ナチの変移
以下の物語をわたしは分かち合いたい。世界の歴史のなかで、もっとも野蛮な、悲痛な思いをさせる時期でさえ、残虐と苦悶、死に囲まれた希望のない人々が、神の恵みを探し求めたという話である。
この物語を語ったのはわたしの親友のひとりである。彼の父親はナチ親衛隊の将校だった。彼は残忍な使命を帯びて、管理運営の手伝いをするために強制収容所に派遣された。仲間の将校のひとりが奇妙なものに気がついた。ガス室の壁の汚水槽の内側に、一連の蝶の絵が描かれていたのだ。いったいどういう意味なのだろうか。
彼の好奇心は高まるばかりだった。ついに彼は囚人のユダヤ人にそのことについて尋ねた。拷問を受け、やせ細った受刑者はじっと汚い、血まみれの床を見て、悲しそうに頭を振っただけで、何も言わなかった。それから男は顔を上げ、まっすぐ将校の目をのぞいた。男の表情は希望に輝いていた。彼は小声で蝶の絵の秘密の意味を明らかにした。
絵の中で芋虫が土の上を這い、くずを食べていた。いつ何時、踏み殺されても、鳥に食べられてもおかしくなかった。それから小さな虫はあがきながら、繭のなかに閉じ込められた。しかしその試練を通して芋虫は変身して蝶になり、大空に飛び立つのである。それから蝶は純粋な神の飲み物のみで生きていく。
「私たちは信じているのです」とユダヤ人の囚人はナチの将校に語った。「あなたがたの残酷さにもかかわらず、神の信仰によって、自由の地へ蝶のように魂が放たれると。わたしたちは神のめぐみの花々からネクターを飲むのです。そして私たちの苦しみが終わるとき、あなたがたは自身の残虐行為によって苦しむことになるでしょう」
将校は困惑した。友人の父親が仲間の将校からこの話を聞いたとき、彼および彼の国が信じ込まされてきた、ユダヤ人は危険な下等人間だというプロパガンダが泡のごとくはじけ飛んでしまったのである。彼は突然、そんな考えを支持し、ゲシュタポのためにやってきたことがどんなに常軌を逸しているかわかったのである。彼がそれまで殺してきた人々が深い洞察力を持った、特別な、敏感な人々であることに気がついた。残りの人生ずっと、ひどい悪夢を見つづけ、良心の呵責を感じながら生きていくことになるのだと理解した。
彼の息子は、同世代の多くのドイツ人と同様、無知な良心に対して反抗的で、必死に意味と真実を探した。そしてついに彼はバクティの道を発見した。彼は最高の友人である。彼はユダヤ人殺しの息子であり、わたしは叔父、叔母、いとこがナチによって拷問され、殺されたユダヤ人の息子である。しかしわたしたちの愛情は深く、心はひとつだった。
わたしたちは世界の残虐行為に対して立ち上がる必要がある。おなじ考えを持った、思いやりのある人々は宗教・宗派を超えてひとつになり、真の自我を基盤とした真の変化を求めるようになる。どんな役割に自身を見つけようとも――母親、父親、政治家、農民、エンターテイナー、店主、企業家、学生、牧師であろうと――あなたの心を開放し、浄化しようという声に、またあなたの言葉や模範によって世界の真実の冨を分かち合おうという声に耳を傾けよう。世界はそのようなリーダーシップを待ち望んでいる。『バガヴァッド・ギーター』(3.21)にも言う。「どんな行為であろうとも、偉大な人物がおこなえば、一般の人々はそれに従う。そして彼らが模範的な行為を示せば、すべての人々がそれに従うだろう」
覚醒したリーダーになるべきだ。世界において行動で示すといい。しかし誠実さといつくしみの土壌の中に保たれたあなたの価値を守るという意味で、自己中心的な誤認を越えていくがいい。