#MeeToo運動、チベット仏教界へ及ぶ 

宮本神酒男 

 

 2018711日付のニューヨークタイムスの記事が、世界中のチベット人コミュニティをどれだけ動揺させたか、想像に難くない。「シャンバラ仏教の、セクハラ・レポートによって地に堕ちる」(記者アンディ・ニューマン)という記事で糾弾されているのは、サキョン(直訳すれば土地の守護者。王を意味する)ことミパム・リンポチェ(1962年生まれ)である。

 サキョンは「可能な限りの覚醒した社会」をめざす仏教の世界的組織シャンバラ・インターナショナルのトップであり、精神世界に関するベストセラー作家でもある仏教僧だ。米コロラド州ボルダ―を拠点として世界中にチベット仏教を広めることに貢献した『チベットに生まれて』『シャンバラ 勇者の道』などの著書で知られるチョギャム・トゥルンパ・リンポチェ(19391987)の英国人妻ダイアナとの間に生まれた息子といったほうが、一部には通りがいいかもしれない。

 そのサキョン・ミパム・リンポチェの過去の行状(性的虐待)がやり玉にあがっている。まさに世界的な#MeeToo運動の潮流に乗っている形だが、告発そのものはこの潮流が生まれる前になされていた。

 記事によると、2017年前半、ハリファックスにあるシャンバラのコミュニティに育ったアンドレア・ウィンという女性が、いわば「被害者の会」である「プロジェクト・サンシャイン」を立ち上げた。そのレポートによって数々の被害の実態があきらかにされている。たとえば、ある女性は、チリで開かれた晩餐会で、酔っぱらったサキョンにトイレに連れ込まれ、からだを触られたうえ、男性器を握らされたと主張している。

 同記事によると、仏教界において、性的ハラスメントによって地位を辞したのはサキョンがはじめてではないという。ワッピンガーズ・フォールズに仏教寺院を建立したラマ・ノルラ・リンポチェ、大ベストセラー『チベット生と死の書』の著者ソギャル・リンポチェ、禅の老師ジョーシュー・ササキ(佐々木承周)、エイドウ・シマノ(嶋野栄道)といった「残念な伝統」のリストにサキョンの名も連なることになった。

 因果は巡る。不適切なふるまいによって悪名高いグルといえば、サキョンの父親であるカリスマ的存在であったチョギャム・トゥルンパ・リンポチェの名があがる。話を複雑にしているのは、悪行もまたチョギャム・トゥルンパの魅力の一部分という面があることだ。チベットにはクレイジー・シッダ(狂気の成就者)を意味するニュンパ(瘋狂僧)という常軌を逸した天才僧の系譜が存在する。ニュンパの系譜に連なる著名な僧といえば、ミラレパ伝の作者ツァンニュン・へ―ルカ(14521507)やドゥクパ・クンレー(14551507)が思い浮かぶ。チベットの庶民は、大学者であり高僧だったツォンカパ(13571419)と同様に、これら常軌を逸した(ときには倫理的に許しがたい)変わり者の僧侶を愛してきた。チョギャム・トゥルンパは女色と酒に溺れた堕落僧ではあったが、チベット人からするとそれを許容するのもチベット文化の奥深さだった。見かけとは真逆に、真理を見抜く洞察力を持ったクレイジー・ウィズダムを持つシッダとトゥルンパはみなされたのだ。

 しかしおなじようにサキョン・ミパム・リンポチェをクレイジー・シッダと呼ぶことができるだろうか。父親は、東チベットの山奥に生まれ、転生ラマに認定され、動乱の時代、国を脱出して西欧に亡命し、米国に拠点を置いてチベット仏教を世界に広め、自身ギンズバーグやケルアックとならぶビート世代の著名人となった。毀誉褒貶のある人物だったが、一定の理解者はかならずいた。それにたいし、息子のミパムは米国生まれのチベット系米国人であり、西欧人の母親を持つハーフであり、特別な星のもとに生まれているが、激動の歴史の中でもまれてきたわけではない。

 ミパム・リンポチェは父親の血を引いた才能の持ち主であり、直接父親の指導を受けたサラブレットである。筆力があり、表現力に富み、人の心を動かせるからこそミパムの本はほとんどがベストセラーとなってきた。しかしアマゾンのレヴューを見ると、性的虐待の問題をからめて厳しい採点をくだしたレヴュアーがあらわれるようになった。二代にわたって築いてきたシャンバラの智慧が一夜にして失われかねない危機に瀕しているといえよう。サキョンはいま「自己反省の期間に入っている」という。どれだけのこもりの期間が、たとえば3年と3か月と3日の隠棲が必要だろうか。そしてそれによって、はたしてこの危難を乗り越えることができるだろうか。

 

⇒ チョギャム・トゥルンパ伝 

⇒ チョギャム・トゥルンパの大事件 解説 

⇒ シャンバラの原理 サキョン・ミパム 

高僧と女性の関係については…… 
⇒ 活仏とのスキャンダラスな関係  


⇒ グルの狂気の智慧に関しては、『聖なる狂気』(ゲオルグ・フォイアスティン 小杉英了訳)参照。原書の改訂版には、性的虐待疑惑があるサティヤ・サイババとともに、「スピリチュアルなテロリスト」麻原彰晃の項目が加えられている。