(2)ミイラ男のいでたちでシーサンパンナへ
どう見てもミイラ男だった。顔を含めた頭部を包帯でぐるぐる巻きにして、私は広州から雲南省の昆明に飛び、さらにシーサンパンナ(西双版納)の景洪(ジンホン)へと飛んだ。異様ないでたちだが、私本人はそれほど気にしていなかった。私には私自身の姿が見えなかったからだ。機内で近くに座った人たちは一様にギョッとした表情を見せるのだが、それも一瞬で、すぐに興味を失って視線を前の座席の背もたれや前方に立つ乗務員に戻した。見かけと違って私のふるまいがノーマルだったからだろう。
景洪の町に着くと、すぐにY君が滞在していると思われるゲストハウスを訪ねた。背丈は180センチ、体重は100キロの巨漢である。彼は私を見るなり「だれ?」と声を荒げた。「そんな包帯してたら、だれかわからへん」。
「あ、ごめん、ごめん。おれだよ、おれ」私は自分がミイラ男であることを忘れていた。Y君はいわば民間の民俗研究者だった。長くこの地域に滞在していて、シーサンパンナのタイ族のこまごました生活用具、たとえば漬物石のようなものを収集していた。私は彼から情報をもらうこともあり、一緒に弥生時代のような生活を送っているクンゴー族の村を訪ねたこともあった。しかし一方で彼には黒い噂がついてまわった。この巨体からは想像もできないが、美少年好きで、少年を追いまくっているという噂である。
共通の友人でタイ族の建築を研究し博士論文を書いていたJ君という大学院生がいた。彼がある村のY君が常宿としているゲストハウスの部屋を訪ねたことがあった。鍵がかかっていなかったので部屋の中に入ると、机の上にアルバムのようなものが無造作に置かれていた。この近辺で撮ったものだろうと考えてアルバムをぱらぱらとめくると、それらはまったく違ったもの、つまり日本で入手したらしい同性愛的なエロ写真であった……。J君は「これはやばい」と思い、そっと外に出て、2、3時間外で時間をつぶし、それから今着いたかのようなふりをしてY君の部屋の扉をノックしたという。これでY君の秘密が公然の秘密となってしまったのである。
民族情緒あふれる高床式家屋が並ぶタイ族レストラン街で一緒に食事をしているときのこと、Y君はこちらの話に集中できないようで、視線は虚空をさまよっていた。瞳にお星さまを浮かべながら、「タイ族の男の子ってジャニーズ系やと思わへん?」とつぶやくように言うのだった。彼に言わせればシーサンパンナは美少年の宝庫だった。あるとき、彼のゲストハウスの部屋を訪ねると、タイ族の少年たちと仲睦まじくおしゃべりをしていた。私はていよく追い返されてしまった。こういったことを考え合わせると、今なら#Me Too運動を起こされかねないきわどいことをやっていたのではないかと推測できる。問題ありの人物だけど、彼がこの地域に通暁していたのは確かである。
彼とは一緒に水タイだけでなく、乾タイや花腰タイなどの村も巡り歩いた。花腰タイの家を訪問すると、そこのおばちゃんがおこわとチキンでもてなしてくれた。日本では昔の保存食といえばおにぎりなのだろうけど、タイ族の地域ではおこわである。私は朝、市場でおこわと香草入りの焼魚や辛めのおしんこという組み合わせの朝食を立ったまま食べるのが好きだった。こういった食べ方もY君から教わったのである。拠点としていた勐養(モンヤン)という小さな町には囚われの身のヤンヤンという名の地元産の小象がいて、われわれはときおり各家で作るウイロウのような米菓子をやったものである。のちに英国のチャールズ皇太子がここの象を訪ねている。おとなになったヤンヤンかヤンヤンの子供に違いないと思う。
(宮本神酒男)
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