香料諸島に楽園を発見。直後に市場でおじいさんに突き飛ばされる (1987年) 

                宮本神酒男


(1)香料(スパイス)諸島の人知れぬビーチで至福を感じる 

 ほんの一瞬だが、それは永遠だった。

南洋のだれも知らない小さな島のささやかな白い浜辺。砂浜から少し上がった陸(おか)に数隻の舟が置かれていた。その合間に私は寝そべった。そよ風は気持ちいいけれど、陽がカンカンに照っていて、頭がぼうっとし、睡魔に襲われた。手が届きそうな沖合には、緑の濃い島が幻のように浮かんでいた。

波打ち際から数歩の海中に、洗面器を頭にかぶった妙ないでたちの若い男が立っていた。男が水中の両手に持っているのはテニスコートのネットを小さくしたような網だ。それで(突き立てた棒に網の片端をくくりつけているのだろう)海流を包み込むようにして魚を追い込み、洗面器で掬い上げた。一種の梁(やな)漁である。男は水から出て砂浜に置いた盥(たらい)に今得た数尾の魚を入れた。盥には20尾ほどの小魚が泳いでいた。こうして漁師の男は苦も無く日々大漁を祝うことができるのだ。浜辺の近くにはココヤシの木がたくさん立っていた。ココナツが欲しくなればヤシの実をとり、鉈(なた)でそれをかち割ればいい。ドリアンが欲しくなれば、丘を少し上がればいい。そこにはおそろしく丈の高いドリアンの木があり、その下にはドリアンの実が落ちているだろう……。

 この光景は記憶のなかで美化され、楽園を発見したかのような思い出となっていた。ここからそれほど離れていないところに何の変哲もない小さな漁港があり、私はなぜかそこが大いに気に入り、心ときめいた。できるならば世界中の何の変哲もない漁港を巡り歩きたいものだと思った。しかしここはどこなのだろうか。なぜ私はここにいるのだろうか。

 

 ここは香料(スパイス)諸島、すなわちモルッカ(マルク)諸島だった。20代の頃の私は「博物学者」にあこがれをもっていた。博物学者といっても、リンネやビュフォンのような動かない頭でっかちの博物学者ではなく、フンボルトやウォレスのような人類未踏の奥地に入る危険をいとわない探検家を兼ねた博物学者である。彼らは19世紀以前の欧米の帝国主義国家にのみ存在しえた。とくに「ダーウィンに消された男」アルフレッド・ラッセル・ウォレス(18231913)は、探検・調査に没入するあまり進化論の真の発見者という地位を奪われた悲劇の、あるいはミステリーの主人公みたいでかっこよかった。また、当時よく知らなかったが、ウォレスはホームズの生みの親コナン・ドイルと同様、晩年には心霊主義者になっていた。あれほど未踏査の奥地に入り込んで、人が見たことのないものを見てきたのに、しかも厖大な知識を有しているというのに、現在ならトンデモ呼ばわりされかねない心霊主義者になり、降霊会にも参加するというのはどういうことだろうか。
*「歴史上記念すべき1858年7月1日のリンネ学会における自然淘汰説宣言にあたって、ダーウィンとウォレスの両者が互いに優先権を譲り合った紳士的な態度は科学史上まれにみる美談として語り伝えている。しかし……(略)実際、ウォレスがリンネ学会での発表を知ったのは三か月後のことであった。(略)ダーウィンの優先権を守るために陰謀と隠蔽工作がはかられたと考えれば、すべての謎のつじつまが合う」『ダーウィンに消された男』訳者まえがきより 

 ともかく私はこの人物に魅力を感じて、もうひとつのフィールド、アマゾン以上に彼がもっともよく調べた地域、マレー諸島、とくに香料(スパイス)諸島、すなわちモルッカ(マルク)諸島へ行こうと考えたのだった。

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