神秘の国チベットの誕生(3) 
チベット死者の書      宮本神酒男 


  
ベストセラーになったギュルメ・ドルジェ訳、コールマンら編纂初完訳版『チベット死者の書』、チョギャム・トゥルンパとフリーマントル『チベット死者の書』、ロバート・サーマン訳『チベット死者の書』 


 たしか1995年のことだったと思います。インド北西の「小チベット」と呼ばれるラダックのレーに行ったとき、地元の人の家を訪ね、NHKスペシャル「チベット死者の書」の録画を見せてもらったことがあります。この番組は1993年に放映されているのですが、私は海外に住んでいたため、見る機会がなかったのです。

 なぜそこで見たかといえば、この家の主人が番組内のドラマのなかで「働きざかりだが、突然死んでしまった主人(である死者)」を演じた人だったからです。彼の魂が死後どのようになっていくかを説明するためのドラマなので、ある意味では主役です。もちろん彼はプロの役者ではありません。それに演じたといっても、映像のなかではピクリとも動かないので好演と呼べるかどうかははなはだ疑問です。

 このドラマ仕立てのドキュメント番組はとてもよくできていたので、いまでも多くの人に見られています。これをきっかけに書物の『チベット死者の書』を買った人もいるでしょう。またここに映し出されたチベットの風景にあこがれたり、チベット人が描く宗教世界に興味を持ったりした人もいるでしょう。

惜しむらくは、翌年に地下鉄サリン事件など一連のオウム関連の凶悪な事件が起こったことです。ポワ(phowa)という本来は「死に際の意識の転移、あるいはその実践訓練」を意味する尊い言葉が、殺人を意味するポアとしてネガティブな流行語になってしまったのは残念なことでした。


 六道輪廻図の一部、地獄 (Spiti) 


 『チベット死者の書』が世界デビューを果たしたのは、ウォルター・エヴァンス=ウェンツ(1878−1965)の同名書が出版された1927年と断じてもいいでしょう。この年は、アレクサンドラ・ダヴィッド=ネールの『パリジェンヌのラサ旅行』が出版され、センセーションを起こした年でもあります。『チベット死者の書』(バルド・トゥドゥル)はパドマサンバヴァ(8世紀)が隠したテルマ(埋蔵経典)をテルトン(埋蔵経典発掘師)のカルマ・リンパが発掘したニンマ派の宝典です。このニンマ派とボン教のみが保持するテルマの伝統自体がとても神秘的です。ただ現実的には臨終の際にラマによまれる枕経なのです。

 死者の書をダージリンで編纂した(翻訳はラマ・カズィ・ダワ=サンドゥプ)エヴァンス=ウェンツは、いくつかの重要なチベットの文献を翻訳・編纂しています。チベット仏教(とくにカギュ派)の重要人物でもあるミラレパ(1052−1135)の詩や伝記の翻訳はとくによく売れ、詩聖でヨーギのミラレパの名はポピュラーになりました。

 二段ロケットの噴射のように、もう一度『チベット死者の書』をメジャーにしたのは、ティモシー・リアリー(1920−1996)らの『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』(1964)でした。チベット文化と60年代以降の欧米のサブカルチャー(ヒッピー文化やサイケデリック文化、ビート世代……)がついに出会ったのです。

 この(略して)サイケ版死者の書の共著者であるラルフ・メツナー(1936〜 )やリチャード・アルパート(ラム・ダス 1931〜 )とリアリーは、みな科学者であり、LSDなどのドラッグの人体に与える影響などについて研究していました。60年代後半にはLSDが麻薬認定され、研究自体は困難に直面するのですが、ドラッグ文化側からはそれでも高く評価され、ヒッピー世代を支える精神的支柱となるという側面がありました。リアリーは麻薬所持で逮捕されて拘留されるのですが、ヒッピー世代、ビート世代からはむしろそれによって英雄視されるようになりました。

 このサイケ版死者の書は、米国では驚くべきことに、2016年現在も好調な売れ行きを示しています。しかし邦訳が出たのはかなり遅く、1994年のことでした。上述のようにオウム関連の事件や逮捕劇がつづいた時期にあたったためか、日本国内では欧米ほどの話題にはなりませんでした。

 60年代のハーバードはリアリーのほか、比較宗教学の権威ヒューストン・スミス(1919〜 )やのちにヘルシーな食事法のベストセラー作家となる医学博士アンドルー・ワイル(1942〜 )、そして『ビーヒアナウ』がセンセーショナルな空前のベストセラーとなるラム・ダスを含む「ハーバード・サイケデリック・クラブ」を輩出します。とくに『ビーヒアナウ』の読者は大学や会社を捨て、髪やひげを伸ばし、ジーンズをはいて、ヒッピーとなり、ラム・ダスのようにグルを求めてインドへ向かったのです。

 
(左)ティモシ・リアリーら『サイケデリック体験』(チベット死者の書サイケデリック版)
(右)ドン・ラティン著『ハーバード・サイケデリック・クラブ』ティモシ・リアリー、ラム・ダス、ヒューストン・スミス、アンドルー・ワイルがいかに50年代を葬り、ニューエイジ時代を切り開いたか(2011 

このインドの向こうにヒマラヤがあり、さらに向こうにはチベットがあったのです。文化大革命のさなかの中国にあるチベットに行くことはできませんが、「解放」以後、弾圧されたチベットからたくさんの高僧が欧米諸国に亡命し、奇しくもチベットの精神文明が世界に流出し、拡散されることになったのです。19世紀には姿があいまいではっきりしなかったグルやマハトマが、現実の肉体を持って現れたのです。

 亡命ラマのなかでもっとも人気があったひとりはチョギャム・トゥルンパ・リンポチェ(1939−1987)でした。彼はアル中になったり、女性弟子と問題を起こしたりと、トラブルメーカーでしたが、西側の若者の心をダイレクトにとらえる不思議な魅力を持っていました。彼はギンズバーグと親交があり、彼自身ビート世代を代表する人物のひとりとなったのです。(→ チョギャム・トゥルンパ伝

 そんな彼もまた『チベット死者の書』(
1975)を著しています。その冒頭で彼はこの書は「死者の書」ではなくむしろ「生誕の書」だと述べています。たしかにチベット人でないわれわれにとって、それが枕経として使われることはほとんどありえません。われわれは「死者の書」を通じて生まれ変わるべきなのです。

 このように、ニューエイジ世代のスピリチュアル志向のなかでチベットは重要な要素のひとつとなり、人々の心の中に神秘的なチベット像がいっそう明確に結ばれることになりました。ラサにビルが建ち、中国の大手スーパーマーケット・チェーンの支店がいくつもでき、パルコルを何万人もの漢族の観光客がゾロゾロ歩いてショッピングを楽しむ時代になっても、チベットの神秘性は不変のままなのです。あるいは(たぶん)クラウドに保存されているのです。


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