オカルト・アメリカ
第8章 時代のニューディール
ほんとうに気味の悪い人々が敏感な地位に就き
歴史にとてつもないダメージを与えることができる
――副大統領ダン・クエール
「ロシアのオカルティスト、グリゴリー・ラスプーチンの生涯」
それは噂がいかにはじまるかのケーススタディだった。1968年の不安に満ちた夏のはじめ、マーティン・ルーサー・キング暗殺とボビー・ケネディ暗殺の間に関連性があると、話し上手の作家トルーマン・カポーティが奇妙な主張をした。1966年の『冷血』の出版以来、カポーティは犯罪心理のエキスパートとして引っ張りだこになった。
そして1968年6月21日、彼は自身TV初出演となるNBCのトゥナイトショーに登場している。ニューヨークのライブ・スタジオで彼は、番組ホストのジョニー・カーソンにぞっとする仮説を語った。仮説というのは、ふたりのリーダーの暗殺はオカルト政治の陰謀ではないか、そしてその目的は米政府の暴力的な転覆の導火線に火をつけることではないか、というものだった。
神智学協会のブラヴァツキー夫人が書いているもののなかに、つぎのような一節があるとカポーティは説明する。
「国の士気を損ね、革命を起こす気概をなくすにはどうしたらいいか。名士たちをつぎつぎと組織的に暗殺することです」
暗殺者たちは『影なき狙撃者』(コンドンの小説)に描かれるような洗脳されたスリーパー工作員である。証拠ともいえないかもしれないが、カポーティは、ロバート・ケネディを殺したサーハン・サーハンが看守にブラヴァツキー夫人の1888年の大著『シークレット・ドクトリン』を請求した(あるいは看守から受け取った)と述べている。
カポーティの発言は新聞や雑誌にも取り上げられた。ロシア人マダムが書いた「革命のための手引書」がアメリカの左翼ゲリラに用いられているという記事が出たのだ。極右のジョン・バーチ協会は、たった一つの、そしてニューヨークの上品な作家との唯一のつながりに関して、カリフォルニアの新聞の一面を買って、何十年も前に死亡しているブラヴァツキーを暴力革命に導く悪の勢力として非難する広告を出したのだ。
カポーティの仮説はまったくといっていいほどの想像のたまものだった。「革命のための手引書」というものもなければ、ブラヴァツキーの著書にそのような概念が現れることもなかった。正確を期すなら、サーハンはブラヴァツキーのオカルト哲学と失われた文明の概説、『シークレット・ドクトリン』を請求したのである。
彼はまたより曖昧な1922年の神智学のテキスト、『一を語る:大師の足元で』を要求している。後者は英国の神智学者チャールズ・ウェブスター・レッドビーターによって書かれた論説シリーズや、初期のものではインドの若いスピリチュアルな教師ジッドゥ・クリシュナムルティによって書かれた『大師の足元で』が含まれていた。
これらのどこにも政治的な暴力や政府の転覆について書かれてはいなかった。とくにレッドビーターやクリシュナムルティは自己犠牲やつつましい生き方について説教にも近い口調で述べているのであり、何世紀も前の「公共の普遍的な友人」の説教集以上に世俗的な権力にたいして挑戦的ではなかった・
ブラヴァツキー&サーハンの件は人々が世界で起こるできごとの裏にオカルトの陰謀があるというささやきをいとも簡単に信じ込んでしまうという典型的な例だった。そのようにだまざれやすいのには、理由がないこともなかった。
現代ヨーロッパでは、しばしば千里眼の持ち主や魔術師が権力者のアドバイザーであったことはよく知られている。第一次世界大戦に先立つ何年か前、ロシア帝国の宮廷がシベリアの神秘主義的ヒーラー、グリゴリー・ラスプーチンのとりこになっていたのは有名だった。とくにツァーリナ(皇后)はラスプーチンから圧倒的な影響を受けていた。結果的に彼を殺すことになるこの魔術師の敵にとって、ラスプーチンは考えられないほど宮廷に影響力を行使した堕落した詐欺師だった。ツァー(皇帝)はラスプーチンの予言的なアドバイス、「戦争は避けなければいけない」に耳を傾けているのだが、これは彼らが気にめす例ではないようだ。
ひそかな影響は外国の宮廷にかぎったことではない。アメリカもまた正真正銘のオカルトの力を持った男を見ることになる。それはもっとも高いレベルのパワーだった。しかしこの人物はシベリア出身の影のような存在だったラスプーチンとは劇的に異なり、アイオワに家があった。彼はトウモロコシの栽培農家であり、知的探求者であり、農場主だった。この男、ジミー・ステュワートの人生はまるで映画化されるためにあるかのようだった。彼の生涯は現代のオカルティズムと政治の関係を照らし出した。これは空想物語よりももっと驚くべきものだった。
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