これは時代の…… 

 アメリカ独立戦争のはじめ、よく訓練された、よく組織立った、よく武装された英国軍隊は、あまり訓練されていない、烏合の衆の、貧相な軍備のアメリカ民兵とぶつかった。1776年、トーマス・ペインは『アメリカの危機』と題されたパンフレットのシリーズを書いていた。それは戦争の暗黒期においても、希望を鼓舞し、民兵の戦いを維持した。わたしは彼の言葉を引用したい。というのももっとも暗い時期におけるスピリチュアル探索者にも適応できると考えられるからである。

 

今は人の魂が試される時代だ。この危機においても「夏兵士と太陽光愛国者」(訳注;都合の良い時だけ頑張る不誠実な兵士たちのこと)は、国のために尽くさなくなるだろう。しかし今、男であれ女であれ、立ち向かおうとする者は愛と感謝を贈るに値する。地獄のような虐政を簡単には打ち負かすことができない。しかし慰めになることがあるなら、戦いがはげしくなればなるほど、勝利が輝かしいということである。いともたやすく手に入れられるものは、軽く見られがちなのだ。すべてのものに価値を与えるのは「親愛」だけである。

 

 スピリチュアルな生活において、戦争のときのように、わたしたちは心の戦場における物質的条件の虐政に対して耐えなければならない。わたしたちの敵、間違った自我は簡単に打ち負かされる。しかし賞品はわたしたちの精神的自由である。そして闘いに価値を与えるのは自由の親愛である。わたしたちは力のある敵と向かい合うことがあるかもしれない。敵というのは、精神的な「無」信仰の危機、実践に対する興味の喪失、拒絶の恐怖などである。わたしたちはときおり、闘ってきたにもかかわらず、精神的進歩はほとんどないと考える。何年も修行しているのに繊細で弱いと感じるかもしれない。それはいいことなのだと思う。自我をさらしたときのみ、より効果的に戦うためにいかにエネルギーを使うべきかがわかるのだ。知識とは自分勝手の雑草を焼き払う火である。それで魂の花は咲くことになる。

 わたしはしばしば賢者の言葉がいかにすべての状況で潜在的に内在するものを見えるようにしてくれるか、いかに自分自身の困難な問題の認識を変えさせるかについて瞑想をする。著名な彫刻家ミケランジェロはこんな美しい芸術作品をどうしたら彫れるのかと聞かれて、彫っている形はすでに石の中にあり、不明瞭なところを削っていくだけなのだと答えた。わたしたちはいわば芸術作品であり、すでに「石の中にいる」のだ。わたしたちはすでに自分の内部に潜在的に愛と完全な充足を持っているのだ。賢者にとって、過去の間違った行為のカルマ的結果は、そんなに大きくない。というのも、至高の彫刻家がわたしたちを不明瞭にしているすべてのものを削ってくれるからだ。この不明瞭のものとは、わたしたちの「美」を覆っている幻影と間違った考えの堆積層のことである。魂があらわになればなるほど、「見えないものを見、触れないものを感じ、不可能を達成する能力」が必要となってくるのだ。

 不可能な任務と思える一部は、雑草のような自我を横に動かし、聖なる愛の種子は、感謝の念と謙虚さでやわらかく、肥えた、あるいは精神的実践という水が与えられた心の中で育つだろう。感謝あふれる心で、愛の木は深く根を張り、嵐の天候のなかでさえしっかりと耐えるだろう。


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