カルマと輪廻転生
第1部 カルマの真実
わたしは歴史的な断片であり、前後のテキストが脱落してしまったために抜粋を残したかのように感じている。過去何世紀にもわたってわたしは生きてきた、そしてまだ答えることのできない問いと出会ったかのように想像している。わたしは再度生まれる必要があった。なぜなら与えられた仕事をわたしは完了していなかったからだ。
――カール・ユング
愛の普遍性
一生を通じて行動すべき格言はあるだろうか。たしかに心を思いやる格言がある。すなわち自分にしてほしくないことを、他人にするな、ということである。(己の欲せざることは人に施すなかれ)
――孔子
黄金律がなくなれば、カルマは気づくものである。すなわち、己の欲するところ人にもこれを施せ。いつの日かそれはあなたに返ってくるのだ。カルマはサンスクリット語で「行為」「活動」「言葉」「行動」を意味する。昔から教えられてきたように、カルマの法則は、あるいはわれわれの思考や言葉、行動は――ポジティブであろうとネガティブであろうと――因果の連鎖をつくる。そしてわれわれは始動させたあらゆる原因の結果を個人的に体験する。それゆえカルマは、他者にあげたよいものを、わたしたちに戻してくれるもっとも大きな後ろ盾なのだ。それはまた、失敗から学ぶことを許してくれるもっとも偉大な教師でもある。
カルマの法によって、考えであれ、言葉であれ、行為であれ、あげたものが戻ってくるので、それを罰ととらえる人もいるかもしれない。実際はそうではない。カルマの法は愛の法である。行為の――あるいは非行為の――結果を理解する機会を持つこと以上に偉大な愛はない。こうしてわたしたちの心は成長するのだから。カルマはほかに何もないとき、ひたすら愛することを教えてくれる。それは希望を与えてくれる。
例としてアヴィアンカ航空052便の悲劇的なケースを見てみよう。1990年、コロンビア発の航空機が長時間に及ぶ飛行のあと、ジョン・F・ケネディ国際空港に着陸しようとしていた。航空管制官は悪天候を理由に着陸を1時間17分延期することに決定した。しかしジェット機の燃料が底をつき、機体はニューヨーク州コーブ・ネックの丘の斜面に激突した。73人の犠牲者と85人の負傷者が出た。
国家交通安全委員会は、管制塔とのやりとりのミスだけでなく、交通流管理の失敗が大きな原因のひとつであると述べた。乗務員は燃料の危機的状況について管制塔と十分な話し合いをしていなかった。この状況から彼らは緊急着陸を試みるしかなかった。公式のコックピット・ヴォイス・レコーダーによると、航空管制官との通信を担当している副操縦士は、機体の燃料が十分でなく、機長が彼に緊急事態であることを知らせるよう命じていたにもかかわらず、彼はその言葉を口にしなかった。
カルマの言葉で言えば、副操縦士は少なくともこの便に乗っていた乗客乗務員の死や負傷に関する責任を負っている。この事故で命を落とした彼がどうやって彼の怠慢により犠牲になった人々に償いをすることができるだろうか。神は彼を地獄に落とすだろうか。
因果応報の法、つまりカルマの法によれば、ひとつのシナリオがある。彼は慈悲によって輪廻転生することが許され、犠牲になった人々のために奉仕するポジションに就いて働く機会を得るのである。この事故によって人生を端折ることになった乗客もまた、別の人生を生き、魂の旅を成就する機会が与えられるのである。
一回の生涯では、それが9年であろうと99年であろうと、カルマの負債を支払うには、あるいは大きな潜在的な能力を発展させるには、または存在の根拠を満たすには十分ではない。どうしたら精神的なレッスンを学ぶことができるだろうか。一回きりの人生で生のステージにおいてユニークな才能をどうシェアすべきだろうか。
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