木の教え 

 聖なる愛の化身としてバクティの教えを受け入れたシュリー・チャイタニヤは、15世紀のベンガルの聖人の役割を担っていた。聖典の予言、歴史、聖人の長い伝統は彼の聖性を支えた。彼は、聖なる愛は「草の葉より慎み深く、木より我慢強く、見返りを望まないで他者に敬意を払った」者たちに近づくことができると教えた。これらの質を育てることで、心は肥沃な畑になり、そこに聖なる愛の花が咲くのである。

 では類推の木にもっと近づき、他者の幸福のために、いかに不便に耐え忍ぶかを見てみよう。木々は燃える夏の太陽のもと、直接日光を浴びながら立っている。木々はおなじように日差しに苦しめられているものたちに、陰を提供する。ひどく寒い冬も、氷に覆われた木々は、森としてわたしたちにぬくもりを与える。乾季も、マンゴの木は何か月も水を得られなくても、わたしたちの喉を潤すジューシーな果実を提供してくれる。木が切り倒されるとき、抵抗することなくその体を、つまり木材を建築のために、枝や幹を燃料のために犠牲にしてくれる。

 

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