ばけ猫オパリナ あるいは九度転生した猫の物語 

ペギー・ベイコン 宮本神酒男訳 

 

第五の生(1852 トウィル騒動(上) 

 

 カンバーランド夫妻は裕福でしたが、楽しみというものをもっていませんでした。かれらはでっぷりと太り、退屈な人々でした。妻のカンバーランド夫人は自分自身のことをたいへんな病弱者とみなしていました。一日中私室のなかに寝転がり、何をするにもベルでメイドを呼び、ものを持ってこさせました。夫のカンバーランド氏もまた書斎に閉じこもり、議員やお役所の忙しい人々にあてて、自分の意見やアドバイスをこめた長たらし手紙を書きました。夜になるとこの威厳のある夫婦はドレスアップし、執事や従僕が駆け回り、たくさんの料理が出される晩餐会をもうけました。そのあとトランプのペイジェンス・ゲームをおこなうと、寝室に引き上げました。

 かれらにはエミリーという名のたったひとりの子どもがいました。

「子どもってわたしのかぼそい神経には負担が多すぎますわ」カンバーランド夫人はうなるような声でいいました。

「子どもは見られるものだ、聞かれるものじゃないからな」夫は厳しい表情でいいました。じっさい、ふたりとも娘をよく見ていなかったのですが。

 毎日エミリーは朝食部屋にやってきて両親に「おはよう」といい、就寝時には応接間にやってきて両親に「おやすみ」といいました。食事は子供部屋で女家庭教師といっしょにとりました。カンバーランド夫妻にとっては、それで十分満足できたのです。

「トウィルは宝ですわ」カンバーランド夫人はいいました。

「すばらしい女性だ」夫も同意しました。ミス・トウィルはたしかにおとなが見たら称賛したくなる資質をもっていました。

 トウィルはきちんとしていて、とても厳しく、信頼のおける人でした。彼女はエミリーに個人レッスンを与え、外に出ていくときはいつも手をしっかり握り、肉を食べるときはそれをこまかく切り、マッチやナイフ、ハサミに触れさせないようにし、本を読むときはエミリーがいやがるのもかまわず大きな声で読み上げました。起床のときからつねにエミリーのそばにいて、朝から晩まで彼女にあれこれ指図しました。エミリーはいつも彼女にいわれたことに従いました。エミリーがいわれたとおりにしなかったら、幽霊部屋に閉じ込めるとミス・トウィルは脅しました。

 そのころまでにこの部屋は有名になっていました。あたしが出没するようになったからではありません。トッツィーやジェレミー・グリーンにしたことを思い出してください。あたしには原因を作りだす才能があり、それを使うのです。まえにもいったように、望ましくないゲストを追い出すことがありましたが、それだけです。ところがばからしい話に尾ひれはひれついて拡散しました。広めたのは無知で迷信深い人々でした。ぞっとするものがここに住み着いている、ですって。首のない幽霊、ガチャガチャ音を鳴らすガイコツ、叫び声をあげる怨霊(バンシー)、鎖にがんじがらめになった体! 召使たちでさえ暗くなったあとはこの部屋に入ることができないっていうのです。昼間は裁縫室として使われたのに、ここで寝ようという人はいませんでした。ミス・トウィルは幽霊の存在を信じませんでしたが、恐い話をしてエミリーを震え上がらせました。それはエミリーを行儀よくさせるためだったのです。

 隣の家、といっても村に通ずる道の途中なのですが、そこにエミリーとおなじ年頃の小さな女の子が住んでいました。アン・エヴァンはエミリーとはまったく異なる生活を送っていました。アンの父親は村の学校の先生であり、母親は村の仕立て屋でした。アンは弟や妹の世話をしなければなりませんでした。

 つまり年少の弟や妹がお風呂に入るのや着替えるのを手伝うのはアンでした。赤ん坊にミルクを飲ませ、あやすのはアンでした。母親のために使いに走るのはアンでした。村のだれもがアンのことをよく知っていました。アンもこの田舎のことならなんでもよく知っていました。アンは自由で独立した子どもであり、責任をもっていることに誇りを感じていました。彼女はエミリーが頑迷そうで人を不愉快にさせる女家庭教師に引き回されるのを見るたびに、心から同情しました。彼女はときおりエミリーの目をとらえ、エミリーもまた何かを欲するような視線を返しました。エミリーには遊び友だちがなく、友だちになることがどういうことかも知りませんでした。

 毎日3時になると、天気が許せば、ミス・トウィルとエミリーは村に歩いていきました。そこでミス・トウィルは少しばかりの買い物をしました。ある雪の舞う2月の日の午後、小間物屋からの帰り、カンバーランド家までまだ半分の道を残しているところで、彼女は財布を店のカウンターに置き忘れたことに気づきました。

「エミリー、走ってもどりなさい」と彼女は命じました。「財布を取りに行ってくるわ。そんなに長くはかからないから。客間でブーツを脱いでコートを掛けなさい。乳母のところにまっすぐ行って、私が戻ってくるまで数学の勉強をしなさい」

 ミス・トウィルは向きを変えると、大またでキビキビと歩いていきました。このときエミリーは命令にしたがいませんでした。これは生まれて初めてのことです。

 道の途中でエバンス家の前を通ったとき、エミリーはエバンスの子どもたちが庭の巨大な雪のかたまりの上で転がっているのを見ました。アンはエミリーに向かって手を振り、軽く会釈してほほえみました。千に一度のチャンスだわ、とエミリーは考えました。彼女は駆けて家に通じる道にもどりました。

 ミス・トウィルを見張らなければならないことはよく知っていました。ミス・トウィルが遠くにあらわれた瞬間、エミリーは彼女よりも早く家にもどらなければなりませんでした。ミス・トウィルはひどい近視眼の持ち主でした。ミス・トウィルがエミリーを見つけるずっと前にエミリーは彼女を見つけることができたのです。いくつかの商店は半マイル(0・8キロ)離れたところにありました。すくなくとも25分間は安全で邪魔がはいることはありませんでした。

 25分間の自由! アンと友だちになれる25分間! 年下の子どもたちと親しくなり、巨大な雪玉でふざけて遊び、それを転がしてどんどん大きくなるのを見ることも、赤ん坊と「いないいないばあ」をして遊ぶことも、順繰りに鬼になって鬼ごっこをすることも、笑ったり叫んだりすることも、雪の中に突っ込んだり、転げまわったりすることもできる25分間! たっぷり喜べる25分間! 25分間は25分間! たったの3分間に思えるかもしれないけれど。でもそのとき―― 

「エミリー!」鋭い叫び声が聞こえてきました。「エミリー、すぐこっちに来なさい! すぐにっていってるでしょう? 聞こえないの?」

 ミス・トウィルは威勢のいい馬みたいに雪の中を突き進み、エミリーの手首をつかむとサヨナラもいわせないかのようにグイグイと引っ張っていきました。

「ほんとにいけない子ね! 走って逃げて薄汚い浮浪者みたいな子どもたちと騒いでいるんだから! ぜったいダメです! 家に帰って遊びなさい! おばけ部屋があるじゃないですか。そこならまちがいはありません!」

 家に連れ戻され、この扉からおばけ部屋に放り込まれた子どもは、シクシク泣きむせびました。部屋はとても暗かったのですが、外から鍵がかけられました。

 

「ああ、なんてひどい! 恐ろしいわ!」エレンは叫びました。「ミス・トウィルってほんとにいやな女! かわいそうなエミリー!」

「なんてかわいそうな子なんだ」フィルも同調しました。

「かわいそうってどうして?」ジェブは心配そうにいいました。

「だれもかわいそうじゃありませんよ、子どもたち」オパリナはなだめるようにいいました。「ふたりはどうして取り乱しているのかな。エミリーはあたしと閉じ込められたのですよ! そんなに悪いことじゃないでしょう?」

「でもエミリーは怖がったはずよ」エレンは言い返しました。「ミス・トウィルは怖そうに話したはずだから」

「たしかにはじめは怖がりました。エミリーは震え、泣きべそをかき、あたしのとおなじくらいに大きな目を開いてあたりを見回しました。でも首なしの幽霊がいたわけでも、ガチャガチャ鎖が鳴り響くわけでもありませんでした。あたしはできるだけじぶんをチャーミングに見せました」

 

 エミリーが見ることのできたのは小さな白猫だけでした。あたしは彼女の耳元でささやきました。「こわがらないで、かわいこちゃん。あたしはトランブル家の猫のおばけ、オパリナっていうの。お屋敷にいる唯一のおばけよ。友だちになりましょう」

 エミリーはとても敏感な女の子でした。でもこのことばで落ち着くことができました。子どもたちにはこれで十分なのです。子どもたちは偏見をもっていません。予想もしなかったことがあっても、うまく適応できるのです。あたしたちが友だちになるのに時間はかかりませんでした。そのときからずっとエミリーはあたしにたいして打ち解けるようになりました。

 夜、ミス・トウィルがエミリーを寝室に連れていき、階下におりると、夜のあいだ戻ってくることはありませんでした。エミリーは夜着のガウンに着替えると、一時間だけひそかにあたしと過ごしました。彼女はあたしにもめごとについて話してくれました。あたしはエミリーを元気づけ、いいなりになってばかりではいけないと鼓舞しました。エミリー・カンバーランドはこうして精神力を高めていくことができたのです。彼女はもうみじめな子どもではありませんでした。もはやそうそうたやすく虐待されることはなくなったのです。

 トウィルはエミリーの突然の変化に困惑しました。彼女は大胆になり、自由にふるまうようになったのです。エミリーはまったくのおてんば娘というわけではありませんでした。トウィルが両親にいいつけるようなすきを与えなかったのです。エミリーは礼儀正しく、勉強も一生懸命にやり、ミス・トウィルにしたがいました。しかしミス・トウィルが大声で本を読んでもエミリーは聞こうとしませんでした。彼女は鼻歌をうたい、人形とおしゃべりをしました。毎日の散歩のとき彼女はトウィルの手をもつのをやめ、しばしば逃げて隣家のアン・エヴァンスと遊びました。

 そして罰に関しても無頓着になりました。おばけ部屋に喜んで走っていくさまを見るとミス・トウィルはいらだちを覚えました。そして彼女を憤慨させたのは、恐い話を聞いてもエミリーが笑い飛ばすようになったことでした。

「ミス・トウィル、そんなナンセンスな話、信じているのですか?」こうしてトウィルは自分の力がなくなっていることを実感するようになりました。


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