内なる旅 

逆境を通じて成長する 

大きな川のもっとも大きな支流のひとつは、いつも逆に流れている。

    キャベット・ロバート 

 

ヴァルシャの旅 

(1)

 こんなにもたくさんの厳しい体験が至福の意識の領域からわたしたちを連れ出し、まわりの苦痛に満ちた世界へ押し込んでいるのに、どうしたら幸福の、満ち足りた生活を送るようになるというのか。どうしたら霊的な(スピリチュアルな)旅の一部としての危機を見るようになるのか。どうしたら辛辣になるのを避け、かわりに悲劇や極端な逆境に直面して成長しつづけられるのか。ここに普通の家族の物語がある。感謝の目を通じて見ることによって、ひどい苦難を避けるためのシェルターを見つけたのである。

 1980年代半ばのインドでは、われわれのムンバイ共同体もまだ駆け出しで、よく医学生のヴィシュワルパ、彼の妻ブラジェーシュワリ、そして彼らの子供ルーパと小さなアパートに住んでいた。彼らはスピリチュアルな論議をするために、よく教授、医師、友人を呼んだ。

 1999年までにヴィシュワルパはコミュニティ病院の筆頭理事になった。まもなくしてブラジェーシュワリは癌と診断された。遅延治療法によって寛解期に入ることができた。数年後、ブラジェーシュワリとヴィシュワルパが長い間夢に見た第二子を授かった。ルーパは大喜びだった。「わたし、いつも妹か弟がほしかったの」彼女はのちにそう語った。「15年もかかったけど、望みがかなった。待ったかいがあったわ」

 ブラジェーシュワリは産気づいた。分娩の時が近づいたとき、彼女は気を失った。陣痛の痛みは止まり、彼女は吐いた。医師は彼女に酸素ボンベをつけ、急いで集中治療室に運んだ。1時間半後、分娩が始まり、彼女は女の子を産んだ。夫婦はすでに子供の名を決めていた。慈悲の雨を意味するヴァルシャだった。

 ヴィシュワルパは急いで分娩室に向かった。分娩のあと三分間ヴァルシャは息をしなかったと彼は言われた。危険でないとは言えなかった。合併症のことは知らず、ルーパは喜びに浸って父親に抱きついた。最終的には彼女に妹ができた。

 ヴァルシャは出産集中治療室」(NCIU)に運ばれ、そこで酸素吸入器をつけられた。しばらくして彼女は泣き始めた。あたかも分娩室で何かをしなかったかのようだった。しかし激しく泣いているのに、医師たちはその理由を説明できなかった。彼らは彼女を介抱するために、ブラジェーシュワリのところに連れて行ったが、彼女はいっそう激しく、強く泣き叫ぶだけだった。彼女は右手を激しくぐるぐるとまわしていたが、それは医師たちに彼女が痛みを感じていることを教えた。

 数日後、ヴァルシャは多臓器不全に陥った。ブラジェーシュワリはNICUの窓越しに自分の赤ん坊を見つめた。それから彼女は自分の病室に戻り、泣いた。心の中で彼女は知っていた、もしヴァルシャが生き延びたとしても、普通の子供ではないことを。それにこの病気の子供の世話を誰がするのだろうか、もし自分に癌が戻ってきたなら。

「そのときは」と、のちに彼女はわたしに語った。「クリシュナがこの子をわたしたちのもとに送ったんだと理解しました。でもなぜ? この子は普通の子供ではありません。この子の誕生から何を学ぶのでしょうか。混乱したわたしたちは絶望を覚えました」

 わたしたちのムンバイ・コミュニティは彼女のサポートを呼びかけた。人々の愛を感じながらブラジェーシュワリは、娘の状態が悲劇や悲しみといったもの以上であることを確信していた。「この子がもたらされることで、コミュニティ全体の結束が強くなりました。とても神秘的なことだと思います」と彼女は言った。「この小さな力のない女の子が、いつもクリシュナのことを考えるよう手助けしてくれるのです。この子のおかげで困難なことと同様、祝福すべきことが起きていることを教えてくれるのです。こう感じることで、悲しみが薄らぎました。状況がどうなろうと、少しずつ私は神への奉仕を行うよう鼓舞されてきました」

 ヴァルシャは最初の危機を乗り越えた。そして四か月後、医師たちはMRIスキャンで彼女を診てみた。結果は悲痛なものだった。誕生時に、ヴァルシャの脳の40%が破壊されていたのである。彼女は話すことも坐ることも歩くこともできず、筋肉の動きをコントロールすることもできなかったのである。

 ブラジェーシュワリとヴィシュワルパは教師を見るようにわたしを見た。彼らが霊的な見方をわたしに尋ねたとき、わたしはヴァルシャが特別な子供で、そのまさに存在そのものが、成熟した霊的な洞察力を要求しているのだというブラジェーシュワリの考えに同意した。至高者は彼の親愛なる娘を彼らに預け、そうすることで、困難な体に住む魂のための無我の愛を培う機会を与えているのである。わたしは彼らにこの特別な奉仕の贈り物に謝意を感じるよう頼んだ。医学は限界に達していた。世界は心のない場所であり、彼らは信仰を通して大いなる意味を見つける必要があった。

 ブラジェーシュワリとヴィシュワルパは同意した。世界は残酷でも無目的でもなかった。彼ら自身の人生体験からそういったことを知っていた。深い信仰心の目で見るなら、そのような子供の魂を持つのは祝福されるべきものである。もし彼らが彼女を心の底から大事に世話をするなら、深い認識と理解が得られるのは間違いないだろう。

 のちにヴィシュワルパはわたしに語った。「超越的な観点から見ると、人生で最悪のできごとを見ることができたのは驚くべきことです。悲劇的なことが起きたとき、それは私たちにとって大きな意味があるのです」

 彼らにとって人生はたやすいものではなかった。ヴァルシャは眠ることができなかった。ブラジェーシュワリとヴィシュワルパは赤ん坊が泣くたびに何時間も起きていなければならなかった。泣き止むまで、赤ん坊をブランケットに包んで、揺らさなければならなかった。


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