ばけ猫オパリナ あるいは九度転生した猫の物語 

ペギー・ベイコン 宮本神酒男訳 

 

第三の生(1780 乞食ごっこ(上)

 

「上の遊び部屋にとじこもってばかりだな、子どもたち」ある夜、おとうさんはおかあさんにいいました。

「ほんとにそうね」とおかあさん。「とくに夜。暗いのに、明かりをつけないっていうんですもの。おばけの話ばかりしているみたい」 

「ジェブにはつまんないだろう」

「それがそうでもないのよ。ジェフもよろこんでるって。とてもきれいな猫の話ばかりしてるらしいわ。だいつきなぼくのおばけって呼んでるの」

 上の遊び部屋では、子どもたちが半円形にすわっていました。子どもたちの顔がオパリナの輝きによってあかあかと照らされるさまは、キャンプファイヤーをかこう少年少女のようでした。

「もっと話をして、女王閣下!」

 オパリナはうなずきました。

 

 これまで話したように、あたしは一代目と二代目と、トランブル家とともにすごしました。子どもたちが大きくなったころ、ホーレスは荒れ野原学校を建てました。ヘンリーは弁護士になり、クランベリーは海へ行き、つまずきちゃんは西部へ行き、女の子たちは嫁に行きました。捕鯨船の船長と結婚したミニーはナンタケット島で暮らし、ケイトはドクター・ペイズリーの息子と結婚しました。彼もまた船長でした。この家はこうしてペイズリー家の家となったのです。

 ケイトの夫、トマス・ペイズリーは東洋と交易するための商人をのせる船隊を所有していました。ペイズリー夫妻は3人の子どもに恵まれました。下のふたり、ジェームズとフィービーは活発で、冒険心にとんでいました。数歳年上でケイトの父親にちなんで名づけられたベンジャミンはまじめで、寡黙、引っ込みがちでした。内気すぎると両親は考えていました。

 ベンジャミンが13歳になったとき、船長は息子が家を出て、帆船に乗り、世界を見ながら活動的な人生を体験するのがいいだろうと考えました。ケイトは船長といっしょにインドや中国にビジネスのための旅行に出ようとしていました。そこで船長はベンジャミンをキャビンボーイとして連れていくことにしました。

 ヘンリー・トランブルは結婚したばかりで、新婚夫婦としてこの家に残り、ペイズリー不在のあいだ、従僕や子どもたちの監督役をつとめました。乳母のアニーはアンジェリカの子どもたち、ついでケイトの子どもたちの養育係でしたが、さすがに年をとりすぎて、ジムとフォービーというやんちゃなふたりの子どもの世話をすることが困難になっていました。ケイトにとって気休めとなったのは、兄やチャーミングな兄嫁が家に残って切り盛りしてくれることでした。彼女は新婚夫婦がどのようにふるまったか忘れていたにちがいありません。

 ヘンリーおじさんはいつも甥(おい)や姪(めい)から人気がありました。彼はカブトムシ、トカゲ、コウモリ、岩、苔(こけ)、シダ、鳥、蟻、ヒキガエル、そうした自然界の驚異にとても興味をもっていました。彼はそれらがいかに驚くべきものか、子どもたちに説明しました。ヘンリーおじさんはたくさんのゲームを知っていました。それらは子供時代、いとこのホーレスから教わったものでした。それにおじさんは気前よく子どもたちにお小遣いをあげていました。ジムとフォービーはこのあと何か月もおじさんといっしょにいられると聞いてとても喜びました。彼らは晴れやかな、あたらしい花嫁を歓迎しました。しかしあまりに若かったので、「ティリーおばさん」と呼ぶのははばかれました。

 見かけどおり、ティリーおばさんは若かったので(たかだか17歳でした)、子どもたちがすぐに見抜いたように、彼女はおとなのようにふるまっていたのです。彼女は子どもたちを見るとにっこりと笑顔を浮かべました。だれにたいしてもにこやかにほほえんだのです。しかし彼女はみなといっしょにゲームをすることはありませんでした。彼女はヘンリーおじさんの腕にしがみつきました。するとおどろくほどおじさんは変わってしまうのです。

 ヘンリーおじさんはゲームへの関心を失ってしまいました。というより周囲のものすべての興味を失ったかのようでした。子どもたちが見つけて、くわしく調べるためにもちこんだものを吟味したり、論議したりするどころか、それらを見ることさえ面倒くさそうにするようになったのです。

 彼はなにも考えないで子どもたちの頭をポンとたたき、出ていくよう命じました。子どもたちがグズグズしているものなら、いらいらした様子で、早く行きなさいとうながすのでした。彼の目にはティリーおばさんしか映っていないようでした。最悪なことには、おじさんはお小遣いを渡すのを忘れていたのです。

 船長とケイト、ベンジャミンがすてきな船、メリージェーン号に乗って出発したのは5月のことでした。そのころ、こちらではポカポカ陽気がつづき、フルーツの花々が咲きほこっていました。毎朝ヘンリーおじさんとティリーおばさんはピクニックのランチと詩集をもって田舎へドライブに出かけました。もどってくるのは夕食のときで、子どもたちにおやすみを言いに帰ってくるようなものでした。家事と子どもたちの世話はヘンリーとティリーが担うはずでしたから、すべてが壊れていくのは目に見えていました。さいわい、この家の召使たちはやさしく、気がきき、能力がありました。9歳のフィービーと10歳のジムはすくよかに育ち、通常の生活を送ることができました。しかしそれでもがっかりしたのはたしかで、さびしい気持ちをぬぐうことはできませんでした。

 ペイズリー家はこのふたりにたくさんのお金をもたせないようにしました。かれらはペイストリーに目がなく、タルトや大麦糖作りに病みつきになってしまうからです。ヘンリーはかれらに十分すぎるほどのお金をあげていたのですが、船長は家を出るとき一銭も渡しませんでした。だからかれらは何ドルかでもほしかったのです。

 これまで子どもたちはキャンディやケーキをほしがっていました。いま、あったらいいなと考えていたのは一組のオールでした。かれらはペイズリー家の森のはずれを流れる小川の岸に垂れ下がる柳の下で、偶然ピンクとグリーンにペイントされた、こぎれいな小さなボートを見つけました。夢が現実となったのです。

「アニーから聞いたんだけど、いつも願いごとを唱えることがお祈りなんだって」とフィービーはいいました。「だからわたしはいつも願いごとをとなえているの」

「ぼくもお祈り、いつも唱えているよ。すこしはよくなるかなと思って」とジムはいいました。「願いごとがかなったのは、ぼくがお祈りを唱えたからだ」

 ボートは天からの贈り物でした。でも一組のオールがなければ意味がありませんでした。そんなとき子どもたちにとって頼りがいがあるのはおじさんでした。

「もしオールがあったらなあ」とジムは嘆きました。「川を下っていくことができるんだけど。海にだって出られるんだ。ああ、オールがあったらなあ!」

「もしヘンリーおじさんの前で大きな声でオールがほしい、と叫んだら、きっとオールをプレゼントしてくれるわ」とフィービーは示唆しました。

「それって、ほのめかしてるよね。ほのめかすのって無作法なんじゃないかな」

「直接たずねるってのはどうかしら。きっと、ああそうかって思うわよ」

「フィービー! プレゼントをおねだりするなんてことできないよ」

「こじきならそうするわ」

「それはちがうだろう。かれらは食べ物を物乞いする。かれらは貧困者なんだ」

「じゃあそうだわ。わたしたちは貧困者よ」

「ぼくらはちがう! ぼくらには食べ物がたっぷりある」

「でもわたしたち、お金がないわ。どうして物乞いしちゃいけないの?」

「どうしてって、食べ物のためのお金なんて必要ないからさ。まあ、ともかく、ヘンリーおじさんとティリーおばさんはいつものように出かけてしまって、今日はもう帰ってこないよ」

 一瞬気まずい空気が流れました。しかしすぐにジムの表情は明るくなりました。

「こういうのはどうだろう。ぼくたち、乞食になるんだ。ほんのたわむれにね。ボロボロの服をまとってバターベイルまで行く。そこではぼくたちを知る人はいない。一軒一軒まわって物乞いをするんだ」

 フィービーは楽しそうに手をたたきました。「それ、いい案ね。わたしたち、オールを買うだけのお金をあつめることができると思う」

「いや、お金を物乞いするなんてだめだよ。それはやってはいけないことだ」

 フィービーの表情がくもりました。「じゃあなんだったらいいってのよ」

「ちょっとだけなら……おなかのたしになるもの……パンの耳とかなら」

「でもわたしパンの耳、きらいなのよ」フィービーは声高にいいました。「パンの耳なんてぜったいに食べない!」

「食べる必要なんかないよ、おばかさん。パンをたくさんもらったら、おじいちゃんのところに行くんだ。そして白鳥にくれてやるのさ」

「でもジム! わたしたち、食べ物はいらないわ。必要なのはお金でしょ。どうしてほんとうに必要なものを物乞いしてはいけないの?」

「なぜならぼくたちはほんとうの乞食じゃないからだ。もし扮装してお金をもらったなら、だましていることになる。でもすこしの食べ物ぐらいなら大丈夫だ。パンの耳くらいならさしつかえないと思う。さあ、はじめよう。ぼろ入れ袋を見てみよう。なにか使えるものがはいっているんじゃないかな」

 裁縫室の壁の上に大きなぼろ入れ袋が掛けられていました。そのなかは家族が使った布の切れ端がつまっていました。アニーはこれを使ってカーペットを作っていました。年を取ってからの彼女の趣味だったのです。部屋にはだれもいませんでした。ジムとフィービーは袋の中身を床の上にぶちまけました。

 長い年月が山盛りになったかのようでした。子どもたちはそのなかでもまぶしく輝いている布類にひかれました。ジムは虫が食った浅黄色の腰布と水仙やツルの絵柄が刺繍されたボロボロになった白のサテンのベストをまといました。

 フィービーはふたつの舞踏会のガウンの山のあいだで悩みました。それらは祖母アンジェリカ・トランブルのもので、蝶ネクタイが下がったピンクの錦織と赤と黄のストライプのタフタ(琥珀織の布)でした。両方とも年季が入っていましたが、とても幻惑的でした。けれどもフィービーには大きすぎました。

「早く着ろよ!」ジムはせかしました。彼女はボディス(胴着)で腰から落ちないようにとめてタフタを着ました。ジムはハサミで丈がかかとにかかるくらいの長さにスカートを切りました。スカートの端をジグザグに切ったのは、それが大きく見えないようにするためでした。

 裁縫室の棚には頭飾の山がありました。ジムはそのなかから赤い房がついたナイトキャップを、フィービーはバラとリボンがついた、あごの下でひもを結ぶ、つば広のレグホーン帽を選びました。

「ドレスアップしすぎだな」ジムは彼女をしげしげと見ながらいいました。「それはレディの帽子だぞ。脱いだほうがいい」

「あんたはどうなのよ」

「だからトリコーン帽じゃなく、ナイトキャップを選んだんだ。このほうが乞食っぽいだろう?」

「まあ、そうね。おかあさんなら、帽子をかぶるのはソバカス防止のためっていうでしょうけど。それにこの古い帽子、わたしのとくらべても薄汚いわ。ねえ、あとブリキのコップが必要でしょう?」

「コインを入れるのにね。パンの耳を入れる大きなもの、バッグかナップサックも必需品だな」

「バスケットのほうがいいわ」とフィービーはいいました。「おかあさんのバラのバスケットが下の広間にあるわ」

「あと、杖だな」とジム。「乞食って杖によりかかって歩いているよね。ぼくらもおとうさんの杖を二本ほどもっていくとしよう」

 正面玄関のかたわらの杖立てに、ペイズリー船長の杖がさしてありました。彼は立派な杖のコレクションをもっていました。ジムは銀をかぶせた黒檀(こくたん)の杖を、フィービーはイルカ形の象牙の取っ手がついたマラッカ杖を選びました。

 このように子どもたちは衣装をつけ、バスケットや杖をもち、家からこっそりと抜け出し、やぶの中を突っ切り、森の中に出ました。

 道路をいけばバターベイルの村まで5キロほどでしたが、子どもたちは森の中の馬道を進みました。小川にたどりつくと、かれらは泥をほっぺたに塗りました。ジムがいったように、乞食というのはつねに汚いのです。バターベイルの教会の庭のうしろの森からかれらは出てきました。最初の家は、牧師館でした。

「フィービー、杖にもたれかかって。よたよた歩きして」牧師館前の道に入るとき、ジムは命令口調でいいました。そして玄関前についたのです。

 玄関をノックすると、扉がひらかれて出てきたのは牧師自身でした。

「いったいどうしたんだね? あなたたちはどなたかな」杖にもたれかかっているふたりをじっとみつめながら牧師はききました。

「ぼくたちは乞食です」ジムは大きな、すさんだ声でこたえました。

「小遣い銭もない、一文無しの乞食です」とフィービーがつけくわえました。

「孤児なんです!」とジムはいいました。「おかあさんもおとうさんも中国に行ったまま帰ってきません。後見人も冷淡で、ぼくたちは捨てられてしまいました」

「とても寒いのに、ほうりだされたのです!」と鋭い青い目を輝かせながら、フィービーは叫びました。

「なんてことだ!」この尊敬すべき紳士は口を両手でおおいながら叫びました。「ま、実際のところ、季節らしからぬ温かい天気なのだがな」

「もしボロボロの服をまとっていたらちがいますよ」とジムは威厳をもって反対意見をのべました。「寒くてたまらないでしょう」

「わたしのボロ服を見てください!」フィービーは興奮してスカートをひらひらさせながら叫びました。スカートはさけて絹地を見せていました。「わたしの顔の泥もみてください!」

「こりゃあ、かなりきたないな」と牧師は同意しました。「どうしてそんなによごれたんだね?」

「つめたくあしらわれたということです」とフィービー。

「だがピンク色のかわいらしいほっぺただ。それは健康であるということだ」と牧師はいいました。

「でも外で生活しているんです」即座にフィービーはいいました。「家から家を回ってものもらいしているんです」

「ぼくたちはあわれな浮浪児なんです」陰鬱な口調でジムは言い張りました。

 牧師はなにかブツブツつぶやき、手で口を隠して咳をしました。「それで、たずねたいんだが、この悲惨な状況において、私に何を期待しているんだね」

「あなたさまの家の玄関にしのびこんだのは、パンの耳がほしかったからです」杖にもたれかかりながら、ジムは高らかにいいました。

「どうかわたしにもパンの耳のおめぐみを!」妹が声をかさねていいました。

「それならたやすいことだ」と牧師はいうと、じぶんの肩越しに「アデレイド!」とだれかを呼びました。「ちょっとこっちに来てくれ!」

 とてもやさしい顔立ちの淑女が玄関先の牧師のところにやってきました。

「私の愛する妻だ」と牧師はいいました。「ふたりのかわいそうな物乞いに、私の妻を紹介したい。気づいているだろうけれど、子どもたちが着ている衣はどれも豪華なものだが、みなボロボロなのだ。この子らの顔はとてもきたないが、それはつめたくあしらわれたからだという。この子らはまた、マイナス10度の寒い外にほうりだされることがあった。この子らののぞみはパンの耳だけだ。よきクリスチャンがこの子らの願いを拒めるだろうか」

「もちろんできませんわ、ジョン」と牧師の妻である淑女は、心のない笑顔を浮かべながらいいました。彼女は玄関ホールから消えたかと思うと、フルーツケーキがのった皿をもってすぐもどってきました。

「パンの耳がなくてごめんなさい。パンの耳はコックがガチョウのエサとして使ってしまったの。かわりにケーキをもってきたのだけど、気に入ってもらえるかしら」

「うわあ、ありがとう、ありがとう!」子どもたちはバスケットと杖を下に落とし、そろって歓喜の声をあげました。ジムはナイトキャップを払いのけ、おじぎをしました。フィービーはひざを曲げておじぎをし、皿の上のケーキの山から大き目のケーキの切れ端をとりました。

「パンの耳じゃなく、ケーキでほんとうれしいです」フィービーは満足げにモグモグと食べながらいいました。「パンの耳、大っ嫌いなんだもん」

「それならどうしてパンの耳がほしいといったんだね?」と牧師はききました。

「だってジムがそれ以外は欲しいっていってはダメだ、っていうんです。わたしたち、パンの耳をおじいちゃんの白鳥たちにあげることができるんです」

 扉の内側の両側にベンチがありました。牧師は手をふって子どもたちをなかに招きました。

「飢えている浮浪児たちが飢えをみたしているあいだ、すわって待っていましょう」牧師と妻はベンチにならんですわりました。子どもたちは向かいのベンチにすわりました。

 ジムは顔を赤らめながらいいました。「ぼくたちは飢えているとはいっていません。一文無しで心細いといったのです。おとうさんとおかあさん、そして一番上の兄が中国に行っているあいだ、ヘンリーおじさんがぼくたちの世話係でした。おとうさんはお小遣いを一銭も置いていきませんでした。というのも、ヘンリーおじさんはいつも多すぎるくらいぼくたちになにかをくれたからです。でもおとうさんがいなくなると、ヘンリーおじさんはそんなこと、みな忘れてしまったみたいなのです」

「おじさんはわたしたちのこと、忘れてしまったみたいなの」とフィーバーは沈鬱な顔でいいました。「ティリーおばさんのせいだわ」

「ティリーおばさん?」

「おじさんのお嫁さんです」

「ああ、なるほど。これでようやく事情が呑み込めてきたぞ」そう言いながら牧師は妻と笑顔をかわしました。「だが小遣いはどうしても必要なのかね? お金はすべての子どもたちにわたされるものではないよ」

「わかっています」とジムはこたえました。「でもぼくたちのボートにはオールがなくて、オールを買うためにお金が必要なのです」

「ということはきみたちはボートをもっているということだね。それでこぎかたは、知っているのかね」

「知っています。おとうさんが教えてくれましたから。もしオールが手に入ったら、妹にはぼくが教えます。おとうさんのオールはおとうさんのボートとベンのボートといっしょにボートハウスにしまわれています。ふたりとも遠出をしていますからね」

「これは奇妙な偶然だな」牧師は声高にいいました。「きみたちはボートをもっているが、オールがないという。私はオールをもっているが、ボートがない。数日前、私のボートは突然なくなってしまったのだ。大事に使ってくれるなら、私のオールをしばらくきみたちに貸すことにしよう。いつの日か返してもらいたいと思うだろうからね」

 子どもたちは喜び勇み、牧師に感謝の念を伝え、オールを大切にすると確約しました。それから夫人に別れのあいさつのことばをかわしたあと、牧師のあとをついて、家のまわりをぐるりとまわり、庭やニセアカシアの茂みを抜け、川端のボートハウスまで降りていきました。

 心やさしい牧師はボートハウスからオールをもってきて、一本一本をそれぞれ子どもたちにわたしました。

 ジムはオールをバスケットにさしこみ、それを肩にかけると、もう片方の手で杖をつかみました。フィービーも同様にバスケットを背負い、杖をとりました。

「いままで遠出したことがあるかね」牧師は問いました。

「荒れ野原村だけです、牧師さま。馬道しか知りません。ぼくたちの家はこの森の向こう側にあります」

「ペイズリー一家が住んでいるもともとのトランブル家の家だね。ということはきみたちはペイズリー船長の子どもたちってわけか! なるほど!」

 牧師はあごをかき、思慮深げに子どもたちをじっと見ました。

「きみたちが行く前に私はひとこと言わねばならぬようだ。もしおとうさまが息子や娘がボロボロの服を着て、パン屑の物乞いをしていると聞いたら、どんなに悲しまれるだろうか。おじさんやおばさんだってうれしくはないだろう。おとうさまたちが地球の裏側に行っているときに、子どもたちを虐待していると世間は考えるかもしれないだろうから。物乞いというのは……」

「でも、牧師さま!」気落ちした表情を浮かべて、ジムがさえぎりました。「これはたんなるゲームなんです! だれをも傷つけるつもりはありません!」 

「わたしたち、乞食ごっこをしているだけなんです! 楽しみでやってるだけなんです!」フィービーの目にはあふれんばかりの涙がたまっていました。

「そりゃわかっているとも!」あわてて牧師は声高にいいました。「それは楽しいゲームだろう、スリリングなね。きみたちふたりの演技もたいしたものだ。俳優のようだったよ。だがまじめな話、もし家から家へ物乞いをしてまわったら、人によってはそれをジョークと受け止めないかもしれない。バターベイル村にはゴシップをねじまげる連中がいるのだ。だからオールをもどすとき、もう乞食のかっこうはやめて、ふつうの姿でやってくると約束してほしいのだ」 

 ジムとフィービーはかしこまった顔をして約束をしました。子どもたちの長めの顔を観察しながら、牧師はいいました。

「さあ子どもたち、とくになにもなければ、しばらく私のところでケーキを食べながら話でもしようじゃないか。つぎにここに来るときは、ボートで来ることになるだろう。きみたちの家のうしろを流れる小川はそんなに遠くないからね。ところで申しおくれたが、私はホーリー博士だ。私と妻はいつでもきみたちを歓迎するよ」

 このていねいな招待になぐさめられた子どもたちは、あたらしい友人にわかれをつげ、森を抜けて急いで帰宅しました。

「乳母にオールを見せないようにしなくちゃ。いろいろと聞かれるだろうからね」歩きながらジムはいいました。フィービーは同意しました。

 その日の朝、家を出たとき、派手なかっこうをしたふたりはだれにも気づかれずにすみました。正午にもどってきたときは、そこまでラッキーではありませんでした。かれらはオールを薪(まき)小屋に隠し、家にはいると、玄関ホールに乳母のアニーが仁王立ちしていたのです。

「腕白坊主ども、あんたたち、いったいどこに行っていたの? そんな奇抜なかっこうでなにをしていたの?」アニーは両手で唇をおさえながら、厳しくきいてきたのです。

「ゲームをしていただけだよ」ジムは弱々しくこたえました。

「あんたたち、わたしのボロ入れ袋をかきまわしただろ。袋からすべて出して裁縫室の床にぶちまけただろ。そのかっこうはなんだい! 荒れ野原村じゅうの村人の目が釘付けになっただろうよ」

「そんなことないです、アニー」フィービーは誤解をとこうとしました。

「ただひとり、ぼ……」ジムがかわりにいおうとしました。

「ただひとり、なんだい? フィービー、おにいちゃんは止めなかったのかい」

 沈黙が流れました。

「たいした兄妹(きょうだい)だよ、おまえたちは。真実は真実さ。でも、もういいからそのヘンテコな服を脱いで、きたない顔を洗いなさい。昼ごはんはもうできてるんだからね」

 ロースト・スプリング・ラム、クリームポテト、採りたてのアスパラガス、バター・コーン・ブレッド、ミルク、ブラウン・ベティの紅茶というすばらしい食事でした。アニーはどれもおかわりを子どもたちに与えました。というのも彼女は、成長期の子どもはたらふくたべるべきだと信じていたからです。

 

 昼ごはんのあと、アニーに階上の部屋に行ってお昼寝でもしなさいといわれたとき、食べ過ぎて動けなくなっていた子どもたちは喜んでしたがいました。じっさいかれらは寝室にはいるとコテンと寝てしまい、午後おそくまで起きませんでした。

「フィービー、起きて。靴をはくんだ」となりの部屋のジムがフィービーの部屋に入ってきて起こしました。「ぼくたち、オールを手にもって、ボートのところに行かなきゃ」

「冒険家にでもなるの、わたしたち?」妹は兄にたずねました。

「時間がないんだ。もう3時半だぞ。あしたはピクニックにつれていかれて、コックに束縛されてしまう。ぼくたちは外に出て、まる一日もどってこないようにしなくちゃならない」

「それでわたしたち、今日はなにをするの?」

「海賊になるんだ」

 フィービーは心配になりました。「たぶんよくないことだと思うわ。乞食になったときとおんなじ。海賊って悪い人たちですもの」

「ぼくたち、悪いことはなにもしないし、だれにも見られないよ。たんに海賊みたいな衣装を着て、ボートに乗るんだ。こぎかたを教えるから」

 乳母のアニーは自分のカーペットのボロ切れが使われないよう裁縫室の扉に鍵をかけました。そのため子どもたちはじぶんたちの持ち物のなかから、海賊っぽい雰囲気を出すために探さねばなりませんでした。選択の余地はあまりありませんでした。ジムはバンダナを頭にしめ、フィービーのローマンサッシュの帯を腰に巻き、オモチャの剣をさしました。フィービーはジムの半ズボンをはき、ベルトに用紙カッターを通し、首にハンカチを巻いてしばりました。

「海賊は耳に金の輪をつけてるわ」と彼女はいいました。「カーテン・リングがかわりになるわ。でもそれがあるのは裁縫室だし」

「イアリングのことは気にしなくていいよ。ぼくたちに必要なのはジョリー・ロジャーだ。つまり海賊の旗だ。タオルの上にドクロとクロスボーンの印をインクで書けばいい。それをおとうさんの竹の杖にくくれば旗のできあがり」

 こうした準備がすべて整ったあと、ぼくたち自身を包帯で巻かなければならない、とジムはいいました。

「どうして包帯で巻くの?」

「なぜならぼくたちは無鉄砲なキャラクターだからね。港々で狼藉(ろうぜき)をはたらき、カリブ海では私略船をしずめてきたんだ」

 アニーの薬箱から白いリネンの包帯テープをとってきて、ジムはふたりの手足八本すべてをぐるぐる巻きにしました。船長の机からは赤インクがはいったビンをもってきて、包帯の上に赤い液をたらし、ひどいケガをしたかのように見せました。

 そして忍び足で家から抜け出したかれらは薪(まき)小屋からオールを持ち出し、川へ向かって走っていきました。

 ボートに乗り込んだとき、ジムはフィービーが人形の「ブルーベル」をもっているのを見て、気分を害しました。「探検」をしているときも、フィービーが人形を肌身離さずもっていることに腹立たしく思ったのです。

「いったいぜんたい、どうしていまブルーベルが必要なんだ?」

「どうしてって、もちろん海賊のメンバーだからよ」

彼女が海賊なんてありえない!」

「わたしたちが海賊でありえるのに、どうしてブルーベルが海賊であっちゃいけないの?」

「どうしてって、彼女はちょっとばかり子どもに見えるからだ」ジムはいらだたしそうに鼻を鳴らしました。彼はボートのへさきにしゃがむこみ、もやい綱がつながれた鉄の輪に竹製ポールの旗を通しました。

 船尾にあるシートはちょうつがいで動くようになっていました。フィービーはシートを起こし、その下のあいた空間をじっと見ました。そこには釣り竿やぐるぐる巻きのロープがあり、すみには青色のなにかが置かれていました。それはウールのマフラーでした。フィービーはそれを手に取り、人形をつつみました。

「で、いまなにをしてるんだ?」ジムが問いただしました。

「ブルーベルをマフラーにくるんだのよ。これでもう寒くないわ。彼女は船酔い気味のかわいいキャビンボーイってとこ」彼女は人形を手に持ち、幼児のような甘ったるいしゃべりかたで話しかけました。

「フィービー、よく聞くんだ!」ジムは怒り叫びました。「人形と遊んでるんじゃない! なにをすべきか教えてやる! 海賊ごっこをちゃんとしないなら、探検にいっしょに来なくていい! それだけじゃない、ボートのこぎかた、教えてやんないから!」 

 この凄みをきかせたおどしは、何の効果もありませんでした。というのもその瞬間、近くの茂みからがらがら声のささやきが聞こえて飛び上がらんばかりにびっくりしたからです。

「おい、わんぱくども、このボートでいったいなにをしてるんだ?」

 葉のあいまから顔があらわれました。とにかくひどい顔でした。まんなかの鼻は紫色、目はブラックベリーみたいで、顔のその他の部分はごつごつした赤い剛毛におおわれていました。

「もういちどきくが、おまえらなにをしてるんだ」顔はしかりつけるようにいいました。

「ボートで遊んでいるだけです」ジムは防御をかためながらこたえました。

「わたしたち、海賊よ」人形を胸にだきしめながらフィービーはこたえました。

 顔は鼻であしらうようにいいました。「海賊だと? そうだな、おまえらは海賊だな! なぜならそのボートはおれさまのだからだ」

 子どもたちはおどろきました。ジムはすぐにじぶんたちのまちがいに気づきました。しかしフィービーは抗議しました。「このボートはわたしたちのものよ!」

「おまえたちのものだって? へえっ。それじゃあボートをよく見てみようか」

 醜い男が茂みからあらわれました。男は一歩ふみだしただけで、ボートの横に立っていました。男は腕の下に一対のオールをかかえていました。もう一方の手は釣り竿をもってふりかざしています。

「こっから出ていきやがれ」声は低くおさえられていましたが、それだけに危険な香りがしました。「出てけといってるだろ、どろぼうめ」 

 ジムは鉄の輪から旗のポールをぐいと抜き取り、それをフィービーに投げてわたし、オールをもちあげました。そして転げるようにボートから出て、子どもたちは一目散に逃げました。

 かれらは木立のあいまを駆け抜けて丘の上に到達しました。フィービーはジムのうしろにぴったりついて走りました。「でもやっぱりわたしたちのボートよ」フィービーは泣きながらいいました。「わたしたちを追い出すなんてできるわけないわ!だってボートはわたしたちのものなんだから」

「でもフィービー、もしかするとあの人のボートかもしれないよ」

 フィービーはショックのあまり涙がとまらなくなりました。「わたしたちのものよ! あいつのものであるわけがないわ!」

 ジムななんの慰めのことばもあげることができませんでした。家が近づくとジムはきびしくフィービーに注意しました。「メソメソしててもいいけど、鼻をすすったり、泣きじゃくったりするのはやめろ。でなければアニーが気づき、なにごとかとやってくるだろう。アニーに出会う前に着替えをしなくちゃ。このオールはつつじのなかに置いていこう。だから薪小屋のなかでかわったことに気づかないよ」

 アニーは村から外に出て子どもたちを追うことはできなかったけれど、外のこともよく知っていました。食事時はとくに、注意を怠らないようにしていました。いま、夕食の時間が近づいていました。アニーは二階の窓から子どもたちをじっと見ていたのです。かれらが茂みから飛び出してきたとき、そのいでたちに肝を冷やしました。ジムはまっさおな顔をし、フィービーは泣きべそをかいていました。ふたりとも体中包帯をまき、血がにじみでていました。恐怖と太りすぎのせいであえぎながらアニーは階段を駆け下り、扉をあけてなかに入ってきた子どもたちと鉢合わせになりました。

「子猫ちゃんたち!」子どもたちをだきしめながらアニーは叫びました。「あなたたちのとうとい体に何があったの? ジム、もう気に病むことはないわ。フィービー、かわいこちゃん、もう泣かないで。子守のわたしがなんでもなおしてあげるからね」

 アニーはふるえる指ですばやくフィービーの腕の包帯をほどいていきました。そして最後のひと巻きがほどかれると、彼女のくちびるは真一文字になりました。顔はみるみる赤くなり、同情は怒りに変わったのです。彼女はいかなるいいわけも聞こうとしませんでした。

「つぎはどんな悪魔の所業が悪夢みたいに出てくるのかしら。血を流す死体でも出てくるんでしょうかねえ。わたしの目が節穴だったら、リネンの包帯巻いてケガを装う手伝いをするところだったわ」

 ジョリー・ロジャー(海賊旗)を目にとめてしまったアニーはふたたび怒りを爆発させました。

「それに逸品のダマスク織のタオルが殺されているわね! それでこの邪悪な旗を作ったなんて! あんたたちの聖なるおとうさんの杖も釘だらけじゃないの!」

 この釘だらけの杖をもってアニーは子どもたちをベッドに追い立てました。「夕ご飯はなしだからね!」これは家族のきまった「お仕置き」でした。ただこの「お仕置き」が彼女に面倒をもたらすことになるのです。

 通常ですと、二時間後にアニーは長い時間の飢えが子どもたちの成長に悪影響を与えるのではないかと心配し始めます。そこで彼女は夕食をもう一度作るようコックにたのみます。そして食べ物でいっぱいになったお盆をもって、何度もよろめきながら階段をあがるのです。

 神経過敏になったとき、おいしい食事は心をなぐさめてくれるものです。しかしこの夜は、憂鬱な子どもたちの心をほぐすことはできませんでした。ピンクと緑のボートは、かれらが思ったような、かれらの切なる願いと祈りにこたえてくれた天国からの贈り物ではありませんでした。不公正な神の思し召しによってそれはいやしい性格の紫鼻の男に与えられたのです。

「乳母さん、ブルーベルはもっていってもいいかしら?」アニーがお盆を片付けにやってきたとき、フィービーはたずねました。

 老女の機嫌はだいぶよくなっていました。彼女は人形をフィービーにわたし、おやすみのキスをして子ども部屋につながるドアをあけました。「かわいい小悪魔ちゃんたちがさびしくないように」と彼女はつぶやきました。甘いよい夢が見られるようにと祈って、彼女はあつめたからの皿をお盆にのせ、立ち去りました。

 薄明も終わりかけていました。空はくもっています。巣にいる鳥たちはさえずりをやめました。森の奥ではヨタカが互いに悲しげに呼び合っています。フィービーは枕の横にブルーベルを置くことによってなんとなく安心することができました。人形はもう船酔いしたキャビンボーイではありません。マフラーももう必要ではありません。マフラーを手に取ったとき、ふと気づきました。「ボートがあの紫鼻の男のものなら、そこにあるすべてのものが男の持ち物のはず。すると遅かれ早かれ、男はマフラーがなくなっていることに気づくわ。ドロボウのガキどもめ、と私たちのことをあしざまにいうにちがいないわ」

 真夜中に男がやってきて家の壁をよじのぼり、窓からなかをのぞいてマフラーを探す姿を想像し、彼女はこわくなりました。

 彼女はみぶるいし、上半身を起こして窓のほうをじっと見ました。漆黒の闇に囲まれた青白い長方形がそこにはありました。

 男は夜中まで待つ必要もありませんでした。暗い夜がさらに暗さを増しているころ、男は、はうように丘をのぼっていました。そして雑木林のあいまを影が滑りおりました。

フィービーはこの家の片側をおおっているツタを、男がよじのぼっているのが見えました。彼女は葉がこすれる音、深い呼吸、よじれたロープのようなツタがギシギシときしむ音を聞きました。彼はヒョウのようにしずかに登ってくるのです。すこしずつ彼のブラックベリーのような目と紫鼻が窓枠にあらわれてきました。彼の体のほかの部分も姿をあらわしました。空にはクモの形をしたインク状の染みが広がっていました。それから男は部屋に侵入し、フィービーの耳元でささやいたのです。

「このドロボウのクソガキめ」

 それはゾッとするとげとげしい声でした。


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