聖なる愛の種子 

 シュリー・チャイタニヤは、聖なる愛の種子はすでにすべての生きるものの心の中にある、しかし間違ったエゴ(自我)の殻に覆われている、と教えた。そのエゴは、奉仕するよりもコントロールしたがり、愛するよりも利用したがる。この硬い殻に覆われたエゴにとって、殻を破るのがむつかしいが、もし法悦の愛の種子を放出して成長させたいのなら、破らなければならない。

 バクティの教えによれば、至高者と愛あふれる下僕(しもべ)のいつくしみによってのみエゴの硬い殻を破ることが可能である。どうやったらこのいつくしみが得られるのか。わたしたちは真にこれを欲しなければならない。サンスクリット語で、この至高者を愛し、奉仕したいという強い気持ちはラウリヤム(laulyam)と呼ばれる。困難な時代の火は、自己満足からわたしたちを救い出し、聖なる愛のパワーを欲しがる気持ちを強める。

 わたしたちの多くは精神的自己満足の硬い殻に閉じ込められたままだ。硬い殻を破る火は燃える誠実さである。誠実さはしばしば困難な時代の火によって落とされる。危機は実際に重要なことに集中するのに磨きをかける。そして重要な局面で至高者に対して忠実なとき、危機の経験がこまかいことへのとらわれを焼き払う。

 29歳のとき、ふたりの医者がわたしに六か月以内に不治の病で死ぬだろうと言った。突然多くのことが重要でなくなった。何が本質的であるかがわかった。すなわち神との関係、愛した者たちとの関係、そして健康である。一日に1ガロンの水を飲み、一年間厳格な食生活を送り、病が治った。この試練はわたしの意識に大きなインパクトを残した――それはなおもわたしに影響を与えている。

 もし感謝しつつ、寛容な態度を取るなら、そしてそれが、わたしたちがけっして見捨てられないこと、いつも守られていることを思い起こしてくれるなら、直面するかもしれない心痛いできごと、あるいは望まないできごとは、不必要な執着を除去し、魂の中の愛の種子を育むだろう。

 

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