ミケロの旅日記

7月14日 顔面刺青老女と会う(2)

 モダン化した孔当村にも2、3人の刺青女性がいるということだった。われわれはさっそく聞き込みをしながら南の(つまり下流方向の)集落をめざした。われわれというのは、私と独竜族女性のNさん、日本人H夫妻、それに食堂にいたジャーマン・シェパード・タイプの(まあ雑種だろう)犬である。この犬はわれわれが夕飯を食べているとき、頭だけ物陰に押し込んで寝ていた。この「頭隠して尻隠さず」の駄犬ぶりには失笑をこらえることができなかったが、もしかすると大物なのかもしれない。翌日、どういうわけか私のことが気に入ったらしく、この日の刺青女性探しの旅にずっとついてきたのだった。近所の人がこの犬をアミと呼んでいるように思ったので(聞き違いかもしれないけれど)私もアミと呼んだ。独竜語で犬をアミというのだろうと考えたが、あとで調べるとドゥグィだった。後日独竜江上流の竜元村でも似たジャーマン・シェパード・タイプの犬が私を主人に選んでついてきた。最近どういうわけか、各地の犬と仲良くなることが多いのだけど、どうしてだろうか。猫派の私も犬派になってしまったようだ。

食堂の隅で、頭を戸板と壁の間に入れ昼寝をしている駄犬アミ。

 犬がなつくのは、ひとつには一般の中国人があまり犬を可愛がらないから、という事情がある。中国の田舎ではどこの食堂でも犬が残飯をもらおうと寄ってくるのだが、足蹴にされることが多い。このあたりの独竜族もあまり犬を大事にするようには見えなかった。なぜ犬を足蹴にするのか、その理由は後日知ることになる。

 小雨が降るなか、アミをつれて幅広の未舗装のぬかるんだ道を下っていくと、大きな鉄橋があった。もちろん鉄橋は十年ほど前に建てられた比較的新しいものである。傍らには吊り橋の残骸が残っていた。橋を渡ってすぐのところに雑貨店があり、中をのぞくとジャージを着た30代の面長の女性が機織りをしていた。聞くとリス族だという。さらに20分ほど歩くと大きな敷地の簡素な家の前に老人が立っていた。聞くとミャオ族だという。リス族の地域はそれほど遠くないけれど、ミャオ族の地域は近隣にないので近くても雲南南部ということになる。孔当村(独竜江村)は町と呼んでもいい開発地域なので、雲南各地、あるいは四川などからの移住者がたくさん住んでいるのだ。孔当村中心部の食堂の主人は甘粛省天水から来たと話していた。こうなると里帰りといっても何日もかかってしまうだろう。秘境だなんて今や昔、ビジネス・チャンスの転がるニュー・フロンティアになっていたのだ。


郊外の独竜族の集合住宅。トタン屋根のせいか情緒はあまり感じられない。

 一時間ほど独竜江に沿って歩くと「集合住宅」があった。民族風情があるでもなく、かといって近代的でもなく、中途半端な感じの住宅地だった。陰干しされている洗濯物を見るとよくわかった。町中の洗濯物と変わるところがなかったのだ。

ここに刺青の女性が住んでいるというので、戸を叩いて聞いて回った。この集落に入る頃には雨足が強くなっていた。アミはそこにいた犬たちとじゃれあっている。アミは図体が大きいせいか、ほかの犬に対して優勢だった。駄犬という烙印を押したけれど、犬の世界では意外と認められているみたいだ。

 刺青ばあさんの孫娘と思われる若い女性が出てきて、ばあさんはいま外出しているといった。孔当の近くの村に遊びに行っているらしい。われわれは成すすべなく、来た道を引き返すしかなかった。

この独竜牛は、なんと自分の所有物だった。(1996年)

 鉄橋を渡って孔当村のメインストリートにはもどらず、そのまま山の上のほうへ通じるくねった道を歩いて行った。「すぐとなりの村」といっても、かなり急な斜面を30分ほど歩かねばならなかった。私は年甲斐もなく走って坂道を上がっていく。するとアミは喜んで全速力で駆けていった。アミを追いかけて見晴らしのいいところに出ると田んぼが広がり、そのあいまの草地に独竜牛がいた。この独竜牛というのはアッサムなどで見られるミタンという牛とおなじである。

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