ダクパはシャーマンか 

宮本神酒男  


 もっともシャーマン的であり、多くの録音テープを残したという点ではもっとも役に立ったケサルの語り手は、昌都(チャムド)の郊外に住んでいたダクパ(Grags pa)でしょう。

 彼は8歳のとき行方不明になりました。両親は探し回りますが、七日たっても手掛かりが得られず、心配はあせりに、あせりは次第に絶望に変わろうとしていました。お坊さんを呼んで読経してもらい、弔ってもらおうとしたちょうどそのとき、子どもは発見されました。家からそれほど遠くない岩の後ろで、昏睡状態の彼が見つかったのです。見つかったとき、彼の身体は土まみれで、しきりにあくびをしていました。彼は家族が七日も探していたことをまったく知りませんでした。

 彼はずっと夢を見ていました。夢の中で、リン国の将軍テンマが彼のおなかをあけ、内臓を取り出し、ケサル王物語をつめこんだというのです。

タクパ少年は家に戻されると、何かぶつぶつとつぶやきはじめました。村の古老は、魔物がこの子の魂を持ち去ったので、すっかり頭がおかしくなったのだと言いました。しかしある人は、この子がつぶやいているのはケサル王物語にちがいないと思いました。

 それから三日たっても好転したようには見えなかったので、父親は近くのパンバル寺(dPal ’bar)に連れていきました。ここのリンポチェに診てもらったのです。

 その日活仏は予感のようなものを覚えていました。そのため弟子たちに、今日は正門を開けておくように、そしてだれが来ても入れるようにと命じました。

 そうして待ちかまえていると、阿呆にしか見えない子どもとその父親が門から入ってきたのです。父親は懸命に状況を説明しようとしました。活仏は「心配しないでください。この子は大丈夫ですよ」と勇気づけるように言いました。

 この活仏は、じつはテンマ将軍の転生だと信じられていました。ケサルのことは当然よく知っていて、ケサルを崇拝していたのです。タクパ少年の様子を見ると、痴呆の子どもにしか見えませんでしたが、ぶつぶつつぶやいているのがケサル王物語のように思われたので、開啓門(ツァゴチェ)の儀礼をおこなうことにしました。

 彼は弟子に命じて巨大な鍋を持ってこさせました。そして鍋の中に水と牛乳を入れ、そこにタクパ少年を入れ、沐浴させます。それから羊毛の織物で少年をくるみ、小部屋の柱にくくりつけます。弟子たちには部屋に入らぬよう命じました。活仏はずっと経文を唱えています。しかしタクパ少年のつぶやきは依然としてとまりません。三日後、活仏は少年にもう一度沐浴させ、経文を読み続けました。そしてゆっくりとですが、状態はよくなってきたのです。

 ついには目が覚め、少年は自己をコントロールし、英雄物語を歌うことができるようになったのです。

 ダクパ少年が家に戻ってからしばらくのこと、五台山巡礼から帰路についていたチベット人僧侶が立ち寄りました。僧侶は少年のことを聞いて、この子は宝物だからけっして汚いもの、けがれたものに近づかせてはだめだと言いました。

 僧侶が言ったことが正しかったことがわかりました。寺から戻ってきた少年は、以前の少年と別人物といっていいほど変わっていたのです。少年が口を開くと、ケサル王物語が出てきました。何も学ばずとも、準備しなくとも、流れるように物語が生まれてくるのです。

こうしてダクパの説唱芸人としての生涯がはじまりました。故郷での活動だけでなく、外に出て、いろいろな場所、機会に歌い、語りながら、漂泊の旅をつづけました。


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