モーロワのよりよく老いる技術
宮本神酒男
老いとは
老いに関する考察をするのにちょうどいい年代があるとするなら、それは五十代だろうと思う。三十代、四十代なら気になり始める年代とはいえ、まだまだ先の事だと自分を納得させることもできるし、実際そうである。六十代ならすでに老年に突入していて、考察どころではなくなっていることだろう。秀逸なエッセイを書くことで知られるアンドレ・モーロワ(1885−1967)が五十代半ばに書いた『人生をよりよく生きる技術』(1939年)のなかの「年をとる技術」の章は、老いを気にし始めた人々を深く考えさせる言葉に満ちている。
年をとるということは、不思議なことである。あまりに不思議なので、ほかの人とおなじく自分もまた老人になるのだとは、なかなか信じられない。(アンドレ・モーロワ『人生をよりよく生きる技術』)
この世に生まれ落ちたときから、人は死のときまで老いていく。年々、日々、いや一秒一秒年をとっているのだが、もちろん成長し、成熟する過程を経るので、「年をとっている」という実感をもつことはなかなかできない。
老年はいったいいつから始まるのか。長いあいだ、われわれは年なんかとらない気でいる。心はいぜんとして軽やかだし、力も昔のままだと思っている。それをなんどかためしてみたりする。「青年時代に登っていたあの丘に、同じ速さで登れるだろうか? ……。やはり登れた! 頂上についたとき、少し息切れしたが、昔と同じタイムで完走できた。それに、若い頃だって息切れはしていたではないか」(同上)
青年から老年への移行は、とてもゆるやかなものであるから、変わっていく当人がほとんど変化に気づかない。(同上)
モーロワが書いていることのほとんどがいま現在のわれわれにぴったりあてはまるので違和感を覚えないが、執筆時の第二次大戦が勃発しようとしている頃には、ネットどころかテレビすらなかった。われわれはテレビで見慣れた芸能人がいつのまにか老け込んでいることに気づくことがある。久しぶりに見た有名人が一挙に老人になっていて愕然とすることがある。人の老化に気づきやすい時代になったのだ。
しかし自分の老化のこととなると、案外わからないものである。いっしょに暮らしている親兄弟や配偶者にも、日々接していると変化に気づかないものだが、それでもふとした瞬間に皺や白髪、鈍くなった動作、あるいは記憶力の低下を認識することがある。しかし自分の変化は目にしているのに、わからないものだ。鏡に映っている自分は、鏡の中の自分にすぎない。
哲学者ダグラス・ハーディングは「私とは何か」と考えながらヒマラヤ山中を歩いているとき、ふと自分には「頭がない」ことに気づく。自分を見ると、カーキ色のズボンの下に茶色のシューズがあり、カーキ色のシャツの袖の先にはピンク色の手があり、シャツの上を見ると……何もない! かろうじて鼻の先が見えるだけで、われわれは自分の頭を見ることができないのだ。
幸い昔と違ってパソコンやスマホの画面に自分を映し出すのは容易になったが、それでも自分の姿を客観的に見るのはむつかしい。証明写真を撮るたびに「写真うつりが悪い」と思ってしまう。思おうとする。
ためしにペットの犬や猫を鏡やモニター画面の前に置き、姿を映しだすといい。彼らはそれが自分の姿だとは、なかなか認識できない。人間だって、それが自分の顔や姿だと頭ではわかっても、なにかしっくりこないものである。
だから同窓会などで久しぶりに友人に会ったとき、友人がいつのまにか老いていることに驚き、つぎに自分にも似たような変化があらわれているはずだと気づき、その変化を鏡のなかで確認することになるのだ。自分自身では、友人と比べるとまだそれほど年をとっていないのではないかと思う。しかしその友人も、私を見て同様のことを考えているだろう。
老いとは、髪が白くなったりしわがふえたりする以上に、もうおそすぎる、勝負は終わってしまった、舞台はすっかりつぎの世代に移った、といった気持になることである。(同上)
水掛け論になりそうだが、気持ちが老いると、見かけも急速に老いるものだ。あるいは見かけが老いたので、気持ちも急に老け込むのかもしれない。急に歯のことが気になり始めた途端、それまで何でもなかった歯が痛くなることがある。それは予知能力があるからではなく、歯が痛み出しそうな状態のとき、無意識のうちに感知してしまうのだ。おそらく体が老け込んでいくことを心が察知し、気持ちも老け込み、気持ちが老け込めば体も老け込むという相乗作用があらわれているのだろう。
しかしガクッと老け込むことがたしかにある。
病気は、人間という森を襲う突然の嵐だ。年のわりにまだ若い男女がいる。「彼女は不思議だよ」とわれわれはいう。「あの男はおどろくべきだ!」と、われわれはその活動力、その頭の回転の速さ、その生き生きとした話し方に感嘆する。ところが、若い人ならせいぜい風邪か頭痛ですむ程度のちょっとしたむちゃをしたその翌日、肺炎あるいは脳溢血という嵐が、彼らをおそうのである。そして数日のうちに、顔がしわだらけになったり、背中が曲がり、目の光が消える。われわれはたった一瞬のうちに老人になるのだ。でもそれは、そうとは気づかず、そうとは知らぬ間に、もうずっと前から老化しつつあったからにほかならない。(同上)
人間の秋の季節はいつやってくるのか。モーロワはコンラッドの言葉を引用する。
四十歳をこすやいなや「人はだれでも目の前に細長い影が一本横たわっているのに気づく。そしてそれを横切るとき、冷たい戦慄を感じ、自分はもう青年の魅惑の世界を去りつつあるのだとつくづく考えるのである」(同上)
コンラッドの時代で四十歳なら、いまは五十歳前後だろうとモーロワは述べているが、それから80年近くたっていることを考えるなら、影の線の年齢はもっとずっと上でもいいのかもしれない。
影の一線を越えるということは、危険な領域に入ったことを意味する。
「がんばってみたって何になる?」といった人は、ある日、「家の外に出て何になる」と言い出すだろうし、そしてつぎには「室の外に出て何になろう」「ベッドの外に出て何になろう」というようになるからだ。最後は、「生きていて何になろう」であり、この言葉を合図に、死が門を開く。(同上)
そしてモーロワは(当面の)結論を導き出す。
ゆえに年をとる技術とは、何かの希望を保つ技術のことであろうと、見当がつく。(同上)
老いは残酷なり
老いは「青春のあらゆる快楽を取り上げる暴君」(ラ・ロシュフーコー)だが、その快楽のひとつは恋の快楽である。
年老いた男や女が、若い人から愛されるということは、ほとんど望めない。いかに心が若い老人でも、いかに顔が若々しく、肉体が壮健な老人でも、若い人とカップルになって、同じ年齢の恋人どうしのようにすべてがうまく一致するということは、たとえ不可能だとはいえないにしても、なかなかむつかしい。(同上)
お金があればそれもありえることだと思う人もいるかもしれない。たしかにプレイボーイ誌創業者ヒュー・ヘフナーであればできるだろうが、相手の60歳年下の元プレイメイトがどう考えているかは、測り知れないものである。
モーロワはバルザックが描く老人の悲劇を引用する。
かつては、何もしないでも女からちやほやされたのに、今はプレゼントを絶やさず何かと特別な便宜を計ってあげて、やっと愛想よくしてもらえるというありさまだ。だから老人は、手練手管の娘があらわれて、気ちがいじみた希望をいだかせでもしようものなら、彼女のために身を滅ぼしてしまうのだ。(同上)
ヒュー・ヘフナーは特例だとしても、この程度の多少の金銭的余裕がある老人なら、身近なところにもいそうである。一方で、つぎのような、典型的な、醜い姿は、ほとんどの老人にあてはまってしまいそうである。
新しい思想はもう咀嚼する力もないから、受け入れようとはせず、頑固に意地をはって老人の先入観にしがみつく。自分は経験があり偉いのだと思っているものだから、どんな問題も自分の考えどおりに行くと確信する。反駁されたりすると、長上にたいする礼を欠いたといって、真っ赤になって怒る。(……)いま目の前に起きていることには興味がもてず、ゆえに新しい考え方をもつことなどできないものだから、話すことといったらいつもおなじだ。(……)そのうちにすっかり(人は)寄りつかなくなってしまう。すると、孤独という、老いの病の最たるものがはじまる。人生の友を、ひとりまたひとりと、ついにはみな失ってしまい、もうほかには仲間はない。老人のまわりには、しだいしだいに砂漠が広がる。彼は死を望みたいところだろうが(……)それも怖いのだ。(同上)
老人というのは孤独なのだ。孤独から孤独でない状態に戻るのはむつかしいし、戻るどころかさらに悪い状態に追い込まれることもある。モーロワはおぞましい老女の姿をトルストイの『戦争と平和』のなかに見出している。
息子と夫が引き続いて死んでしまったのち、彼女は、じぶんがもう人生に何の目的ももたず、たまたまこの世に置き忘れられた人間のように感じるのだった。食べたり、飲んだり、眠ったり、夜更かしをしたりはするが、しかし生活しているとはいえなかった。人生からはもう何の感動も受けなかった。彼女が人生に求めるものは、安静だけだった。そして、本当に安静が得られるのは、死の中だけである。だが死を待つあいだは、生きなければならない。(同上)
うまく年をとるには
老いについて考えると、どうしてもメランコリックになってしまうが、モーロワは「不幸と病が、老年にはかならずつきまとうものだという考えはまちがっている」とわれわれを鼓舞する。
まだそのときにもなっていないのに、自分の肉体にあきらめをつけるものではない。また、感情生活のほうもあきらめてはならない。肉体と同様、心も訓練を必要とする。もちろん、感じないものを感じさせようというのではない。しかし、ただ年寄りというだけの理由で、本当に心に感じるものをおさえる必要がどこにあろう。老人の恋愛は滑稽だからか? だがそれは、自分が老人であることを忘れるからこそ滑稽なのである。
(……)感情生活は、なにも恋愛だけにかぎったものではない。むしろ多くの場合、子供や孫への愛情だけでも、老人の生活を満たすには十分である。(……)祖父や祖母と孫が、親と子よりも強い絆で結ばれるといいうこともある。
老人はかならず孤独になるというのも真実ではない。守銭奴で、自分のことばかり考え、いばりちらし、たわごとばかり繰り返すような老人なら、そうでもあるだろう。しかし逆に、自分の中にある老人特有の欠点によく気づき、それと闘い、いち早くその悪い芽を摘み取ってしまうような老人。気前よく、謙虚で、かつ親切にしようとみずから努める老人には、若者は友情を求め、その経験に学ぼうと近づいてくるものだ。(同上)
このようにモーロワの筆致は軽やかで、ますます楽観的である。実際は、ひねくれものにならないように気を使っているつもりで、いつのまにかひねくれものになってしまっているのが老人というものである。しかし頑固じじいや頑固ばばあにならないようにがんばらなければ、頑固じじいや頑固ばばあになってしまうのだ。
生きる理由を持ち続けている人は、老いこんだりはしないものだ。(同上)
たしかにそのとおりだろう。生きる理由をもって、老いとたたかってこそ、若々しくいられるのだろう。モーロワは80歳を超えて首相になったふたりの名をあげている。彼らは忙しくて老け込む暇もなかったという。しかし大半の人にとっては、高名な政治家の例をだされても、それをどう受け止めるべきか、どのように応用できるか迷ってしまうところだ。
モーロワは、上手に年をとるには2つの方法があると述べる。そのひとつは「年をとらないこと」だという。それは活動によって老化をまぬかれるという意味である。
もうひとつは「老いを受け入れること」だという。老年は煩悩を絶った心静かな年代であり、幸福な年代にもなりうるのである。楽観的すぎるような気もするが、こういった老境に達するにも、かなりの忍耐と努力が必要とされるのである。
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