(2)アレクサンドラ・ダヴィッド=ネール、ケサルの語り手と劇的に遭遇
さて話を戻しましょう。アレクサンドラがはじめてケサル物語と遭遇したときのことを書いています。
ある日、村の中を散歩していると、突然近くで騒動が勃発した。手に刀を持った大男が家から飛び出してきて、通りを疾走し、そのあとを20人ばかりの男たちが追いかけていたのだ。女たちもおなじ家から飛び出してきたが、ある者は泣きわめき、ある者は笑っているというありさまだった。みな興奮していて、甲高い声で叫んでいた。
私はそのなかのひとりに近づいた。
「何が起きたの?」と私はたずねた。「だれか殺されたり、傷つけられたりしたのかしら? 走っていった男は頭がおかしいの? それとも酔っぱらっているの?」
「そんなんじゃないわ」と善良そうな女は答えた。「彼はディクチェン・シェンパなのよ」
ディクチェンとは、チベット語で大罪人という意味である。この狂乱者はちらりと見ただけだが、見かけ上は聖人と真反対だった。いったいどういった理由で並外れた罪人という烙印が押されたのだろうか。
彼の名前の一部はシェンパ、つまり屠殺人という意味である。このことから私は彼が職業を実践しているのではなかろうかと考えた。チベット人は彼を罪人とみなすのだ。肉食を忌み嫌うチベット人はほとんどいなかったが。
「なるほどね」と私は言った。「走っていた男は屠殺人だったのね。でもどうして手に刀を持って走っていたの?」
「屠殺人じゃありません!」と女たちは唱和した。「彼はディクチェン・シェンパ、ケサル王の大臣です。彼はホル戦争の一節を歌っているのです。そしてケサルの敵であるクルカル王が少年としてこの村に転生したのです。先の戦争の記憶がよみがえったので、彼は刀を抜き、王の敵を殺そうと考えたのです」
「こんなのはいつものことですよ。お酒を飲みすぎるとすぐに暴れ出すのです」と女のひとりが笑いながら付け加えた。「恐れを知らない男たちが彼を取り押さえてくれるでしょう。彼は子供に触ることもできないはずです」
彼女らはホル王の転生について、一斉にわめくように声を上げて説明しようとした。ばらばらに何かを主張するので、混乱して、何を言っているのかよくわからなかったが、このキルク(ジェクンド)にひとりの男の子がいて、噂によれば、数多くの前世のひとりがケサル王の敵であったという点は理解できた。そして近隣にリンの英雄の物語を歌うことのできる語り手がいることもわかった。
男が刃物を持ってだれかを追いかけているわけですから、アレクサンドラが殺傷事件かと思うのも無理はありません。この酔っ払いにはディクチェン・シェンパの霊が降りていたようなのです。ディクチェンとは、大悪人、シェンパとは屠殺人という意味です。
彼がケサル物語の中のシェンパ・メルツェであることは、村人のだれもが知っていました。シェンパ・メルツェはもともとホル国の大臣であり武将でした。ケサル王は自分が不在のあいだにリンの国に侵攻し、王妃を奪ったホル国を倒します。ケサル王はホル国のクルカル王を殺し、王妃を奪い返しますが、シェンパ・メルツェは腕が立ち、民衆からの支持もあったので、殺すかわりに味方に引き入れたのでした。ふだんメルツェはホルの王(あるいは総督)としてホル国を統治し、他国(たとえばモン)を攻めるとき、ホル軍の兵士とともに ケサル率いるリン・ホル・ジャン大連合軍に参加するのです。
この翌日、アレクサンドラはケサル王物語を見に行きます。
語り手は、彼が逃げ出したその家で「独演会」を開いた。彼が私の前にさっそうと姿を現した日の数日後、彼の歌と語りを聴くために集まった女たちの間をすり抜けて、彼の面前に出た。
固められた地面の上に座布団や絨毯の端切れを置き、その上に人々は座った。部屋の半分以上は敷物によって埋められていた。地面の上にも直接男たちが座り、敷物に坐った人々と向かい合った。この聴衆の中央で、先日怒りまくっていた男がときどき仕草を交えながら、歌っていた。そして彼は頻繁に、目の前の低いテーブルの上に置いた紙に視線を当てていた。
存分に彼を見ることができるいま、カムで流行している、巨体でかつ、スポーツ選手のようであるという美的基準からいって、彼がいい男であることがわかった。この語り手は必要とされる基準に達しているどころか、ハンサムな男だったのだ。彼の誇り高い、力強い顔立ち、輝く大きな茶色の目。それはときおり激しく、傲慢にひらめいた。そしてときどき驚異の幻像の世界を映しだし、そのことが信じられないほどの表現力を与えていたのである。
彼のメロディアスな節回しはときおり擬音によって中断した。彼はそれを強調しながら歌い、ケサル王物語の主要人物が登場するときは、トランペットが華々しく吹奏されるシーンで擬音を使った。
ル・タ・ラ・ラ! アッラ・ラ・ラ! タ・ラ・ラ!
それからイーリアスの英雄たちのように、登場人物はひとりずつ称号を名乗り、功績をあげて自己紹介をする。
「もしあなたが私のことを知らないなら、私がいかに華々しい人物であり、その刀は雷光よりも速く、百万の敵兵の首を斬ることができることを学ぶべきだろう」
そういった大言壮語が等しく並ぶのである。
私にとっては不幸なことに、語り手はカム方言で物語を歌った。
このことは、つまり、歌われた内容を理解し、追うのが困難であるということだ。それは省略が多く、たんに節を長くするために母音を加えることもあった。さらには聴衆が何度も「オム・マニ・ペメ・フーム」というマントラの合いの手を入れ、流れが中断するため、筋を失うこともあった。
この「独演会」は興味深いことばかりで、激しい郷土色もついて、魅力が尽きることはなかった。しかしもし本格的にケサル王伝説を研究するのなら、もっとほかの方法があるはずだ。第一に、幸運の星が、ケサルの語り手を私の手の届くところに運んできたのである。それならば、私の家に来てもらって、歌ってもらおうではないか。さらにはケサル王物語のテクストをもっと手に入れられるはずだ。そしてのちには、もっとたくさんの語り手を探し、彼らが順繰りに歌うのを聴くべきだろう。
刀を振り回していた男にはディクチェン・シェンパが憑依していたわけですが、翌日ケサル王物語を見に行くと、なんとこの男自身が語り手であったというのです。ケサルの語り手の多くはシャーマンでもありますから、神霊が憑依するこのディクチェンが語り手であっても不思議ではないのです。
この語り手(ドゥンパ)は真っ白の紙を見ながら語り、歌います。物語をどこに見るかは語り手によって異なります。鏡(多くは銅鏡)を見ながら語り歌う人は、かつてはけっこういました。現在もこの手の語り手がいると聞いたことがあります。
夢の中で物語をもらうケサルの語り手もけっこういます。あとで詳しく述べるツェラン・ワンドゥもそうです。神がかったり、夢の中で物語をもらったりするタイプの語り手を神授型語り手(バプトゥン)と呼ぶことがあります。注目すべきは、彼らの語り手のなりかたが、シャーマンのなりかたに酷似していることです。
さてアレクサンドラはケサルについてもっと調べるべきだと感じ、語り手(ディクチェン)に、個人的に会ってもらえないかと申し込みます。そしてなんとかパフォーマンスを見せてもらえることになりました。
ついに「独演会」がはじまった。催眠術にかかり(そう見えた)白い紙を前にした偽ディクチェンは、無尽蔵の情熱をこめて詠唱をはじめた。私と息子のラマは懸命に内容を書き留めた。このようにして、日々の独演会は6週間以上にわたっておこなわれた。
語り手は普通の人ではなかった。彼の人生は、社会的に見ればつつましやかなものだったが、神秘的な面を持っていた。村人たちが言うには、彼はときおり長い期間、姿を消してしまうことがあったという。彼がどこに行ったか、だれにもわからなかった。キルク(玉樹)は広大な荒野に囲まれていたので、人目につかないようにするのは難しいことではないだろう。しかし語り手はどうしてそのように消えてしまうのだろうか? 私はこの質問をぶつけてみた。
最初彼は話そうとしなかった。ようやく重い口を開き、精霊、あるいは神々に会いに行くのだとこたえた。彼は慎重にウソをついているのだろうか? 私は絶対にウソではないと思っている。彼は幻覚の世界のなかにいて、歩き、どことも知れぬところへ行き、おそらく数々の冒険を夢に見て、戻ってきたときにそれを思い出す。こういった現象はチベットの地域によっては頻繁に起こるのだ。
あるいは、おそらくキルクから離れた山中に隠れた庵があり、そこへ行っているのかもしれない。そして彼の想像の世界の中で神に近い聖人が現れるのかもしれない。たくさんの推定が成り立つだろう。偉大なるチャンタン高原は神秘の地なのだ。
この語り手(ディクチェン)に関する不思議な話はつづきます。
アレクサンドラが中国人の作った紙の花をプレゼントすると、ディクチェンは国王(ケサル)に贈るとこたえました。その数日後、どこかから戻ってきたディクチェンは、国王からの素敵なお返しをアレクサンドラに渡しました。
数日後、ケサルの宮殿を訪ねてきたという語り手は、私に青い花を手渡しながら、厳粛にこう言った。
「これはあなたの捧げものに対する国王からの感謝のしるしである」
それは新鮮な花だった。季節は真冬だった。キルク周辺の谷間では、温度計は零下20度から30度を指していた。地面は地中深くまで凍り、山は深い雪に覆われていた。ディチュ川(揚子江上流)は2メートルの厚い氷に下敷きになっていた。
青い花は7月頃沼地に咲く種類のものだったが、その季節でさえ、キルク近隣では見られなかった。彼はいったいどこでこの花を手に入れたのだろうか? 私の従者が「神聖なるケサル王が(私に)花を贈った」と話すと、チベット人たちはぞろぞろとやってきて、この青い花を崇めていった。この花がどこからやってきたか、ついに謎のまま終わってしまった。
『パリジェンヌのラサ旅行』のなかでも述べられているので、有名なエピソードといえます。このマジックの種はわかりませんが、シャーマンのなかにはマジシャンのような人がいるのはたしかで、私も何人か会ったことがあります。
(たとえば水木しげる氏を連れて行ったミャンマーの治療師や、ネパールのタマン族の葉っぱをトカゲに変えるシャーマンなど)