モリガン ケルトの魔術と魔力の女神 

コートニー・ウェバー 宮本訳 

 

1章 モリガンと会う 

 彼女は激怒と平和の、力と破壊の、歓喜と恐怖の精霊である。彼女は戦士であり、女王であり、死の予兆であり、母であり、殺人者であり、愛人であり、スパイであり、陰謀者であり、妖精であり、変身者であり、ヒーラーであり、ときには生きている地球そのものである。心を奪う矛盾ある。すなわち人に憑依し、癒しもする悪魔のような女性ある。ある瞬間情け深く、つぎの瞬間ぞっとするような、そしてつぎの瞬間やさしい。

 モリガンに会おう。

 子どもの頃、体温計を壊した。驚いたわたしは、バスルームのフロアに落ちた輝く水銀のかたまりを指で追った。指が触れると、それは数珠状に連なったり、泡状になったりして、わたしが作ろうとした形にはならず、次第にフラストレーションがたまっていくのだった。しかししばらくすると、謎めいた物質の動きを見ていると、楽しくてしかたなくなった。美しくて魅力的で、つねにとらえきれなかった。バスルームのフロアの水銀はわたしのモリガンを求める旅とそっくりだった。モリガンは、魅惑的で、かつ恐ろしい、いつも姿を変える謎めいた女神である。液体の水銀を手でつかもうとするのとおなじように、モリガンをしっかりとつかむのは危険であると論じる人もいるだろう。しかしわたしの比喩もここまで。水銀は毒物だが、モリガンはそうではない。

 モリガンほど敬われるとともに、同時に悪名高い女神はそうそういない。遠い昔、彼女は不幸をあざ笑う女神として描かれていた。甲高い笑い声をあげながら、人に呪いをかけるのである。またキリスト教の地獄では、悪魔と手を結んでいた。中世の作家や現代のブロガーたちは彼女を「裏切りの」女神として描いている。しかしソーシャル・メディアを駆使し、また祭りのかがり火のまわりでハチミツ酒をもらって飲みながら、要警戒ラベル付きの女神によっていかに人生がよくなったかについてのストーリーを読んだり聞いたりした。この女神は恐ろしさで有名だが、彼女によって心が癒される話が多いのには驚くばかりである。

 ついに、わたしは理解することになる。

 しかしそもそも、モリガンとは誰なのか。

 知られているかぎりでは、モリガンはケルトの時代にアイルランドに生まれた。ケルトの時代とは、地域によって短くなったり長くなったりするが、大雑把に言って紀元前1000年頃から西暦500年頃までを指す。現在、ケルティックという言葉はアイルランドとほぼおなじである。しかしもともとケルト世界といえば、ブリテン諸島、イベリア半島、イタリア北部、スイス、フランス、ポーランド南部、トルコ中央部などが含まれる。 

 一つの文化というには程遠く、ケルト世界にはさまざまな言語、習慣、宗教実践が共存している。ときにはアイルランドをケルトの傘の下に入れていいのかと思うほど、その文化はほかのケルトの国々の文化と大きく隔たっている。ほかの人は、ケルト文化は違いが大きいけれど、似た埋葬儀礼や武器類を持っていることから、遠く隔たった共同体同士に共通する価値観が見られると主張する。そのどれが正しいか、本書は決める立場にないが、この時代のケルト世界全体を、また時代のアイルランドの人々を描くために、アイルランドのケルトやケルトのアイルランドについて論じるとき、ケルトやケルティックという言葉の使い方を明瞭にしておきたい。

 いかなる神格を理解するにも、その文化がどこから来たかを知るのが最善の方法である。不幸にも、わたしたちはケルト文化についてそれほど知らない。彼らがどんな人々であったかは、ほとんどが同時代人の記述によるところが大きい。しかし彼らはケルト人のことをよく理解していないし、大げさに書き立てるのが常だった。ケルトについて「知っている」と言うのさえ誇張なのである。「推測する」がより正確な表現だろう。とても奇妙なことは、ケルト人の謎がモリガンの謎を理解し、受け入れる一助となっていることである。

 ケルト世界の多くのことと同様、モリガンの起源も神秘の奥に隠れている。ほかの文化、たとえばローマ帝国の文化なら、神々の特別な役割が彫られているだろう。しかしケルトの神々は姿がとらえがたく、どこか曖昧だ。ケルトの宗教は儀礼や予兆の解釈、呪文、不運な行いの回避などを基盤としていた。しかしモリガン信仰に関して言えば、時期を裏付ける強固な考古学的証拠に欠けていた。その時代の神話がモリガンに光を当ててくれることもあるが、これは証拠というには十分ではないだろう。ケルト人は書いたものを残してこなかった。むしろ口承を通して歴史や神話を保存してきた。モリガンやアイルランドのほかの神々の物語はアイルランドがキリスト教化されて何世紀もたってから手書きの写本によって伝えられてきた。キリスト教の著者たちは新しい宗教に合うよう神々の性格を変えてきた。あるいは単純に細かいところに手を加え、神々をぞっとさせる神、あるいは重要でない神に変えた。

 モリガンは異なるアイルランドのケルトの部族の神々の集合体から発展したものだった。これには、早期のアイルランドの先住文化からケルト人によって採用された先史時代の神々も含まれていた。モリガンの起源地が特定されないながらも、彼女がアイルランドの女神であることはまず間違いなかった。ケルトの神々の神話や像はヨーロッパ中で発見されていた。しかしモリガンはアイルランドと強く結びついていると信じられてきた。

 彼女の名はアイデンティティを知るための手がかりとなる。モーガン・ダイムラーは『モリガン:偉大なる女王と会って』の中で、名のスペルから違いが明かされると述べている。

 

モリガンは古いアイルランド語で、「悪夢の女王」を意味する。

モリガンとモル・リオガイン(Mor-Rioghain)は後代のアイルランド語バージョンで「大いなる女王」の意。

彼女の名のほかの解釈は、「幻影の女王」「海の女王」「惨殺の女王」など。

 

 モリガンは女神の集合体の一般的な称号でもあった。モリガンはいくつかの名を持っていた。たとえばバイブ(Badb)、マハ(Macha)、アヌ(Anu)、ダヌ(Danu)、ネイヴァン(Nemain)、フィア(Fea)などで、彼らは「アーンマス(Ernmas)の娘」と呼ばれた。曖昧な神格であるアーンマスに関する記録はほとんど残っていないが、一部の翻訳によればそれは「殺人者」を意味する。これらの名がモリガンの異なる一面に対応しているのか、厳密に独立した神格を描いているのかははっきりしない。初期の記述によれば、モリガンは悪魔のような飛翔する生きものであり、同時に忌まわしい特定の種のひとつである。このように記述されているにもかかわらず、アイルランドのケルト人にモリガンが恐れられていたかははっきりしない。というのも、これらはケルトの神々がほとんど捨て去られて数世紀たってからキリスト教徒が書いたものだからである。では新しい宗教の書き手たちは聖なる女性を恐れたのだろうか。これは古い文化の誤解なのだろうか。あるいはもともと彼女を知っていた人々に愛され、恐れられたモンスターだったのだろうか。

 モリガンの多くの面がほんとうにその通りであったかどうか、わたしたちは答えを持っていない。しかしケルト人の神々に対する関係は愛すべきものではなかったというのは疑わしい。ケルトの神々は自然界の生きる具現である。そうした神々は食べ物とちょうどよい天候を与える恵み深い存在である。しかし同時に不安定で、暴力的で、悪天候や病気、飢饉をもたらすのである。神々の崇拝はなだめること、注意をそらすことがまず不可欠なのである。神々を喜ばせよ、そうすればわたしたちは平穏無事に暮らせるだろう。もしこれが正しいとすると、モリガンはとくにユニークというわけではなく、ひどく悪い神というわけでもなかったことになる。死すべき運命の人々の生活に影響を与えるパワーを持つ女神は、ときには恐れられるのである。彼女の名に女王の意味が含まれることが多いので、彼女が大きな影響力を持っていたのはたしかなことである。


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