府のビル群が輪郭を作っていた。古い建物はその石柱に彫刻が施され、華美な彫像が置かれ、一世紀以上も前に英国人が作った広大な芝生があった。ほかの建物は1947年のインド独立以降に建てられたもので、古典的なインドのアーチ(迫持ち)、円柱、ドーム(円蓋)はよりインドらしいデザインだった。わたしたちは車に乗り、空港に向かっていた。境界壁の上を猿たちがはしゃぎ回り、視界に入ったり出たりした。

 わたしたちの車は、国のために戦った自由戦士の記念碑が立った草や木々の生い茂る丸い陸の島々を回った。通りは混雑していた。車、トラック、オートリキシャが排気ガスを巻き散らしていた。頭上を見ると、黄色いスモッグの黒雲が大気中にどんよりと垂れこめていた。太陽は灰色の灯りのように見えた。排気ガスは厚いかたまりとなり、道路の脇は有毒ガスのにおいがした。それらは咳止めトローチのようにわたしたちの舌の上にとまった。そのとき道路の端にしゃがんでいるひとりの老人が見えた。背筋はしゃきっとしていて、ヨーガの呼吸のエクササイズをしていた。彼が元気よく息を吸い、吐くとき、彼の胸が波打つのを見た。有毒なガスを思い切り吸うのを見て、彼のエクササイズはむしろ害悪をもたらすのではないかとわたしは思った。

 ヤムナー川にかかる橋を渡るとき、わたしは水面を見下ろした。そして三十年前のことを思い出した。はじめてインドにやってきたとき、おなじ橋の下を素朴だった頃のヤムナー川が流れるのを見ていた。いまこの川は足を挫いたかのようで、どんよりとして黒ずみ、大きな気泡が水面に顔を出していた。流れは弱く、水が流れているというより、しみ出しているかのようだった。

 わたしは空港へいきたくてたまらなかった。ヴリンダヴァンから来たばかりだった。わたしはそこへ五千人もの人々を巡礼の旅に連れていったばかりだった。フライトを待つ間、そこでほんの少しだけ静かな時間を過ごすことができると考えたのである。しかし門にいた女性が、通りの向こう側にいるのは環境と森林を保護する大臣であり、インディラ・ガンジー元首相の義理の娘、マネーカ・ガンジーだと教えてくれた。彼女がわたしと話をしたがっていると女性は言った。わたしは喜んで応じた。

わたしがうなずいたのを見て、ガンジー夫人は歩いてやってきて、わたしに「ナマステ、スワーミー・ジー」と挨拶した。楽しい挨拶のやりとりをしたあと、彼女の口調は厳しくなった。

「あなたがた精神的指導者は環境を保護するために何をなさっているのかしら」と彼女は聞いてきた。わたしは彼女の情熱を肌で感じた。これが言葉の上っ面だけの質問でないことはあきらかだった。「毎秒大気は発がん性のスモッグに汚染されています」と彼女は言った。「何トンもの汚染された下水や有毒物質が川に投げ入れられています。その川で何百万もの人々が沐浴したり、飲んだりしているのです。あなたがたスピリチュアルの世界のリーダーたちが瞑想や祈りに時間を割いている間に、地球から森は失われ、今や致死性の廃棄物のゴミ捨て場になっています。世界は環境上の大災害の瀬戸際にいるのです。あなたたが身を捧げたところで生態系を救うことができるでしょうか」

 わたしは何をしていたのだろうか。わたしは彼女に同意した。環境については、すべての人が責任を持たなければならない。もちろんわたしも含めて。

 

⇒ つぎ