夢の中で物語を授かるケサルの語り手 

宮本神酒男 


 私がケサル物語に興味を持つようになったきっかけは、ツェリン・ワンディと会ったことです。私は当時、いまもですが、シャーマニズムに興味があり、シャーマンについての本を読んだり、シャーマンに会ったりしていました。

 典型的なシャーマンの姿があります。それは若い頃(多くは十代半ば)、病気になったり精神的な危機を迎えたりしたあと、師匠(グル)や守護神からイニシエーションを受けることによって、狂気の道に進むことなく、トランス状態をうまくコントロールできるようになるのです。

 ツェリン・ワンディもまったくおなじコースを歩んだのです。シャーマンになるように、彼は神授型の語り手(バプドゥン)になったのです。直接聞いた彼の生涯についてまとめてみましょう。

 彼は1936年頃、チベット自治区安多(アムド)県内の大草原の遊牧民の村に生まれました。8歳のとき、カザフ族の匪賊によってテント村(野営地)が襲撃され、父や兄弟ら家族、親族の多数が殺されました。母も内臓が出るほどの大怪我をし、すぐにではありませんでしたが、息を引き取りました。死ぬ前に母は息子に、チベット各地の聖地を巡礼するように言いました。家族を失ったツェリン少年は8歳にして放浪の旅に出ることになったのです。

 なぜカザフ族なのだろうかと、私は長年疑問に思ってきました。当時いろいろと調べて、カザフ族が南下してきたという記述をどこかで見たのですが、いまひとつピンときませんでした。しかしこのこと(カザフ族の移動)について詳しく書かれた本が出たのです。それは松原正毅著『カザフ遊牧民の移動 アルタイ山脈からトルコへ 19341953』という本で、アルタイ地方のカザフ族が難民となって長期間移動しつづけ、ついにはトルコにたどりつくというドキュメント的な本です。

まず驚いたのは、ツェリン・ワンディに会う寸前(1997年)、私はたまたまアルタイのカザフ族の地域を訪ねていたことです。カザフスタンとの国境に近い地域に大シャーマンがいたのですが、亡くなったことがわかったため、かわりにアルタイのハナス湖に行きました。この時期に立ち寄ったアルタイ市では、カザフ族の歴史学の教授に会ってカザフの歴史について教えてもらっていたのですが……。

 この本を読みますと、たしかにこの時期(1944年)に彼らは安多に来ているのです。しかし彼らが遊牧民を襲撃したとか、現地の人と戦ったとか、そういった記述はありません。むしろどこに行っても煙たがられ、歓迎されず、迫害される様子が描かれているのです。だれかがウソを言っているのでしょうか。(ウルドゥー語の権威である麻田豊氏によると、ウルドゥー語の「カザク」にはゴロツキとか悪党といった意味があるそうです。パキスタン国内も通過しているので、その間にトラブルを起こしたのかもしれません)

 13歳のとき、ツェリン少年は聖なるナムツォ湖を歩いて回っていました。チベット人は聖なる山、聖なる湖のまわりを五体投地しながら、あるいはマニ車を回しつつ真言を唱えながら回ります。これも巡礼なのです。たまたま3人の巡礼中の若い娘たちといっしょになりました。

 突然、湖上に馬に乗った武将の姿が見えました。そしてしばらくすると彼は昏倒してしまったのです。七日七晩、うわごとをつぶやきながらも、目が覚めませんでした。少女たちが介抱してくれたおかげで、なんとか命をつなぐことはできました。

 少しよくなったところで、娘たちは順繰りに少年を背負い、大きな寺(レティン寺ということです)の活仏のもとにつれていきました。少年は依然としてブツブツと訳の分からないことを口にしていました。

 活仏はいわゆる脈管の浄化の儀礼を施しました。私は長年レコン(青海省同仁県)に通い、シャーマンであるハワ(lhapa)の選定の様子を見てきました。ハワの候補が絞られたあと、最終的に活仏が選び出し、最終候補者のために同様の「脈管を開く」(ツァゴチェ)浄化の儀礼をおこないます。つまり似ているだけでなく、シャーマンになる過程と語り部(パプドゥン)になる過程は、一部重なるのです。

 この儀礼がおこなわれたあと、少年の混沌としたつぶやきは次第に話として形を整えるようになりました。そのうち少年が話しているのは物語であることがわかってきました。それはケサル物語だったのです。ケサルの語り手の誕生です。最初に語ったのは、「カチェ・ユゾン」(カシミールのトルコ石城)だったといいます。夢の中にこの物語が出てきたのです。

 それから毎晩のようにツェリン少年は夢の中で物語を授かりました。物語は小説家が筋を考えるようにして作られるのではなく、できあがったものが夢の中で与えられるのです。まるで「眠れる予言者」エドガー・ケイシーのようです。しかしいったいだれから物語をもらうのでしょうか。神? 神であるならそれはどんな神なのでしょうか。

 だれが与えるのかについては、曖昧模糊としています。神(lha)だとしても、それは一神教の神ほどには力をもっているわけではありません。梵天(ブラフマー)かもしれません。この梵天はヒンドゥー教起源で、天界では最上位に位置しますが、絶対的な力を持っているわけではありません。チベット人独特の言い回しの「自ら生まれた」物語と言ったほうがいいかもしれません。

 楊恩洪氏によると、夢の中で物語をもらうタイプでみると、はじめて神授されたのは、ツェリン・ワンドィの13歳のほかは、9歳、16歳、15歳、13歳などとなっているそうです。16歳になるまでに、みなツェラン少年のような体験をしているのです。これは、シャーマンになるときの精神的危機の段階である巫病(shamanic sickness)とほぼ同一の現象と言えるでしょう。(たとえばネパールのタマン族のボンボと呼ばれるシャーマンのひとりは、十代の頃精神的に錯乱し、一か月以上野山を駆け巡った。そのあとグル・ボンボという森の精霊の手ほどきを受け、トランスをコントロールできるようになり、ちゃんとしたボンボになった)

 ケサルは前代未聞の危機的状況に追い込まれたことがあります。それは文化大革命です。先に述べたように、ツェリンはケサル帽をとられてしまいました。そればかりか、拷問を受けたといいます。「おまえはリンポチェ(高位のラマ僧)とおなじだ」と言われたそうです。彼の身体にはいまも拷問を受けたあとが生々しく残っていました。

 彼のような主流の語り手はほとんどが文盲です。もともと遊牧民は文盲が多いので、寺に入るのでなければ文字が読めないのは当然でしょう。どの民族も儀礼をつかさどるプリーストは字が読め、シャーマンが字を読めないものです。そのぶんシャーマンは記憶力がすぐれているのです。(プリーストである僧侶は、毎年何百枚分もの経典を覚えなければならないので、あくまで一般論)

 ツェリン・ワンドィは90年代の時点で148巻のケサル物語を記憶し、歌い語ることができました。1巻あたり吟唱するのに数時間かかりますから、つづけて歌い語ればゆうに1000時間を超えることになります。

 私は彼の話を聞いてただ驚くばかりでしたが、その湧き出るような物語創出力の秘密を知りたいと思い、日常生活について尋ねました。すると睡眠時間はわずか3時間だというのです。毛沢東だって4時間眠るのに、3時間は少なすぎないか、そう疑問を呈しました。すると睡眠時間以外に、瞑想の時間があるというのです。もしかするとこの瞑想時間は半覚醒時間であり、そのおぼろげな時間のなかで物語が生まれるのではないかと思いました。もちろんそれは想像に過ぎず、実際に、熟睡している時なのか、半覚醒の瞑想時間なのかはわかりません。

 私が彼と会ったとき、彼は毎日のように「ケサル救済室」のスタジオに入り、ケサルを歌い語っていました。それは録音され、資料室に保管されました。こうして何人かの有名な語り手は協力を求められ、彼らも喜んでマイクを前にケサル物語を歌い語ったのです。テープの数はすでに厖大なものになっていました。そのほんの一部が活字に起こされ、本となって出版されました。ほんの一部とはいえ、その数は相当のものになります。しかしケサルの語り手の数ほどバリエーションがあるといっても過言ではないので、ツェリン・ワンディのような「大ドゥンパ」がいるかぎり、記録され、保存されるべきでしょう。録音されただけで活字化されていないテープは依然として手つかずのまま、山積みになって倉庫に眠っているのです。

 最近全50巻のチベット文のケサル・シリーズが完成しました。これは国家プロジェクトなのかもしれません。しかしこれで手つかずのテープが忘れ去られてしまうと、チベット人にとって取り返しのつかない大きな損失となってしまうでしょう。


⇒ つぎ 










夢の中で物語を授かるツェリン・ワンディ