レムリアの記憶 リチャード・シェイヴァー 宮本神酒男編訳 

1章 タイタン人の都市(まち) 

アルタン・グロのスタジオで絵を描いていると、背後から大きな笑い声が聞こえてきた。もし笑いの中に嘲りが感じられるなら、それは嘲笑ということだ。そう考えた私は派手な色の絵筆数本とパレットを怒りに任せて床に叩きつけた。しかし振り向くと、目の前に立ちはだかっていたのはスタジオの主人そのひとだった。ふさふさした黒い髭のなかに口の穴があんぐりとあいていた。私はあわてて怒りの矛を収めた。彼こそはサブ・アトランの画家、アルタン・グロだった。

「悪かったな、ミュータン・マイオン」と彼はぜいぜいとあえぎながら言った。「笑わずにいられなかったんでね。だれもこんなの、思いつかんさ。思いついても、実際にこんなふうに描くことはない。キャンバス上に描いたおまえさん絵ほどひどいものは見たことないよ。なんというタイトルだ? 震える悪夢のプロメテウスってとこかい」

アルタン・グロはそう言いながら落ち着きを取り戻した。私が芸術から学んだ本当に重要なことがあるとするなら、それは芸術に、見かけなどどうでもよいということだ。主人が笑っていたのは私の芸術家としての能力について率直に言いたかったからなのだ。友人に作品をけなされたら、あなたは最悪の気分になるだろう。しかし主人が笑いにひきつっているとき、それは真実に目覚める絶好の機会なのだ。

「たしかにそのとおりです」と私は謙遜して言った。「私は絵を描きたいができない。能力がないんです」

アルタン・グロの表情は柔らかくなった。彼は笑った。彼が笑うと、日光という明かりがつけられたかのようだった。

「行くといい」と彼は言った。「ムーの中心にある奥の洞窟へ行くといい。そこで芸術のサイエンスを学ぶんだ。そこで水薬を混ぜる方法を学べば、思考に大いなる気づきを与え、より大きな成長を促すことだろう」

彼は私の肩の上に手を置き、最後のアドバイスを加えた。

「一度水薬を混ぜたなら、それは摂らなければならない。全部飲むんだ。そうすれば成長するだろう」

彼は私のもとから去っていったが、クスクス笑いはそのへんに残っているかのようだった。

なぜ真実はつねに残酷なのか? あるいはあなたより賢い人々は、残酷に見えるものなのか。

私はこっそりスタジオから抜け出した。主人が示唆したことはもっともだと思い、私はムーの中心にあるティーン・シティへ行くことに決めた。タイタン人のサイエンスの学校に行くことにしたのだ。

わが生まれ故郷、いや成長の地と表現すべきサブ・アトランを去ることになるとは考えもしなかった。私はカルチャー・マン、つまり実験室の産品というべき人間である。実際私はムーについて何も知らない。文化的な成熟に向けて成長の段階にあったとき、私は「表面アトラン」という名で呼ばれるアトランティスの文化の森をさまよった。サブ・アトランはアトランティスの真下にあり、ティーン・シティはサブ・アトランのずっと下のムーの中心にあった。ティーン・シティのある巨大洞窟の壁は、光線の放射で修復することによって密度が高くなり、信じられないほど強靭になった。ほかにも何世紀にもわたって巨大化した都市がたくさんあったが、ティーン・シティが最大だった。打ち捨てられた都市もいくつかあったが、どれも破壊されない強さを持っていた。それらの壁もまた頑丈だったので、穴を穿つことも、崩すこともできなかった。

ティーン・シティは母なるムーの中心に近かったので、重力は相殺されて無重力状態にあった。ここは居心地がよかった。たくさんのタイタン人がここで暮らしていたので、タイタン・シティと呼んでもよかったほどだ。ここには頑強な者たちがいた。すなわちアトラン種族の政府の長老たちである。彼らは大木のような巨大な体躯を持ち、何百年も生き、いまも成長していた。長い間彼らと会うことを願ってきたので、私は行くと決めたのだ。経験したことのないスリルを味わうことになるのだが、私は驚きに満ちた町に行くことにした。

通りに出て私は町中を走りまわる無数の車のひとつをつかまえて乗った。これら反重力装置を使った車は、磁場の重力からエネルギーを取り出し、モーターを加速させた。これによってはずみ板の片方がもう片方より重くなった。これはレンズによって光線が曲がるように、重力を曲げることによってなせるわざである。

サブ・アトランの超高層ビル群の合間を抜けて、私はエントランスに近づいた。そこに見えるシャフトは、サブ・アトランと下方のタイタン人の故郷であるムーの中心地、ティーン・シティとを結んでいた。エレベーターは落下するかのような高速で下方へむかうというが、私はエレベーターに乗ったことがなかった。

私はエレベーターのコントロール担当の男と顔見知りだった。男とはティーン・シティや彼がそこで見た驚くべきことについてよく雑談を交わした。降りるのに彼のエレベーターを選んだのは当然である。彼は私の姿を見て喜んだが、ティーン・シティへ行くと聞いて驚いた様子だった。

「行ってよかったと絶対に思いますよ。間違いありません」と彼は請け合ってくれた。

しかしエレベーターが信じられないほどの高速で下降していくと、私の恐怖心はみるみる膨れ上がった。止まったときには、減速の圧力でぺちゃんこになっているだろうと本気で考えた。パニックになりながらも、私は彼の両手が恥ずかしさを隠すようにゆっくりと合わさるのを見のがさなかった。しばらくしてエレベーターはほとんど揺れることなく静かに止まった。ここムーの中心では、私の体重はほとんどゼロに近かった。敏捷に動くこともできなかったが、それが体重のない私の身体に悪影響を及ぼすわけではなかった。私はもう何の恐れも抱いていなかった。

無体重の状態に戻ってほっとした様子のふたりの太ったアトラン人が、私より先にエレベーターから出た。彼らはここに戻れて、うれしくてしかたないようだった。彼らのあとから出ようとすると、コントロール担当の男が私を引き寄せて言った。

「ここには本物の恐怖がある」と猫のように尖った耳をふるわせ、警告をこめてささやいた。

「ここには恐怖の香りがある。鼻にずっと残る、いやな匂いだ。この世界に出たら、それが何か調べてくれ。そして答えがわかったら、あとで教えてくれ」

彼が何を言っているのかさっぱりわからなかった。しかしともかく私は約束した。それにしてもティーン・シティの恐怖の香りだって? 

町に出ると、すぐさま私はさまざまな形態の群衆のなかに混じった。心臓発作をおこさせそうなそれぞれの異形ぶり、とくに争って買い物をしている異形の女たちに目を奪われた。私とおなじタイプやエレベーターの男とおなじタイプもいた。しかし大半は想像できるかぎりのあらゆる形をしていて、一部は想像を絶する形態の異様な生きものだった。しかしどんな見かけでも、全員が市民であり、活動的で知的だった。彼らは名前すら時の中で忘れられた惑星から「宇宙渡航」によってやってきた、すべての種族のハイブリッドである。テクニコンたちはさまざまな形態を育種し、ときにはミスも犯してしまったのかもしれないが、それらに息を吹き込んできたのはたしかである。私はこんなにも多くの形態の生きものを見て、ただ圧倒されるだけだった。途方もなく大きな弧を描く道に、いくつものローラット(乗り物)のプラットホームが交差していた。私は道の曲がり角にテレスクリーンを見つけ、そこから学生センターにダイアルした。するとスクリーンいっぱいに、六本腕のおぞましいシビュラ(巫女)のような姿の女が映し出された。そして電磁波が増大した体は内部に力強い生命力があることを誇示し、私の中に若さがあるとそれをとり、女性の抱擁ではありえない強さでそれを絞り上げた。

「ティーン・シティで」彼女の声はパイプ・オルガンの上の葉のように私を震わせた。「おまえのような、青ざめた虚弱な男が何を欲しているのか。おまえはろくに食べていないように見えるぞ。愛が通り抜けてどこかへ行ったもぬけの殻みたいだ。ほかの場所で受け入れてもらえなかったから、ここに来たのか」

 私は彼女の映像に向かって意識的ににやりと笑った。しかし私の声は彼女を前にするとかよわくて消え入りそうだった。

「私は夢の輪郭を描くようなことをやめて、何かを学ぶためにやってきました。私は表面下の世界からやってきた絵描きなのです。キャンバス上に真実でない姿を描くよりも、現実的に増加する知識のほうが重要だということに気づいたのです」

 私はスタジオの主人が言いそうなことを自分が言っていることに驚いた。

「おまえは正しい」彼女は六本の腕を複雑に謎めいたやりかたで動かしながら、人を当惑させるような速さで、器具や道具を取り上げたり置いたりし、ほかの人とも話しながら、こちらにはこちらで、高らかな声で私にこたえてくれた。彼女は40本の足を持つタイタンだった。その年齢をだれも知らないほど、彼女は年を取っているようだった。私は彼女のかぎりない美しさや生命力について極力考えないようにしていたが、突如彼女が恐怖を隠していることに気がついた。私は隠された感情を感じ取る特殊な能力に恵まれていたのだ。彼女のこけおどしの挨拶は、何かの危険に私を近づけたくないという隠された願いだった。しかし私はそのことについて一言も触れなかった。なぜなら彼女の中に警告を読み取ったからだった。「絶対にダメ!」と彼女が心の中で叫んでいるのが私にはわかった。

 この種の恐怖は私にとって驚きであり、新鮮だった。なぜなら恐怖は長い間我々の世界では禁じられてきたからだ。彼女はそれから物憂げに話し始めた。

「象徴ホールの中央に行きなさい。そこで学生にたずねなさい。そうするとインストラクターがやってきて、あなたが知りたいことをすべて教えてくれるでしょう」

 女の統御する力は消え失せ、彼女の姿も見えなくなった。テレスクリーンから目を離したが、なおも六本の腕に抱かれたときのことを空想し、性愛における人への影響について考えた。私はぬくもりを感じず、かわりに身震いしたが、それは恐怖から来たものではなかった。タイタンの血は生きていた! と私は考えた。奇妙で、驚くべきことだが、生きているのだ! 

 私は曲がり角のプラットホームでローラットに乗り込み、説明書をよく読んで、それからコインを入れ、象徴のホールのダイアルを回した。私は座席にふんぞり返り、ローラットの自動運転に任せた。車はスピードを出して走ったが、私の目よりはるかにすぐれた「電気眼」によって安全に運転することができた。そう、私が感心させられたのは、異形の女の上を走ったときのことである。彼女の上半身は完璧なスタイルのいい美女だった。しかし下半身はくねくねと曲がった30フィート(9m)の輝くまだらの蛇だった。もし彼女が生命力を増加させた尾であなたを巻いたら、逃げることはできないだろう! 

 私はそれについてじっくり考えた。これら異形の者たちの遺伝子は、私たちの遺伝子よりも活力があるだろう。おそらくここに暮らすタイタン人のテクニコンたちは、人をより健康に保つことができるのだろう。たぶんハイブリッドはごく自然に、小さな胚種を産みだし、多産になるのだ。それはじつにひらめきの一日だった。年老いたテクニコンたちは強い統合的なフィールドにおいて、たっぷりと供給して、すべてを高い割合で成長させたが、結合すべき生命遺伝子はそれとは似ていなかった。こうした方法によって交わることによって、強さは増大し、肥沃がもたらされた。いまや彼らの数は四肢をもつ人間の数を越えるほどになった。そして精神的能力においても人間にまさっているのだ。

 自然と私の心はインフォメーション・センターの巨大なシビルの六本腕の蛇女に抱かれることを連想していた。私はいまなぜアルタン・グロが軽蔑しながら私をここに送ったかがわかるような気がしてきた。もしここで生命について学ばなければ、どこに行っても何も学べないだろう。それが彼の考えていたことだった。

 

 私は象徴ホールの入り口である大きな獣の口に大股で入っていった。そこには牙が柱状に並んでいた。学校に通ずる道はこのホールに集まってきているようだった。ローラットの駅に向かう道はどれも混雑していた。運搬ローラットはなだれこむように走り、旅行者用ローラットはドームの天井できらきら光る彫刻の柱やペイントされた壁を見て驚き、呆然としていた。これらを作ったのは私と同様、ロウ(ro)で仕事をする優秀な人々だったが、それぞれは全体を把握することができなかった。*9 この絵や彫刻は、頭脳に人生の豊かさのメッセージを叩き込んだ。それは互いに強力に影響しあうことによって、生活単位にプロ意識が与えられるというものだった。この人生の豊かさは、敵対する悪との激しい衝突という場面の絵として描かれた。10 目に一発パンチを打ち込まれたかのように、生活の豊かさと健康増進のことが刷り込まれると、心はときめき、人生をより価値あるものにしなければならないと考えるようになる。私は天井に描かれた、躍動する多忙な人物の絵から目をそらすことができなかった。男は彼らの運動に参加し、人生を作り、それが適した形になるとき、彼の人生は最高潮に達する。

 絵に没頭していた私は、優雅な足音がやってきてかたわらに立ち止まったとき、はっと我に返った。新参者は立ち止まって私が見ていた絵をじっと見つめていた。となりで首を伸ばしているのを見るのは奇妙なことだった。私もつられて絵を仔細に見た。

 私の理性は自分自身に問いを発した。天井の壁に力強い絵の物語を描いたこれらの偉大な芸術家たちは、生命力自体に簡単に負けてしまうことはないだろう。芸術家になりたいという情熱はそれをはねのけるだろう。

 彼女は私よりずっと若い少女にすぎなかった。しかし何という少女だろう! その体は透明な光輝に包まれていた。肌は赤みがかった青紫。白いまだら模様のはいった足の先はひづめだった。しかし彼女が申し分のないカラフルな乙女であることを私は理解しなければならなかった。少女がしっぽを振っていたとしても! 

 それだけで十分だった。生命力増加システムでさまざまな形態の生きものをつくることが可能であるとわかった。しかしとなりの現実化された生きものはべつの話である。そのしっぽの美しいことといったら! もっともやわらかくて、もっとも美しい毛皮。

「何を見てるの」少女はたずねた。「壁の絵?」

 私はしどろもどろになりながらこたえた。「絵……そう、そうだね。絵を見ていたんだ。私は……私は画家なんだ。もうやめたんだけどね。いまはしゃべれないけど、絵を見なくちゃいけないんだ」

「驚くべきものだわ、この絵は」少女は熱をこめていった。「学校へ行く途中、わたし、いつでもこの絵を見るの。あ、わたし、学校で医学を勉強しているんです。さあ、あの絵をもう一度よく見ましょう」

 彼女の腕や胸には医学校のバッジがついていた。それには病気を象徴する巨大な蛇と闘う人の姿が描かれていた。このエネルギーがみなぎる乙女はパワフルで魅力的で、叡智ももっていた。それと同時に極端なほど友好的で気さくだった。彼女はおだやかな口調でしゃべりつづけた。いろいろなことを丁寧に、理屈にあうように説明してくれた。私はめまいを覚え、あえぎ、呼吸困難を感じたが、それは彼女に感嘆したからだった。彼女はすべての絵や彫刻について説明してくれた。

 私がすべて理解するまでふたりはずっといっしょに歩いた。彼女はあらゆる情報にたけていた。あたかも私の案内をするために、私に見たものすべての意味を教えるために情報を身につけているかのようだった。彼女はそのうち彼女自身のこと、勉強のこと、学校のこと、学校のローラット道の中央駅からそれぞれにつながっている大きな扉について語り始めた。

 ホールはこれらの扉で有名だった。目の前には医学校へ通じる扉があった。扉には柱状の人物像が立っていたが、それらはとぐろを巻いた蛇と闘っていた。つぎの扉は海兵隊学校へつながる扉だった。そこには蟹の像があり、そのハサミが巨大なアーチをつくっていた。またプラネトロンと呼ばれる振り子は宇宙が近いことをあらわしていた。それは宇宙航海学校へと通じる扉だった。すべての時代の不滅の科学をあらわすシンボルが多くの扉を成していた。 

 

⇒ つぎ (レムリアの記憶2)