はじめてケサルの語り手に会ったアレクサンドラ・ダヴィッド=ネール 

宮本神酒男 


カム地方に長期滞在したシェルトンとラダックを調査したフランケ 

 私は最近、19世紀から20世紀初頭にかけてチベットを探検した、あるいは滞在した人の著書を読み漁って、ケサルの語り手か、関連した文化についての記述がないか目を皿のようにして探しています。

 20世紀初頭(1904年から1922年)にカム地方に長期滞在し、チベットの神話伝説を収集した医師兼宣教師アルバート・シェルトン(不幸にも、山賊に銃で撃たれて不慮の死を遂げました)なら語り手に会っているに違いないと思って、伝記本や自伝を読んでいるのですが、なぜかケサルの名は出てきません。このあたりは昔からケサルがさかんな地域なのに、それが目に触れていないのは奇妙なことです。(あらためて分布図を見ると、シェルトンが長期滞在したバタンにはケサルの語り手がほとんどいなかったことがわかります。本当に出会わなかったのかもしれません)

 ラダック版ケサルを紹介したのは、モラビア教会の宣教師であり、チベット学の先駆的存在であるアウグスト・ヘルマン・フランケでした。1901年と1902年に、シェー・バージョンとカラツェ・バージョン(シェーとカラツェはラダックの地名)の「ケサル・サーガ」を刊行したのです。この翻訳によってラダックやバルチスタン(パキスタン北部)に流布しているケサルの形態がよくわかるのですが、文献学的な成果であり、実際にどのように歌われていたか、語られていたかはよくわかりません。


⇒ つぎ 






シェルトンは20世紀初頭、チベット東部に滞在し民話を収集した。
しかしケサルと接したという話は聞かない。





フランケが著わしたラダックのケサル