見えない力がいかにわたしたちを駆り立てるか 

物質自然は徳、激情、無知という三様式で成り立っている。剛勇の士、アルジュナよ、生命体が物質自然に交わるとこの三様式によって束縛される。

   バガヴァッド・ギーター 14.5

 

 いい判断に対してさまざまなやり方でわたしたちを駆り立てる、宇宙における目に見えない物質的な力とは何なのか。バガヴァッド・ギーターは三つのグナ、すなわち三つのロープについて述べる。グナには縛るという意味があるのだ。目に見えない力、グナは「質」や「様式」といった意味もある。心(マインド)の枠組み、言葉の選択、行動によって、わたしたちは特別なグナやグナの組み合わせを選択し、その影響下に入る。

 三つのグナの最初はサットヴァ、徳(善行)である。『バガヴァッド・ギーター』はそれを「照明する」ものとして描く。この様式の影響を強く受けた人々は、純粋、知識、平和、幸福に気持ちが傾きがちである。二番目はラジャス、激情の様式である。それはわたしたちを激しい仕事へと駆り立て、できるだけたくさんのことを達成させようとする。それは挑戦や報いを求める感情を増幅させる。三番目はタマス、無知の様式である。それはわたしたちを嫉妬、憎悪、怒り、無情、冷淡、そしてより致命的な段階の狂気、自殺へと引き込もうとする。『バガヴァッド・ギーター』(3.5)は言う。「人はすべて好むと好まざるとにかかわらず 自然界の性質(グナ)から来る推進力で ただの一瞬といえども 活動せずにはいられないのだ」

 人々はいかに様式に影響されるかを基本として状況に反応する。異なる人々が反応するだけでなく、おなじ状況を違った角度から目撃する。三様式は物質的なもの、微細な形のものすべての物質に充満する。ちょうど三つの原則的な色――赤、黄、青――が混って他の色の広範囲のスペクトラムが生み出されるように。徳(善行)、情熱、無知がこのようにブレンドされて、わたしたちが見る物事や振る舞い、態度への数えきれないほどの影響の組み合わせが生まれる。

 こういった影響を見るのは簡単だ、たとえば食べ物に。『バガヴァッド・ギーター』(17.8-10)は言う。「徳の様式の人に好まれる食物は寿命を伸ばし、体を浄化し、そして力、健康と幸福を増す。そのような食物は水分が多く、脂肪分に富み、健康的で心に喜びを与える。苦味、酸味、塩味が強く、辛く、刺激性で、乾燥していて、そして焦げている食物は激情の様式の人に好まれる.そのような食物は苦痛、傷み、病を増す。食べる三時間以上前に料理され、味がなく、腐敗していて、悪臭を放ち、食べ残しや触るべきでない物が入っている食物は無知の様式の人に好まれる」。

 『バガヴァッド・ギーター』はたくさんの事項を、あるいは行為を、たとえばどれだけ施しを与えているかについて分析する。見返りを求めることなしに、つまり純粋にだれかを助けたいという気持ちから施しをするのは、徳(善性)のなせることである。しかし自分自身のために施し物を与える行為は、得るものが利益であろうと、名声であろうと、けちけちした施しであろうと、それは激情のなせることである。不純な何かを与え、贈り物がどんな影響を与えるか考えることなく、あるいは利益をもたらさない贈り物であろうと、無知のなせることである。

 場所もまた様式の影響を受ける。図書館は心が静まり、集中できる場所である。だからきれいで、静かで、(照明が)明るく、すべてのサットヴァ(徳)の質がうまくいっている。ニューヨーク株式市場のフロアのようなラジャスな場所で、あるいはタバコの煙が充満した騒々しい居酒屋のようなタマスな場所で勉強してみよう。わたしたちは置かれている環境の影響を受けやすい。なぜなら様式の影響を受けているからだ。いかなるときも成し遂げようとするものへつながる場所を探し求めるのは当然のことである。瞑想をするために居酒屋へ行く人はほとんどいないだろう。人々は自然と緑があり、少なくとも清潔で平和な場所を探すだろう。というのも一般的に霊的な実践はサットヴァ(徳)的だからである。サットヴァ的環境のもとではそれは霊的活動をする手助けをする。というのもそのような環境は明晰な頭と心へとつながるのである。

 心の内の様式のミックスは、この世の選択と同様、過去世のわたしたちの興味と願望を反映している。観察と熟考によってわたしたちはどの様式が目だって振る舞いに影響を与えているか認識することができる。

 しかしもっとも重要なことは、行動そのものよりも、行動の背後にある意図である。それがもっぱらその本質をあきらかにするのである。それゆえおこないによってあわてて他者のことを決めつけないほうがいい。うわべだけで判断すると、間違った結論に至ることがある。たとえば、一生懸命に仕事をすることは、激情の様式だが、かならずしも必要とはかぎらない。それは自分勝手、つまり仕事の背後にある物質的なものに執着しているのであり、ラジャス的である。

 徳(善行)は維持によって、激情は創造によって、無知は破壊によって特徴づけられる。思慮深い人々は健全で、益のある結果をつくることで激情と徳(善行)とのバランスを取る。そして彼らは激情が不健全な、破壊的な結果を、あるいは習慣を作り出す無知の様式の影響を受けないように守るのだ。

 

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