ケサル王物語の地域的信仰システム
トゥルンパ・リンポチェの想像のなかでは、ゴロク人は独立心が強く、激しく戦う人々だったが、同時にロマンチックで冒険心に富んだ匪賊であり、遊牧民だった。それが真実であろうとなかろうと、彼らはケサル王物語のなかではそう描かれていた。この地域の遊牧民の文化的生活はこうして、チョギャム・トゥルンパが考えるゾクチェンの教えにある種のオーラを与えていた。
彼が知っているケサルの叙事詩は、折衷主義的に、中国の錬金術的道教、内陸アジアのシャーマニズム、タントラ仏教と、シルクロードの地理政治学、口述文学の素材、遊牧民の叙事詩のレトリックの価値、カーラチャクラ・タントラの宇宙論、騎馬戦の武具への(漢蔵民族の)特別な愛着などを混合したものだった。こうしたトゥルンパ・リンポチェの思考の要素は、彼のもっとも洗練された考えともっとも精緻な文化ビジョンの背景として、ケサル王物語の影響にもとをたどることができる。
ケサル王物語自体は豊かで、多面的な文学現象である。それは世界最長の口述の叙事詩である。いまもチベットや中国には多くの語り手がいて、何巻分の物語の記憶から歌うことができる。あるひとりの女性の語り手は100巻以上の物語を歌うことができると主張する。そして学者から成るひとつの小さな分隊は、現代のケサルの語り手の歌を録音し、研究している。
ケサル王物語の主な筋というのは、仏教や土着の神々とともに、非仏教徒の魔王が支配する周辺の国々の軍隊によって郷土が破壊されるのを防ごうと戦う、チベットに転生した勇ましいボーディサットヴァの物語である。これら周辺の敵はシルクロードの強大な帝国であったり大民族集団であったりした。
この物語の最初の部分で、これらの国を支配するモンスターはかつて人間だった。実際のところ、かつてはタントラ仏教の修行者だったのだ。前世では卓越した仏教のヨーガ行者だったが、密教修行を通じて多大なパワーと自信を得ると、傲慢にも、彼らのグルに反抗し、仏法そのものに敵対するようになった。
トゥルンパ・リンポチェの世界観においては、ポジティブな認識を妨げようようとする心からネガティブなパワーが生まれるということが重要だった。魔王とはダムシ(dam sri)すなわち戒を破る者のことだった。
彼らはポジティブな行いをするという誓いをたて、多くの人を助け、社会全体を救う偉大なるボーディサットヴァとなるべきキャリアを開始した。瞑想修行と善行によって彼らは徳を積み、多大な能力を獲得するにいたった。しかしある時点で彼らは変貌し、ポジティブからネガティブに変わってしまった。菩薩(ボーディサットヴァ)は悪魔になってしまったのだ。いまも彼らはそれまでに獲得したポジティブなパワーの分をネガティブなパワーとして獲得している。
このように、リン国の非仏教徒の敵のなかに、われわれは善なるものとはっきり区別される、自己存在としての邪悪なものを見る。善なるものは、基本的な性質として獲得されるが、邪悪なものに変じやすいのである。それは超越することを妨げるものである。それはすべての生きるものが持つ仏性という普遍的な土台から起こったので、原初の善性という性格を持っているはずである。
これはケサル王物語自体がいかにゾクチェンという神秘的なシステムに適合するかという好例となるだろう。原初の意識の性質は、何も決められていない、具象化されていない、超越的な「普遍的な善」(サマンタバドラ、普賢仏)、善悪はともかく現象を超えた現われである。
ボーディサットヴァのポジティブな本能は、生まれながらに持った共通の基礎感覚(心の基)から来るものであり、もっとも直接的な方法によって、心の基へと回帰するエネルギーを生み出した。邪悪な悪魔もまた、ネガティブな本能を、心の基から得ていた。悪魔はボーディサットヴァのように、超越的な動きとして、心の基への回帰を見ていた。しかし彼らは、それが自由というより束縛であるかのように、心の基から逃げだし、間違って逆方向へ動いてしまったのだ。(*唯識仏教のアーラヤ識を念頭に置いている)
ケサル王物語は目覚めた者を創造する。目覚めた者は、悪魔の王たちのように、魔術を駆使する力強い存在である。しかし彼は目覚めているので、王たちのネガティブな性質のポジティブな源を、微細ながらも見ることができるのだ。より正確に言えば、わずかに捻じ曲げられて一時的に悪に染まってはいるが、もとのポジティブな面を見ることができるのである。
チョギャム・トゥルンパの微妙に捻じ曲げた性質についての教えは、アメリカにおいて提示した道の基礎となるものだった。彼は『タントラへの道――精神の物質主義を断ち切って』の第1章「精神的物質主義」のなかで、ネガティブな方法におけるこの教義を解説した。
この本のタイトルは、こうした考え方がどの精神的法統から来ているかをあきらかにする。「断ち切る」とは、特質を排除した瞑想の教義につけられたゾクチェン用語であるテクチュー(trekcho)のトゥルンパ・リンポチェの訳である。トゥルンパ・リンポチェは教義のポジティブな面をいろいろな場所で教えているが、とくにシャンバラ・ティーチングではその中心となっている。
ケサル王物語にもどると、第1巻で、北東チベット辺境地帯の色彩豊かな文化が花開いた、しかし極端に戦争好きの遊牧民の地域に、吉兆のなかのまた魔法のようなめでたい兆しがあふれるなかに、ケサルは生まれた。
この人々は野性的ではあったが、仏法を篤く信じていた。シルクロード東部の中国文明と中央アジア文明が交わる十字路に位置していた彼らは、広大な木のない草原の牧草地にヤク、羊、牛などを放牧していた。チベット人がアムドとかカムと呼び、中国人が青海や甘粛と呼ぶ地域の、高山植物の花や木のようなヒマラヤつつじの花が咲き乱れる草原に彼らは生きていた。
遊牧民たちは優れた騎馬人であり、勇猛な戦士でもあった。彼らは巨大な殺人者であるチベット犬(マスティフ)に守られた、ヤクの黒い毛で編んだテントに住んでいた。ラマたちは心優しく、たくましかったが、よく学んでいた。政治的リーダーは賢く、おびただしい数のことわざと礼辞を知っていた。部族のこととなると、ニュアンスまで多彩な見解を持っていた。
ケサル王物語にはさまざまなバージョンがあり、また表現の仕方も多様である。第一に、純粋なる口承芸能者として、歌を歌い、物語を語る語り手(*ドゥンパ)の存在がある。語り手の一部は実際に物語作家であり、彼らのバージョンは純粋に創作物である。ほかの語り手は、伝統的な韻文の叙事詩を歌った。彼らは散文の物語を語り、それに登場人物によって歌われた一種の民俗的なアリア(詠唱)を入れた。
ミレイユ・エルフェが示したように、物語の各々の登場人物が異なるメロディを持っている。彼の、彼女の、その(たとえば馬も歌う)歌は、彼らのそれぞれのメロディで歌われるのである。
ケサル王物語の韻文の形式は特殊で、仏教界のエリートに好まれたサンスクリットのエレガントな詩形式と対照的である。それには遊牧民のことわざ、皮肉、ユーモア、抒情詩的な賛歌などが含まれていた。仏教の古典的な詩のように、歌には微妙な意味合いが隠されることがあった。それは聴き手によって解き明かされるのである。
この知的で複雑なシステムは、ことわざと歌全体の論争点との関係を考える必要性があったことから生まれた。それはそう単純なことではなかった。通常歌は論争的であり、ただ叙述されたり歌われたりするのではなかった。語り手は、登場人物に特別な行動をさせたり、ほかの登場人物の考えやふるまいを批判させたりした。
われわれの限られた資料からだけでは確信を持って一般化することはできないが、パフォーマンスが別のパフォーマンスに変わるとき、語りではなく、歌が変わるようである。
実際すべてのチベット人が、子供時代から物語全体のプロットを知っている。ストーリーは一般的な文化環境から吸収されて出来上がったものである。人が実際に語り手のパフォーマンスを見たことがあるかどうかはそれほど問題ではないのだ。
⇒ NEXT