1日目 

 朝早く、夜明け前(この季節、日が昇るのは午前7時前)、寒さも厳しい時間帯に、巡礼者は火を起こし、ザンパ(麦焦がし)を焼く。急ぎの朝食を終えると、彼らはテントをたたみ、荷物をまとめてヤクに載せる。そのスピードと効率性をみると、彼らがどれだけ慣れているかがわかる。ヌボ・ダンドゥ・ワンチュクの周囲をまわったあと、道に出て、出発した。

その道には一定の距離ごとに石が積み上げられ、それが目印になっている。この時点では谷も広く、丈の低い植物に覆われていた。遊牧民の野営地が斜面に点在している。南には雪をかぶった山が連なるが、巡礼者の多くはそれらの名を知らない。というのもこれらの山々は彼らにとって何の意味も持たないからだ。

15頭のヤクの隊商の先頭を行く4人の子どもを連れたゴロク人は、五体投地しながら巡礼するふたりの女とひとりの僧侶が来るのを待っていた。20日前に曲什安を出発した彼らは、もう20日以内に出発点に戻ろうとしていた。

 人々は後になったり先になったり、歩いて、あるいは馬に乗って、宗教者として、あるいは俗人として巡礼をつづけた。5日で巡礼を終わらせようと、荷物を最低限におさえ、きびきびと歩を進める6人の僧侶グループがあった。俗人のほとんどは新しい衣服を着ていた。すべての人がナイフと剣を持ち、しばしばライフル銃を携行した。女たちは全身を宝石で派手に飾っていた。遊牧民はそれぞれ属する野営地でかたまり、他と交わることはなかった。

 その日私は俗人の男女、子どもと5人の僧侶を含む20人ほどのゴロク人のグループに加わった。ヤクの一群が野営地に到着すると、荷が降ろされ、あっという間にテントが組み立てられた。ヤクの毛を編んだ黒いテントはなく、旅に用いるにはちょうどいい寸法の白い木綿のテントばかりだった。白いテントは構造そのものが黒いテントとは違った。梁材(リッジポール)はテント内部の中央で主柱に支えられた。テントの外側には張り綱(ガイ・ロープ)が張られ、杭によって地面に固定された。入口に火が置かれた。

 女たちは水を汲みにいき、火をつけ、お茶の用意をするあいだに男たちは近場にヤクを連れていき、草を食わせる。馬はつながないでテントの近くに放っておく。日没前には、すべての動物が集められ、つながれる。その夜、ゴロク人のキャンプでは、男女は別々になる。女と子供のためのテントでは、7人が火のまわりに詰めるように座り、お茶を飲みながら談笑した。



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