ミャンマーの知られざる精霊信仰                       宮本神酒男

          愛されるナッ神シン・ネミ

磁場のようなパワーを発するポゥパー山

 私は世界各地でパワースポットを見てきたけれど、ミャンマーのポゥパー山はそのなかでも指折りの心にグッと響く聖地である。とうてい人が登れそうにもない、聳える岩塊の頂上にきらめく黄金のパゴダ(仏塔)。実際、這いつくばるようにしか登ることができなかった。高齢の水木しげる氏を案内したときは、現地の人たちが担ぐ一見するとタンカのようなカゴに乗ってもらい、頂上まで運ぶことができた。

 陰から陽へ。最上階に出た瞬間、内臓の襞の暗闇から陽光のもとに飛び出したかのようだった。パノラマの風景を眺めると、鷲のようにどこまでも飛んでいけそうだった。

 ミャンマーではだれもが知る大僧正ボーミンガウンは、1938年から1952年までここで瞑想修行し、黄金のパゴダを建てたという。こんな眩しい場所でどうやって瞑想修行ができたのだろうか。こうしてポゥパー山は仏教の聖地でもあるが、そのはるか以前からナッ神の総本山だった。

 捕獲された動物みたいな水木さん、ポゥパー山頂上へ。

 ポゥパー山というのは正確に言えば裾野の広いゆるやかな標高1500mの山のことであり、いまポゥパー山と呼んでいる丘はタウンカラッという。ビルマ年代記によると、紀元前442年に大地震があり、土地が隆起してポゥパー山ができたというが、これはマユツバで、あきらかにカルデラ式火山だ。

 ナッは本来、アニミズム的な精霊を指す。言語的に近いツァィワ族やラチ族(ともにジンポー族つまりカチン族の支系)もナッという語を持つが、悪霊といった意味である。ナッそのものは、いい精霊とも悪い精霊とも言いがたいのだ。

バガン朝創始者のアノーヤター王(1014−77 在位1044−77)が36のナッ神を定め、それに仏教の護法神、タジャ(帝釈天)を加えた。このとき以来、37のナッ神は絶対的な権威を持つようになった。その後何度か、とくに王朝がかわるときにナッ神の入れ替えがあった。またポゥパー・メドーやコーミョーシンなど、メジャーなナッ神でも37に含まれないものも多い。選定の基準というものはないが、非業の死を遂げた者が多く含まれている。菅原道真公の怨霊をイメージすればわれわれにはわかりやすいかもしれない。

 シュエズィーゴン・パゴダは37のナッ神の誕生の地。

 タジャ(帝釈天)が36のナッ神を統括する位置にあるとはいえ、37のナッ神が仏教から承認されたというわけではない。ミャンマーの作家チェニイは『漁師』(河東田静雄訳・大同生命国際文化基金)という小説のなかで、仏教の修行僧にこう批判させている。

「ナッに憑かれた者たちは、死後、必ずナッの国に行き、ナッになるのだと信じ込んでいるため、ナッの祠を作り、ナッを崇め奉る」。

ナッ信仰は民衆に広く根ざしているが、仏教からすれば迷信的な俗習にすぎないのだ。仏像と比べ、ナッ神像はひどく安っぽく、各地のナッ神堂にならぶ像はまるでお人形さんのようだ。推測するに、民衆は仏教徒なので、仏像と同等のナッ神像を造ることはできないのだ。

 タジャ(帝釈天)を除くナッ神の長は、ミン・マハギリである。大山侯という意味だが、大山とはポゥパー山のことだ。ミン・マハギリに関してはつぎのような由来譚がある。

≪ミン・マハギリは、人間であったとき、タガウン国(エーヤワディー川上流にあった国)に住むウーティンデという鍛冶師だった。タガウン王は彼の力を恐れ、彼の姉を王妃として迎え入れた。それでも安心しなかった王は彼を王宮に招いたが、それは計略だった。彼はジャスミンの木の下で焼かれてしまう。それを見た姉も炎に飛び込み焼け死んだ。王は王妃を救うべく火を消そうとするが、時すでに遅く、焼け残ったのは彼らの首だけだった。

 ミン・マハギリと姉の呪いの首

 ウーティンデと姉はジャスミン樹に住むナッ神となり、木陰で休む人々を襲った。王の命令で木は切られ、エーヤワディー川に流されるが、バガン近くに漂着し、なお人を襲いつづけた。そのころ夢の中でお告げを聞いたバガン王は、ふたつの首をポゥパー山に奉納した。それ以来ポゥパー山の守護神となった≫

 バガン王朝成立(1044年)以前、ミャンマーにはアリ仏教と呼ばれる大乗仏教が広まっていた。ポゥパー山あたりを治めていた王のなかでもポゥパー・ソーヤハン(613−40)という名が残っているが、彼も大乗仏教、おそらくタントラ仏教を信仰していたのではなかろうか。というのも現在の中国雲南省に南詔という国があったが、ミャンマー側から多くのタントラ僧がやってきたという資料が残っているからだ。こうしたタントラ仏教やポゥパー山のナッ神崇拝があいまって、のちの秘教的宗教が形成されたのではないかと思われる。

 なおミン・マハギリ崇拝はミャンマー全体に広がり、身近な存在となっていく。現在どの家にも金色の椰子が飾ってあるが、それは家の守護神としてのミン・マハギリである。

 ナッ神ミン・マハギリはココナッツに身を変えて家を守る。

 ポゥパー山との関わり合いが深い重要なナッ神には、ほかにポゥパー・メードーとその息子のタウンビョン兄弟があげられる。その由来譚はナッ神の根幹の部分なので詳しく紹介したい。

≪インド・マリバル海岸からタトンにやってきた商船が難破し、裕福なイスラム商人の息子ビャッウィ、ビャッタ兄弟だけが生き残った。寺に預けられた兄弟は、保管されていたゾージー(仙人)の香ばしい遺骸を食べ、超人的な能力を得た。ビャッウィは殺され、城壁の外の堀に遺体を埋められ、タトン国の守護神となった。ビャッタは逃亡してバガン王アノーヤターに仕え、花大臣としてポゥパー山に赴任した。そこで花食べ鬼女と恋に落ち結婚、生まれたのがシュエピンジ、シュエピンゲ兄弟(タウンビョン兄弟)である。ビャッタ没後、息子をバガンへ連れて行かれ、引き離された鬼女は悶死し、ナッ神ポゥパー・メードー(ポゥパー山の母の意味)となった。

 ポゥパー・メードー、鬼女なのに美しすぎる…

 バガン王は仏歯(仏陀の歯)を獲得しようと、タウンビョン兄弟の力を借りて中国(年代でいえば南詔国ではなく、大理国である)に攻め入った。仏歯のかわりに得た玉の仏像を載せた白象が帰路、タウンビョン村で止まり、跪いた。王はそれを吉兆と考え、そこにパゴダを建てることにした。パゴダ建設中、レンガ積みを怠ったと難癖をつけ、バガン王は兄弟を処刑した。非業の死を遂げた兄弟はナッ神となった≫

 これがタウンビョン精霊祭のもととなったタウンビョン兄弟がナッ神となったいきさつだが、驚くべきことに、彼らの一族はインドのイスラム教徒なのである。難破した船から救われた彼らはタトンの僧院に預けられる。ここの僧正が薬を取りに行っているあいだ、ゾージー(仙人)の遺骸の番をするよう頼まれる。ところがゾージーは生前フルーツやナッツばかり食べていたため、バナナのようないい香りを発していた。つい兄弟はゾージーを食べてしまい、その結果超能力を会得してしまう。超能力とは、空を飛んだり、地中にもぐったり、長寿を得たり、怪力を得たりすることだった。

 またあとで説明したいが、ゾージーを食べたり、私自身入手したことがあるが、錬金術によって精製したダッロンという金を持ったりすることによって、超能力を得てウェイザーという超越的な存在になる、あるいは超越的存在をめざすのである。

 タウンビョン兄弟は超能力を得たビャッタの子供であるから、特殊な能力を持ち、バガンのアノーヤター王も恐れたのは、当然といえば当然だった。

 

ナッ神、とくにウーミンジョーの憑依

 日本的感覚では、ナッ神信仰の特異さがなかなか見えてこない。お地蔵さんに祈り、花や水をあげるような、温和な信仰ではないのだ。先にあげた小説『漁師』につぎの場面がある。わが子が死にそうになったとき、主人公は呪術師に、ナッ神ナンカヤイン女神の儀礼を怠っているからだと告げられる。のち女神はナッカドー(霊媒)に憑依し、激怒して言い放つ。

「われはナンカヤイン大女神じゃ、お前ら(…)われのことを忘れてしまっていたではないか」

 日本ならお地蔵さんがだれかに憑依して話すなんていうことはありえないが、ミャンマーではさまざまなナッ神が頻繁にナッカドー(霊媒)に憑依するのだ。

 ナッ神のなかで、もっとも人に憑依することが多いのは、酒と博打(とくに闘鶏)と花火が好きなウーミンジョーである。無頼者の神ではあるが、女性に懸かることが多いのは、ワイルドな魅力を持っているからだろうか。

たとえばある40歳の女性は、8月のタウンビョン精霊祭で踊っていると、突然ウーミンジョーに憑依された。彼女は抵抗せず、受け入れた。というのも隣人の女性がウーミンジョーを拒み、罰されて天然痘にかかり、死んでしまったのを目の当たりにしていたからだ。

 また夫と子供がいる二十歳すぎの女性は、ウーミンジョーにとり憑かれ、村の中をさまようよう。ウーミンジョーは人間の夫に嫉妬し、彼女に夫と同衾することを禁止し、夢の中で自分と交わるよう迫った。

 このように、ウーミンジョーをはじめとするナッ神が人に現れるのは、夢の中か憑依状態でのことである。憑依するナッ神はウーミンジョー以外にも、ミン・マハギリやタウンビョン兄弟など多種ある。こうしてナッ神が憑依した場合、その人はナッカドーと呼ぶことができる。ただ正確に言えばナッ神と正式に挙式して、はじめてナッカドーとして認められる。

 ある56歳の男性の場合、ナッ神に愛されるようになってから30年以上たつのに、お金がなくて挙式できない。そのため罰としてつねに後頭部を木のサンダルで叩かれているという。(まあ、われわれなら医者に見せることを勧めたいが)

 私はかつてゲイのナッカドーがポゥパー山の麓の由緒あるナッ神堂で「精霊(ナッ神)との結婚式」を挙げるのを手助けしたことがある。彼の場合も長年、財力不足で式を挙げることができないでいたのだ。

 さて憑依といえば見過ごせないのが、ナッ神ではなく悪霊のオゥタザウン(宝守り)である。ある男性が夕方、帰宅の途中、丘の麓を過ぎるとき、緑の服を着た美しい女と出会った。彼は女の体中を触り、キスをした。肉体関係を結ぼうとした瞬間、彼は総毛立つのを感じ、女が人間でないことを悟った。その瞬間女は消えたかと思うと、丘の上に姿を現し、手招きしていた。女は丘の宝を守るオゥタザウンなのだった。その一ヵ月後、彼は腹部に激しい痛みを覚えた。魂を取られたのではないかと思い、彼は呪術医に相談した。

 オゥタザウンの木彫り。美女の正体

 

圧巻のタウンビョン精霊祭

 ナッカドーになる場所は、ナッ祭、とくに国民祭ともいわれる大規模なタウンビョン精霊祭であることが多い。私はこの大祭が行われるマンダレー郊外のタウンビョン村に数日間通った。

 タウンビョン精霊際は8月の満月の日までの一週間、開催される。何万人もの人が集まり、のどかな村は都会の雑踏に変貌する。バザールが立ち、まんじゅう、バナナ、花、おもちゃ、装飾品、日用品などを売る店や屋台がぎっしりと並ぶ。

 連なる仮ナッ祭堂のひとつをのぞくと、ワイン・サイン(民族楽団)の音と荒々しい歌声が鳴り響く、騒々しいナッ儀礼がおこなわれていた。民族楽といっても日本の雅楽のようなものを想像すると、仰天してしまうだろう。微妙に音の違う太鼓やゴングを環状に並べて叩き、それに吹奏楽などが加わる。バリ島のガムランをもう少し騒がしくしたイメージだ。

腕や足で宙をきびきびと切るようにナッカドーは踊っていた。ときには腰をくねらせ、色気をふりまく。憑依するナッ神が変われば曲も変わった。なぜかナッカドーのほとんどがゲイで、取り巻きもみなゲイだった。全国からこの日にあわせてゲイが大挙して集まってくるのは異様な光景だった。これは最近の現象のようだが。ナッカドーとナッ神は男女関係であることが多いのに、ナッカドーがゲイだとどうなるのか。

私はマンダレーの下町でナッ祭を主催したことがある。そのとき参加したゲイのナッカドーは、母(ナッ神のポゥパー・メドー)と子の関係を結んでいると語っていた。これならナッ神との同性愛関係は避けられる。

 自身が主催したナッ祭。マンダレーにて。

 私はそのあとタウンビョン村の中心であるナッ神宮殿に向かった。このナッ神はもちろんタウンビョン兄弟のことだ。群衆が殺到するなかで本祭の儀礼が進行していた。人々は競ってバナナや花をタウンビョン兄弟像に捧げようとした。宮殿内部では高位のナッカドーたちが、左手に金の雄鶏(闘鶏好きを表す)、右手にお札の入った金の器(酒好きと賭け事好きを表す)を持ち、ウーミンジョーの踊りを踊った。この踊りは格別すごいというわけではないけれど、定番であり、踊りをきめると拍手したくなる。金の器のお札はなぜか貼りついたように、下に落ちることはなかった。踊り終えるとき、ナッカドーは天井に向かって札束を勢いよく放り投げた。蛍光灯の青ざめた光の下でお札が乱舞するさまは美しかった。

 ナッ神宮殿内のタウンビョン兄弟像は見事な金色像である。それらは外に出された瞬間、触ろうと群衆が押し寄せてきて、もみくちゃにされていた。宮殿に戻ると神像にはピンク色のスカーフが巻かれ、鎮座する。本来はエーヤワディー川まで行って沐浴儀式を行うのだが、それが実際に行われたかどうかは確認できなかった。

 野うさぎ狩りの儀式も重要である。ナッ神の家来たちが聖なる剣を取り、舞い踊りながら、地上に置いたバナナ(野うさぎの替わり)を突き刺すというもの。バーマ族(ビルマ族)が狩猟民族であった頃の記憶をとどめているのだろうか。

 野うさぎ(バナナ)と魚が捧げられる

 野うさぎ献上儀式では、雌雄二匹の野うさぎ肉を用意する。選ばれた若者は野うさぎ肉をもってナッ神宮殿を7周まわる。そしてナッ神像に向かって7度、捧げ物を投げる仕草をする。写真で見るかぎり、これも本物の肉ではなく代用品のようだ。

 そして伐樹儀式。伐られた枝を得ようと群集が群がり大混乱となる。兄弟を処刑したアノーヤター王は水牛姿の木のナッ神に突かれて死んだといわれるが、木を伐ることで木のナッ神に復讐しているのだという。タウンビョン兄弟を処刑したとはいえ、アノーヤター王自身はバガン朝を築き、千の仏教寺院を建てた偉大なる国王である。ヒーローとアンチヒーローはときには分かちがたいのだ。

 こういったタウンビョン精霊祭のこまごました意味合いを私はその時点では理解することができなかった。祭りのなかで、ひとりの存在は大海の一滴にすぎず、私も群集のなかにいるとき、バナナや花を入手すれば、なんとか神像に手向けようとするだけだった。だれもが興奮のるつぼのなかにあり、われわれは人の波にもまれ、押し流される。そういうのもまた意外と楽しい。

 狂乱の宮殿からはじきだされて仮ナッ祭堂に戻ると、依然として個々のナッカドーの踊りはつづいていた。あのきびきびした踊りは速度を増していき、ナッカドーは激しく憑依状態で踊ったかと思うと、失神した。こんなときに人はつられて神がかりになり、ナッカドーになるのかもしれないと思った。


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ノスタルジーのなかに架かるウベイン橋。

精霊(ナッ神)の総本山ポゥパー山。

這いつくばって闇の中を登りきると、光の天界に出た。

ビャッタは花食べ鬼女メーウィンナ(ポゥパー・メードー)と恋に落ちた。生まれたのがタウンビョン兄弟である。

11世紀にアノーヤター王によって建設された古都バガン。いまも5千の寺院の遺跡が残っているという。

モンユワのタンボッデー・パヤーのブッダたち。天井から入る光線が絶妙な空間美を演出しているr。

さびれた村もタウンビョン精霊祭のときだけはにぎわう。人につられて精霊もやってきて、人にとりつく。

タウンビョン精霊祭に精霊の官吏がぞくぞくと登場。

選ばれた若者の任務はタウンビョン兄弟(ナッ神)に野うさぎの肉を献上すること。歩くごとに札束の飾りは増えていった。

人々は競ってガドー・プエ(バナナとココ椰子)をタウンビョン兄弟に捧げようとする。

ナッ宮殿内では高位のナッカドー(霊媒)がウーミンジョーの踊りを踊っていた。踊り終わると札束を空中に投げた。。

エーヤワディー川の沐浴を終えた(とされる)タウンビョン兄弟の像が戻ってくるとき、群集が押し寄せてくる。

女王や大臣によって行われる野うさぎ狩り儀式。バナナが野うさぎに見立てられる。

野うさぎ(バナナ)を突く剣もこの日のための特別なもの。

ゆっくりとした動作、突き方などは様式化されてい、それなりの技術が要求される。

タウンビョン精霊祭のとき、各家、地域にブースが割り当てられる。その奥にはひな壇のようにナッ神が飾られる。

タウンビョン精霊祭の仮ナッ神堂でナンカヤイン女神の踊りを踊るナッカドー。両手にライ魚をもつ。

ナンカヤイン女神のナッ神像。

ウーミンジョーはナッカドーの間で大人気だ。

ナッカドーはゲイばかり…。右のナッカドーは占いをしているところ。左のナッカドーも占いが得意。

サイン・カインという民族音楽を奏でる。太鼓の大きさがすべて違うので打楽器といえどメロディーをつむぎだす。

村の入り口には村の守護神ミンビュシンの祠がある。

ポゥパー山の麓で行われたナッカドーと精霊(ナッ神)の厳かな結婚式。ナッカドーにとって正式な結婚式は悲願。

タウンビョン兄弟、ことシュエピンジ、シェピンゲのご本尊。ゾージー(仙人)を食べて超能力を得たビャッタとポゥパー山の花食べ鬼女の子供だからパワーを持つのは当然。

マハギリ・ナッ一家。上からウーティンデと妻シュエナバイ、姉シュエ・メッナ、妹マ・トウェービュ、息子シンビュ、シンニョウ、妹の娘マネの7人。