内なる旅
神の恵み
わたしへ身をゆだねた程度に応じて
わたしは人々に報いる
バガヴァッド・ギーター 4.11
タラバイの贈り物
(1)
聖なる愛は比類のない贈り物であり、一生、精神的修練したあとでさえわたしたちは覚えていないかもしれないものである。そのような愛が、誠実で、献身的な心を持った人々にのみ明かされる。わたしたちをこの真実に近づけること。ときには人生における小さなことがわたしたちの心を開く。そして日々の情熱と悲しみ以上の何かがあることを評価するようになる。わたしにとってこうしたことのひとつは、信じ難い出会いだった。またもインドでのことである。
ある日12人ほどの村人が8時間のバスに乗ってわたしに贈り物を届けるためにやってきた。もしあなたが村と村を結ぶインドのバスに乗ったことがあるなら、これがいかに難儀なものであるか認識できるだろう。なぜ彼らがわざわざそんなことをするのか、不思議でならなかった。
彼らは到着すると、わたしの小さな部屋にどやどやと入ってきた。そして床の上の藁のマットの上にみんな坐った。女性たちは色あせたコットンのサリーを着て、男たちは油じみたバギーパンツにシャツといういでたちだった。彼らの顔を見ると、天然痘の痕がある者もいれば、日に焼けている者もいた。彼らが笑うと、多くの者は歯を失っていて、一本もない者もいた。彼らは貧しい農民だった。生活の糧は小さな地所から来ていた。長年の旱魃が彼らにパンチを食らわしていた。彼らは昼も夜も一生懸命働いた。しかし土地は硬く、乾いていて、何も生み出さなかった。ほとんどの井戸は干上がり、何キロも離れたところに足しげく通い、水を入れた甕(かめ)を頭の上にのせて運ばなければならなかった。多くの人は他人の田畑で働いた。そのために夜明け前に家を出て、何キロも歩かなければならなかった。しかし家族がなんとか生きていけるだけの小麦しかもらえなかった。
みなで坐りながら、この貧しい人々はほんのわずかな恵みの雨をどのように祝うだろうかとわたしは考えていた。何年もの間、それはやってこなかったのだ。何人かはわたしの生徒だった。贈り物を持ってくるために彼らはたくさんの困難を切り抜けなければならなかった。贈り物は何なのだろうと、わたしの心はときめいた。それは何か驚くべきものに違いない。
それは村の貧しい女性、タラバイからの感謝のしるしの贈り物であると彼らは自慢げに語った。タラバイ自身は病気が重く、ここに来ることはできなかった。彼らがそれを贈ることを同意したのは、彼女へのリスペクトからだった。南京袋から彼らが引っ張り出したのは油まみれの布のシーツの束で、その頂は内側から結ばれていた。ひとりの女性が結び目をほどき、わたしの前にうやうやしく贈り物を置いた。村人たちはわたしの反応をじっと見ていた。もちろんわたしが喜ぶのを願っているようだった。この贈り物は彼らにとってかけがえのないものだった。もしそれがダイヤなら、彼らが熱中することはなかっただろう。いままで受け取った贈り物とは違って、深い意味のあるものだった。
心の目で見ると、でこぼこの道は村に続いていた。ムンバイから来たグループとわたしはジープが穴に突っ込むたび、ジャンプしたり、投げ出されたりした。人里離れた村に着くまでに何時間もかかってしまった。到着したとき、村人の熱烈な歓迎を受けた。彼らはドラムをたたき、シンバルを鳴らし、踊った。アメリカ生まれのスワーミーどころか、外部から人が来ること自体稀だった。わたしにとってはほろ苦い訪問だった。彼らの生活はあきらかに戦いだった。しかしわたしの隠れた目的は、タラバイに会うことだった。