ミケロの旅日記
7月19日 そこには国境警備隊の建物が                この文の一部はフィクションです。

 暗いジャングルから突然明るくまぶしい世界に出た。冒険家気分も終焉のときを迎えたのである。小さな川にかかった木橋を渡ると、青い簡素な建築物があらわれた。ぼんやりと集落を期待していたけど、国境の近くに公的機関がないはずもないではないか。わが脳裡によぎったのは、「こりゃまずいな」だった。

 昆明に着いたときからミャンマー国境を超えるべきかどうか考えていた。そこに検問所のようなものがあるかどうか、わからなかった。いや、おそらくあるだろう。中国側にまず何かあるだろう。Nさんは「細い山道がある」と言っていた。私はすっかり大きなメインの道路があり、それ以外に抜け道のような山道があるという意味で言ったのかと思っていた。そうするとひとりで、あるいはだれかガイドとともに険しい道を進むことになるだろう。もしリスクが大きすぎるなら、Nさんがミャンマーに入って魔術師探しをしてもらい、私は近くで待つことになるだろう。

 そんなふうにさまざまなことを考えていたのに、気がついたらミャンマーに入っていたのだ。何ということだ。心の準備も、想定した場合の対処の仕方もできていない。この検問所らしき建物に行かなければならないのか。私は本気で走って逃げようかと考えだしていた。

「この建物に入るんですか? ぼくは隠れたほうがいいのではないかと思うけど」

「大丈夫よ。私の友だちですって言うわ」

「えっ、私の友だち? そんなんで大丈夫なの?」

 Nさんは答えることなく建物のほうに向かってずんずんと歩き出していた。私は小さくなってそのあとを追った。われわれは真新しい建物の横の小屋のような建物に入った。中央には囲炉裏があり、奥は厨房になっていた。

 2、3人の若い男性とひとりの女性がいた。寸前の想像では制服を着た警備兵がデスクの向こうに座り、出入国の人々を厳しくチェックしているはずだった。ところが制服を着た人はおらず、みな私服姿だった。私服といってもミャンマーなので男女ともロンジーをはいている。だれが係官で、だれがたまたま居合わせただけなのか、判別できなかった。女性はどうやら厨房を担当しているようだった。足元には大きめの茶色い犬がいた。

「ようこそ、ようこそ」と男のひとりは笑みを浮かべながら中国語でわれわれに話しかけてきた。

 ガイドのX氏は独竜語で話し始めた。係官らしき男はどうやら独竜語が話せるらしい。Nさんも話に加わるが、独竜語を話せないので、リス語で参戦だ。

「登記してください」と係官はにこやかに促した。

 その瞬間わが心臓はドクンドクンと打ち始めた。ビザなんてもってないぞ、どうすればいいのだ。係官の男はわがパスポートを見て「日本人じゃないか。ビザもないぞ」と叫んで奥の人々を呼ぶ。数人の兵士たちがどっと入ってきて、私を取り押さえる。

 はっとわれに返る。白昼夢だ。ビザは一応持っていた。Nさんを見ると、身分証を見せながら名前、年齢、職業などを書き込んでいる。書き込むあいだ、何をしゃべっているのかわからなかったけれど、彼らのあいだで話がはずんでいた。

「そちらのかたは……」

 Nさんの登記が終わると、係官はこちらにはじめて気づいたかのように視線をよこした。するとすかさずNさんは言った。

「この人は私の友だちよ」

「友だち?」と係官(以降隊長と呼ぶ)は怪訝そうな顔をした。しかしまるで不思議なことは何もないかのように名前、年齢、職業などを質問してきた。

 私は自分の名を「シャンベンだ」と言った。シャンベンは名前の中国語読みだ。パスポートを見せることもなかった。隊長はそれ以上のことを聞くのを躊躇しているかのようだった。その場に何か暗黙の了承があるかのような空気ができていた。

「ああ、なんとかこの場は乗り切ることができそうだ」

 そう私は考え始めていた。とはいえ油断するわけにはいかなかった。隊長の考え次第でいつでも私を拘束することもできるだろうから。

 

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