折々の記 Mikio’s Book Club
宮本神酒男
第17回 古代アレクサンドリアの美貌の女性学者はなぜ惨殺されたのか
チャールズ・キングズリー『ヒュパティア、あるいは古い顔の新しい敵』
ヒュパティア美貌説の真偽
レイチェル・ワイズが主役を演じるアメナーバル監督作品『アレクサンドリア』(原題はAgora
2009)にすっかりかぶれてしまった私にとって、哲学者、天文学者、数学者のヒュパティア(355?370?−415)は、ハリウッド女優のように美しく、レイチェルの演技が示すごとく雄弁で、才能あふれた、意志の強い女性である。
アレクサンダー大王が建設してからおよそ七百年、エジプトのアレクサンドリアはローマを凌駕するほど科学や文化が進んだ世界の中心都市だった。その町で知性と美しさにおいてヒュパティアは燦然と輝く存在だった。
児童文学の傑作『水の子どもたち』以外は忘れ去られてしまった感があるが、英国国教会の聖職者でもあった作家チャールズ・キングズリー(1819−1875)が小説『ヒュパティア、あるいは古い顔の新しい敵』(1853 邦訳は『ハイペシア』という題で1923年刊。最近の和訳もあり)を書いている。そのなかで、語り手の若い修道士フィラモン(ピラムモーン)の道案内をした自称哲学者でギリシア人の浅黒い小男に、ヒュパティアを礼賛させている。さんざんヒュパティアの名を聞かされたあと、間抜けな調子で「ヒュパティアって誰ですか」とフィラモンがたずねると、小男は憤然としてこたえた。
「ヒュパティアとは誰かだと? この田舎者め。アレクサンドリアの女王様だよ。その知性は女神アテナだ。気高さは女神ヘラだ。美しさは女神アフロディテ(ヴィーナス)だ」
成功哲学についての著作があり、アナキストを称するも、当時流行していたニューソート(新思考)に傾倒していた米国の作家エルバート・ハッバード(1856−1915)は、『偉大なる者の家への小さな旅』第10巻の「ヒュパティア」の章でつぎのように語る。
彼女(ヒュパティア)がアテネで数か月を過ごしたときのこと、そこでは彼女の若さ、美しさ、知力とも評判がよく、あらゆる立派な貴族の家から招待されたほどだった。ローマやイタリアの他の町に行ったときも同様だった。上流社会に入るには通常お金が必要となるが、彼女の場合、才能が扉を開く呪文となった。彼女は王女様のように旅行をし、実際そのように歓迎されたが、貴族の称号があるわけでも、高い身分にあるわけでもなかった。美貌だけでは人を信用させるどころか、疑いの目を向けさせることもあるが、彼女の場合、知性が備わっていたので、話はまったく異なった。
もちろんこの若くて美しい、知性を兼ね備えたヒュパティア像は伝説化された姿にすぎないかもしれない。実際、ポーランドの古典学者マリア・ジールスカは『アレクサンドリアのヒュパティア』のなかで、ヒュパティアの生年を一般的な370年ではなく、355年としているのである。そうするとヒュパティアが殺されたとき、彼女は60であったことになる。
映画『アレクサンドリア』の時代考証を務めたフェイス・L・ジャスティスは、ジールスカの説を採用し、小説『アレクサンドリアのセレネ』(2009)に、60歳手前の初老のある種の美しさをたたえたヒュパティアを登場させている。
主人公のセレネは(セレネはキリスト教徒である)アレクサンドリア中にその名を轟かすヒュパティアの毎週月曜日の講義をどうにか聴講したいと考える。そこで兄の力を借りて公開広場の座席になんとか滑り込んだ。そこには噂と違わない凛としたヒュパティアの姿があった。
彼女(セレネ)は今はじめて、ヒュパティアの目尻の笑い皺を間近に見ることができた。形のよい、流れるような白髪がうなじのあたりで結ばれていた。
「静粛に」と彼女が言うと、学生らは身動きひとつしなかった。
セレネは一言も逃すまいと、注意深くヒュパティアの言葉を聞いた。彼女の顔はたしかに老人のそれだったかもしれないが、その透き通ったアルトの声は魂を震わせるものがあった。
願望をこめて言うならば、アレクサンドリアの裕福な家庭(父親はムーセイオン、すなわち学士院の有名な天文学者、数学者のテオン)に生まれたヒュパティアは、美貌と知性の両方に恵まれた稀有なる存在だった。アテナイやローマを旅したこともあり、蓄えた知識と経験は相当のものがあっただろう。
そんな彼女とアレクサンドリア随一の知性を持った父テオンのいる家庭がアカデミックなサロンになったとしても驚きではない。そこで論じられていたのはプトレマイオスの宇宙論であり、ネオ・プラトニズムだった。国教として認められたキリスト教が勢いを得て、ギリシア哲学の流れを汲む知性を異端として排除しようとするなか、ヒュパティアのサロンは最後のよりどころとなったのである。その後彼女は哲学、科学を教える学校の校長となる。
そのとき彼女が60歳の白髪の女性であったとしても、知性があふれるその姿はさぞ美しかったことだろう。
元祖フェミニストとしてのヒュパティア
上述の作家フェイス・L・ジャスティスがヒュパティアに興味を持ったきっかけは、フェミニズム・アートの巨匠ジュディ・シカゴ(1939− )の展覧会「ディナー・パーティ」だった。「39人のゲスト」のなかに含まれていたヒュパティアをテーマとした作品に感銘を受けたのだという。
私の手元にはいま、シカゴの自伝的エッセイ(といっても彼女は当時まだ30代だったが)『花もつ女』(1975 邦訳は1979)がある。彼女の芸術作品には女性器を連想させる刺激的なものも多く、はじめてそれらを見たとき、ひどくとまどったのを覚えている。しばらくは世界すべてがフェミニンなものに見えたものである。
いくらギリシアのアカデミズムが自由だったとはいえ、そしてアレクサンドリアがギリシアのアカデミズムを継承していたとはいえ、科学や哲学の部門で女性が歴史に名を残すのはきわめて異例なことである。
「ヒュパティアはしばしば15世紀もの間、ただひとりの女性科学者であると考えられてきた」(アーリク『男装の科学者たち』)とマーガレット・アーリクが述べるように、つぎの偉大な女性科学者が現れるまで、1500年待たねばならなかった。キュリー夫人(マリ・キュリー 1867−1934)が登場したとき、ヒュパティアの存在を想起した人も少なくなかったはずだ。
ヒュパティア自身、長い間顧みられることはなかった。埋もれていたこの稀有な女性を発掘したのは(同姓同名の歴史作家ではなく)アイルランド生まれの思想家ジョン・トーランド(1670−1722)である。
彼は『ヒュパティア、あるいは不相応にも聖キュリロスと称される大司教がプライド、見栄っ張り、残忍性を満たしたかったがために、アレクサンドリアの聖職者たちによって八つ裂きにされて殺されることになった、もっとも美しく、もっとも美徳があり、もっとも知性があり、すべてを成し遂げた女性の物語』(1720)という、モンティ・パイソンのネタにでもなりそうな舌をかみそうな長いタイトルの本を書いた。熱狂的なプロテスタントという一面があった(実際は自由思想家と言ったほうがいい)ジョン・トーランドは、ヒュパティアがカトリックにあらがい、孤高として戦ったことを評価したのである。しかしカトリックは対抗して『ヒュパティア、もっとも高慢ちきな女校長の物語 トーランド氏の誹謗中傷から聖キュリロスとアレクサンドリアの聖職者たちの名誉を守るために』と題された本を出版した。*ジョン・トーランドはネオ・ドルイド教の誕生にも中心的役割を果たしたと信じられている。(⇒ 「ドルイドの書」)
19世紀になると、「ヒュパティアからインスピレーションを受けたフランスの詩人やイタリアの作家、英国の歴史家たちが、彼女の美しさ、知性、魂の純粋さを熱狂的に謳うようになった」(ジャスティス)という。そんな風潮のなかで、キングズリーの『ヒュパティア』が生まれたのである。
ジャスティスが地元の図書館でキングズリーの本を手に取り、「埃を吹き払った」ところ、そこに(ヒュパティアは)「プラトンの精神とアフロディテの肉体を持っている」という一節があったという。このキングズリーの時代に、美と知性をあわせもつヒュパティアの理想像ができあがった。
20世紀に入ると、「ニューエイジ信奉者、科学者、フェミニストがそれぞれのヒュパティアの物語を主張するようになった」(ジャスティス)という。フェミニストにとって、ヒュパティアを殺したのは女性差別者だった。総督にアドバイスを与え、将来の司教を教育する彼女は黙らせなければならなかった。というのも彼女は女性だったからである。彼女から教育を受け、異教徒の思想を教えられた人々が政府や宗教の幹部になっていった。ヒュパティアが隠然とした力を持つのは当然のことだった。
彼女は女性としての殉教者であったが、同時に科学者としての殉教者でもあった。
科学者としてのヒュパティア
上述のように、人類の科学史をざっと眺めたとき、女性科学者の数のあまりの少なさに暗澹たる思いにさせられる。これは女性が科学に不向きなのか、それとも女性に科学を学ばせない社会構造があるのか、あるいは歴史から抹殺されてしまったのかと考え込まざるを得ない。
ヒュパティアの存在は暗黒の科学史における唯一の光であり、慰めである。しかしそのヒュパティアは、科学者として見るとき、独立して語られるほどの学者なのか、それともムーセイオン(学士院)の有名な学者であった父親のテオンが発見し、理論づけた数学や天文学の公式を教えただけなのだろうか。彼女が書き残したものがすべて失われてしまっている今、科学者としての彼女を評価するのはむつかしい。
東ローマ帝国で編纂された『スーダ辞典』によれば、ヒュパティアは少なくとも3冊の著作を書いている。それらは「(代数学の父)ディオファントス(200−284)に関する論評」「天文学規範」「アポロニウス(前262−190)の円錐曲線に関する論評」といったものらしかった。これらは現存していないので、弟子シュネシオスの手紙から内容を類推するしかない。
ヒュパティアはアポロニウスの円錐曲線に熱中していたという(アーリク)。円錐曲線の意義が理解されるようになったのは、それが天体の軌道を記述するのに有効であることがわかる千数百年後のことである。
このほか父テオンの『アルマゲスト(天文学集大成)』(プトレマイオス 90−168)の注釈の手伝いをし(第3巻には娘のヒュパティアが貢献しているとテオンは記している)、エウクレイデス(ユークリッド
前4〜3世紀)の『幾何学原論』の改訂にも参加したことがわかっている。現在残っている『アルマゲスト』や『幾何学原論』にはヒュパティアの手が加わっている可能性があるのだ。
技術者としてのヒュパティアも評価されるべきだろう。アストロラーベ(天体観測儀)を実際に彼女は設計し、その使い方を生徒に教えた。もっとも、アストロラーベはプトレマイオスの時代からあり、彼女が発明したわけではない。そのほか水位計(おそらく液体比重計)も作っている。これはアルキメデスの理論に基づいたものである。
テオンや娘のヒュパティアは、エウクレイデスやディオファントスのようなオリジナルの偉大さがあったわけではないが、当時のアカデミズムにおける世界最高峰であったことはまちがいない。しかし人類の英知を集めた図書館や博物館が灰燼に帰したいま、失われつつある知識や技術を保持するだけで精一杯だったのではなかろうか。
アレクサンドリア図書館炎上
十字軍遠征(1071−1272)はキリスト教の暗黒の歴史の一幕だが、アレクサンドリア図書館の破壊もまた知られざるキリスト教の汚点といえるだろう。
アレクサンドリアはもともとアレクサンドロス大王によって紀元前331年にヘレニズム文化の中心となるべくエジプトに建設された都市である。その後この都市は大王の将軍だったプトレマイオス1世が創立したプトレマイオス朝の都として発展した。図書館は紀元前300年頃に建てられた。蔵書は70万巻にも及んだと言われ、人類の叡智がここに集約されたといっても過言ではない。
エジプトがローマ帝国の支配下に置かれる紀元前30年頃までには、図書館は講堂や集会堂、薬草庭園などを含む巨大なアカデミズム・コンプレックスの一部となっていった。エウクレイデス(ユークリッド)やアルキメデス、エラトステネス、プトレマイオスなど人類の叡智ともいうべき人々もここで研究生活を送った。
もし反省すべき点があるとするなら、人類の知性がここに集まりすぎてしまったことだろう。現代の表現に言い換えるなら、テロリストに攻撃されてしまったら、クラウドに保存することもできず、マイクロフィルムもなかった当時、情報の安全性に関して言えば脆弱すぎたのである。当時のテロリストは、語弊があるのを恐れずにいえば、原理主義的なキリスト教徒だった。
イエスが磔刑に処せられてから350年以上の月日が流れていたが、この数十年の間に大きな変革が起きていた。キリスト教はもともとローマ帝国のなかで迫害を受けていたのに、380年、テオドシウス帝はローマ帝国においてキリスト教が国教となったことを宣言したのである。これはとんでもない大転換だった。それまで異端であった宗教が国の公式の宗教となり、それまで権威があった宗教が異端になってしまったのだから。
アレクサンドリアの象徴的存在であったセラピスの神殿も破壊されてしまった。現代のイスラム教原理主義が偶像崇拝的なものの破壊に向うように、あらたに力を持ったキリスト教の原理主義はまず偶像崇拝の破壊に向ったのである。彼らは偶像にとどまらず、ついには図書館の破壊へと突き進んでいく。彼らにとって異教徒の叡智の蓄積は、真の信仰をさまたげるものでしかなかった。最近の「イスラム国」に喩えるのは飛躍しすぎかもしれないが、新興勢力はしばしばこうした破壊衝動を産みだすものなのだ。
また、ここで忘れてはならないのは、ユダヤ人社会の存在である。人口百万人を擁する世界第二の都市アレクサンドリアの5地区のうち2地区でユダヤ人は過半数を占めた。(ポール・ジョンソン)彼らは偶像崇拝者でないものの、次第にキリスト教徒からの迫害を受けるようになる。
最近のヒュパティアを扱った小説のなかでは、カイ・ロングフェローの『銀の如く流れ落ちよ アレクサンドリアのヒュパティア』(2009)が、炎上するアレクサンドリア図書館に駆けつけるシーンを冒頭に持ってきている。
本が燃えている!
私、ヒュパティアにとって、本は生命体の血のようなもの。私は馬を疾駆させた。誤った行為に対する復讐の神、戦いの女神セクメトが私を守ってくださるだろう。
アゴが壊れるほど叫び、黒い煙ほど心は暗黒になり、照り輝くほどの血しぶきを手に浴びながら、キリスト教徒たちは町中で暴れまくっていた。彼らの司教に後押しされ、忍耐を越えて、理性を越えて、狂気さえも超えて、壊しまくった。
そしてヒュパティアは炎のなかからできるだけ多くの本を救出しようと試みる。
数学者ディオファントスの残りをなんとか持ち出そうとしたが、神父に罰を食らうことを考えると躊躇した。本は、船倉のなかにさまざまな世界を入れて運ぶ船のようなものだった。これらは私の紙船だ。やはりすべての本を救出すべきだ。異教徒のように、私は燃える本の匂いをかいでいた。しかし哲学者プロティノスや著書『エンネアデス』はどうすべきなのだ? ディオファントスの数学はまあいいだろう。それはほとんどがわが頭の中に入っているから。でも偉大なるプロティノスは……。おなじ思想を持つ哲学者など二度と現れないだろう。
しかし、もしアレクサンドリア図書館が消失していなかったら、何が残っていたのだろうか。あるいはそれは膨大な落書きだったのだろうか。残念ながら、ないものを調べることはできない。おそらくヘルメス文書のようなものが多かったのだろうが、たしかめることはできない。技術的なデータや理論が失われてしまった可能性は十分にありうるだろう。だからピラミッドの秘密がいまだに全面的に理解できていないのではないか。そうだとすると当時の新興宗教であったキリスト教の罪は重すぎる……。
ヒュパティアの無残な死
ヒュパティアに関する同時代の数少ない記述のなかで、もっとも信用されているのがソクラテス・スコラティコス(380−439?)あるいはコンスタンティノープルのソクラテスの『ヒストリカ・エクレシアスティカ』である。キングズリーの小説や映画『アレクサンドリア』をはじめとする後世のおびただしいフィクションのヒュパティア像の元ネタはここにあるのだ。
(……)哲学者テオンの娘、ヒュパティアは同時代のすべての哲学者をはるかに凌ぐほど、文学や科学において卓越した才能を示していた。
(……)その非凡まれなる気品と美徳ゆえ、男たちはますます彼女を賞賛した。しかし彼女は当時蔓延していた政治的な嫉妬の犠牲者となる。彼女は頻繁にオレステス長官と会っていたが、そのことが険悪な間柄だった長官と大司教との仲直りの機会を奪っていると、キリスト教の信徒のあいだで非難されるようになったのである。それゆえペテロ(ペトルス)という名の読師を首謀者とする、熱狂的で偏屈な連中がヒュパティアの帰り道で待ち伏せし、襲った。
彼らは彼女をひきずってカエサレオムという教会まで連れていき、そこで衣類をすべて脱がせ、タイルでもって彼女を殺害した。彼女の身体を細切れにしたあと、ぐちゃぐちゃになった四肢をキナロンという場所に運び、そこで燃やした。
このできごとは、キュリロスだけでなく、アレクサンドリア教会全体にたいへんな不名誉をもたらしてしまった。虐殺や闘争、そうした類の罪を許すことは、キリスト教の精神からはるかに遠いことだった。
この一文で救われるのは、ヒュパティアを殺害した行為を非難している点である。たとえ彼ら(キリスト教徒)にとってヒュパティアが異端(多神教徒)であろうと、最低限の信仰の自由は保障されるべきだし、いわんや殺戮が認められるはずもないという考えがこの作者にはあったようだ。
ところがこの三百年後、ニキウの司教ヨハネがおなじことを記述するとき、ヒュパティアの殺戮という行為を非難するどころか、責任者の立場にあるキュリロスを賞賛するようになっているのである。
これらの日々、アレクサンドリアにヒュパティアという名の多神教徒の女哲学者が現れた。彼女はすべての時間を魔術、アストロラーベ(天体観測儀)、楽器にあて、悪魔のような手練手管を用いて多くの人をそそのかした。アレクサンドリアの長官はすっかり彼女の虜になっていたが、それも彼女の魔術にかかっていたからである。
(……)キュリロスはそんな長官に激怒した。そしてペルノジ(ニトリア)修道院のアンモニオスという名の著名な修道士、およびその他の修道士を処刑したことにたいしても怒っていた。
(……)それゆえ神を信じる群衆はペテロ長官(ママ)の指導のもとに立ち上がったのである。ペテロはいまや全身全霊でイエス・キリストを信仰していた。彼らは行進して異端の女を探した。この女こそ、魔術によって町中の人々や(ローマ属領の)長官をたぶらかしていたのだ。そして女の居場所がわかると、彼らはそこへ向かい、安楽な椅子に腰かけている彼女を発見した。彼らは女に襲いかかると、彼女をひきずってカエサリオンという名の大きな教会に連れていった。
それは断食の時期のことだった。彼らは女の衣服をはぎとり、彼女が息絶えるまで市中を引きずり回した。そしてキナロンという場所に着くと、彼らは女の遺体を燃やした。そしてすべての人々は総大司教キュリロスを囲み、彼を「新しいテオピルス」と呼んだ。なぜなら町の最後の偶像崇拝の名残を破壊したからである。
キリスト教徒の群衆が類まれなる女性学者を殺害したことを賞賛しているこの文章を読み、しかもこれをキリスト教の司教が書いていることを知って、反吐が出そうになった。ヒュパティアは数学や天文学を得意とするいわば理系の天才であり(少し前にはやったリケジョだ)哲学者としてはネオ・プラトン主義者であり、おそらく偶像にはまったく興味がなかったと思われるが、頭が極度によくてキリスト教徒でないというだけで、魔女扱いされている。ヒュパティア殺害は、魔女裁判の先駆けだったのだ。男性なみの地位や機会が与えられない、男を凌駕すると魔女扱いされる、このような不幸な時代が千数百年もつづいたのである。
チャールズ・キングズリーは小説『ヒュパティア、あるいは新しい顔の古い敵』の最後のほうで、ヒュパティアが殺される場面を描いているが、それはオブラートに包まれている。残虐な場面をあえて避けようとしているかのようだ。(以下、語り手は修道士フィラモン)
遅きに失した! 待ち伏せ場所から流れ出た人の黒い波は、ああ……ヒュパティアが乗っていた馬車ごと押し流して……もう彼女の姿は見えない! 息も継がず修道士フィラモンがあとを追おうとすると、その傍らをからになった馬車を引っ張り、馬たちが狂ったように家の方向へ疾駆していった。
いかなる場所に彼らはヒュパティアを引っ張っていったのか。まさかカエサレウム? 主のあられます教会に? まさか! よりによって神の教会に引っ張っていくとは。瞬時に何百人にも膨れ上がった群衆は、押し出されて浜辺のほうへ出ると、硬石や貝殻、陶片などを手に持って振りかざしながら戻ってきた。
彼が群衆に追いついたときには、彼女は教会の階段の上の方にいたようだが、人が邪魔になってよく見えなかった。しかし彼女の衣服の切れ端が落ちていたので、あとを追うことはできた。
(……)
人ごみに押されて柱に叩きつけられ、身動きがとれなくなったフィラモンは、両手で両耳をふさいだ。それでも悲鳴が耳に入ってきた。いつになったら終わるのか。神の慈悲の名において何をしているのだろうか。ヒュパティアを八つ裂きにしているのだろうか。そうに違いない。いや、もっとひどいことをしているかもしれない。悲鳴はなおこだましていた。大きなキリスト像はなおその静かな、やりきれないといった目でフィラモンを見下ろしつづけていた。その像の上には虹の形をした飾りがあり、そこには「わたしは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない」(ヘブル13・8)と書かれていた。はたして昔のユダヤにいたイエス様とおなじなのか、フィラモンよ。それならこの連中はおなじなのか? だれの僧院なのか? 彼は両手で顔を覆い、もういっそ死んでしまいたいと思った。
すべては終わった。悲鳴は聞こえなくなり、うめき声になり、それは沈黙に変わった。どれだけここにいたのだろうか。一時間か、それとも永遠? ともかく終わったことを神に感謝。彼女のために、それとも彼らのために? いや、そういうことはなかった。ドームのなかに新しい叫び声が湧き起こってきたのである。
「キナモンへ行こう! 灰になるまで骨を燃やせ! 灰は海に撒くのだ!」
群衆はまたフィラモンを置いて移動しはじめた。
以上のように、キングズリーは残虐な直接的な描写は避け、それでいて人間業とは思えない非道な行為を表現しようとした。それから150年後、フェイス・J・ジャスティスは『アレクサンドリアのセレネ』のなかでその場面を具象的に、生々しく描こうとしている。この小説に登場するヒュパティアは若くて美しい才媛ではなく、60歳の白髪の知的な輝きを持った、それでいて意志が堅固な女性である。
町の中は暴徒化したキリスト教徒の群衆であふれかえり、「異端者」ヒュパティアを捕えようと彼女が乗っていた馬車に襲いかかる。小説の主人公であるキリスト教徒の少女セレネと兄の友人であるアントニウスはなんとかヒュパティアを救出しようと試みるが、おとなの男たちを相手にかなうわけがなかった。若い彼らが暴力を受けるさまを見て、彼女は大きな声をあげる。
「やめなさい!」ヒュパティアの威厳ある声が響き渡った。
男はセレネの喉元をつかんでいたその手をゆるめた。彼女はふるえながら立ち、息苦しそうにあえいでいた。腕はまだ押さえつけられたままだった。
「あなたたちは私のことを知っているでしょう」と群衆のひとりひとりの目をのぞきこみながら言った。群衆は浮足立ってきた。「何を求めているの? 私はあなたたちに求めるものをあげてきたつもりよ。それ以上の何が欲しいというのですか」
群衆は落ち着きを失ってざわめきはじめた。
「そこのあなたよ!」とヒュパティアはセレネの腕を押さえている男を指差した。それからアントニウスを羽がいじめしている男たちに向っても指差した。
「子供たちを放しなさい。この子たちは何の関係もないわ」
彼女は群衆に向かって抱擁するかのように両腕を広げた。
「わが同志よ、アレクサンドリアの市民のみなさま。神は見ておられます。神が私たちのおこないを見て裁きを下さるでしょう。どうか家にお戻りください。殺人や反乱によってあなたがたの魂を傷つけないようになさってください」
希望の光が見えたようにセレネは思った。アレクサンドリアでもっとも有名な修辞学者はたしかにこの獣のような群衆をおとなしくさせたのだ。
「この女の口をふさげ!」そのときペトロが大股で歩いて前に出て、ヒュパティアを指差した。「この呪術師は言葉を使ってわれわれに呪いをかけようとしているのだぞ。魔法を使ってわれらを正しい道から踏み外させようとしているのだ。神に誓って、この女の嘘を聞かないようにせよ」
セレネの胸に芽生えた希望はまたしぼみはじめた。
ヒュパティアはペテロのほうを向き、情熱のこもった声で叫んだ。
「平和の王子の名をかたって暴力を扇動しているのは、どこのだれなの? 神を冒涜するおこないをそそのかしているのはあなたね。私はただ自分と学生たちの安全を確保したいだけなのよ」
「魔女め!」ペテロの顔は憎悪にゆがんだ。「この女を縛り上げよ。われらの魂が危険にさらされる前にな」
パラボラニのひとりが馬車に乗り込み、ヒュパティアの腕を押さえこんだ。別の男が汚いボロ切れをまるめて彼女の口に突っ込んだ。群衆はそれを是認するかのようにいっせいに喝采の声をあげた。セレネはその反応に仰天したが、唸り声を出すのがせいいっぱいだった。
「教会へ行くのだ!」とペテロは叫んだ。
「そうだ、この女を神の前に立たせよう!」
「カエサリオンへ! 教会へ!」と群衆は唱和した。「魔女に死を!」
セレネの腕をつかんでいる男はそのまま手を離さずに、カエサリオンとそのまわりを囲む建物群の方向へ行進した。彼女は見慣れた通りを、悪夢のなかにいるような気がしながら歩いていった。群衆の混乱した雄叫びが彼女の耳を圧迫した。騒ぎはまるで遠い嵐のように思われた。それは聞こえるというより、心に感じられた。
ほとんどの通行人は顔をそむけて路地に消えていった。群衆に加わるのはごくわずかだった。しかし彼らは口を大きくあけて、悪魔のように遠吠えをした。セレネはすきを見て男を蹴っ飛ばしたが、逆に平手打ちをくらった。彼女はそれでも、そのうち都市の防衛隊が群衆を取り締まってくれるのではないかという淡い希望を捨てていなかった。
波止場の前を過ぎる頃にはその希望もついえてしまった。水夫の数が恐ろしいほどに膨れ上がっていたのだ。残忍な目的を持って、暴徒はカエサリオンに通じるエントランスを守護するためにそびえたつオベリスクの間を抜け、教会の域内に入っていった。セレネの心は沈んだ。教会から二度と出ることはないのではないかと恐れた。
ふたりの男に小階段を引きずりあげられると、そこは教会の建物のなかだった。祭壇の左側には黄金のロウソク立てと宝石で飾られた十字架があった。セレネは片方のサンダルをなくしてしまった。ピンクの大理石の冷たさが傷だらけの足の裏にしみた。つんと匂う白檀のお香が、血の上に集まった群衆が発するいやなにおいを打ち消していた。詰め込むだけ詰め込むかのように、人々は身廊(ネーブ)に入ってきた。群衆の邪悪な心には、もはや平和の心や聖なるものへの畏敬といったものが残る余地はなかった。
ペテロは祭壇と絹のクッションがのった司教の椅子の間に立った。彼は頭(こうべ)を垂れ、両腕を広げ、神に祈った。暴徒は静まり返った。
ヒステリックな笑い声がセレネの喉からはじき出した。すかさず右隣りのごろつきのような男の大きな手が彼女の口をふさいだ。「しっ、黙れ、魔女め」
セレネをつれてきた男は彼女をひざまずかせ、頭を押さえこみ、後ろ手をきつく締め上げた。もとの傷の痛みを忘れるほどの激痛が肩の関節に走った。彼女は目を白黒させた。セレネはばさりと垂れた髪の間からはぼんやりとしか見ることができなかったが、一瞬、彼女の左側でアントニウスがおなじように激痛に悶えている様子が視界に入った。彼の顔は真っ青で、目の上の切り傷から血があふれ出ていた。ヒュパティアは司教の椅子の前に手を縛られたまま立っていた。ほつれた髪の毛は背中に垂れ、学者が着る白い衣は肩まで脱げかけていたが、表情は平然としていた。
ペテロは祈祷を終えると、ふてぶてしい足取りでヒュパティアのほうに歩いてきた。
「すべてをお見通しの神は、われわれがこのいまわしきものを破壊するさまをご覧になっているだろう。神よ、悪魔の堕落からわれらを守りたまえ」
ヒュパティアは、セレネから直接向かいに見える、聖歌隊席を隔てる扉のほうへ引きずられていった。ふたりのパラボラニがヒュパティアの手をぐいと引っ張り、小柄な哲学者を力ずくで持ち上げた。彼女の肩がはずれてポンとはじける音がしたとき、彼女の顔は苦痛にゆがんだ。男たちは彼女を持ち上げたまま、足の指の先が床につくくらいまで下げた。
ペテロがヒュパティアの前に立った。彼が指でサインを送ると、男たちは彼女の衣を脱がせた。ぼんやりした光のなかで、彼女の白い皺だらけの肌が輝いて見えた。彼女は自分を痛めつける者をにらみつけた。
セレネははっと息をのみ、目をそらした。男は彼女のあごを上げ、恐ろしい光景のほうに向かせ、ささやいた。
「魔女よ、つぎはお前の番だ」
ペテロの隣で水夫が網の袋を持ち上げると、死んだ魚と塩水のにおいが放たれ、熱狂する群衆の麝香の香りに戦いを挑んだ。ペテロは袋の中に手を入れ、カミソリのように鋭い貝殻を取り出した。彼はヒュパティアの胸に切りつけた。肌がざくりと開き、血が噴き出て床の上に溜まった。ペテロはふたたび手を振り上げながら叫んだ。
「イエスの名において私はこの悪魔を滅ぼします!」
ヒュパティアはつぎの一撃をくらった。つぎも、そしてつぎも。ヒュパティアはペテロをにらみつけて、ずっとそらすことはなかった。刃物を持った手を振り上げるたびに彼はいっそう熱狂的になった。彼の顔は血で覆われ、血は彼の腕を伝って滴り落ちた。血はヒュパティアの足元で血だまりになった。そしてついに老女の目は焦点を失い、瞳は膜で覆われた。彼女が男の腕の中に崩れたとき、肉体はずたずたになっていた。
ペテロは吠えた。
「見よ、この魔女にどんな運命が待ち受けていたかを!」
彼に従う何人かの者が貝殻を手に取って、狂ったようにヒュパティアの遺体を切り刻んだ。彼らが残虐な行為に励む間、セレネに見えないように男たちが体で隠したのは、せめてもの情けだった。
この聖なる場所でこんな冒涜的行為が行われるとは! セレネは神の冷淡さを公正さの裁きの秤に載せた。そしてそれが神の欲していたことだと理解した。群衆がヒュパティアの遺体をばらばらに解体し、それぞれの肉片を聖人の遺物であるかのように手渡ししていくのを見たとき、セレネはつい呪いの言葉を発したが、それは群衆の雄叫びに混じって掻き消された。
だれかが「死体を燃やせ!」と叫んだ。みなが歌をうたいはじめた。
このあとさまざまな幸運が重なって、セレネは一命を落とさずに済む。興味深いのは、セレネが異教徒ではなくキリスト教徒であることだ。図書館を破壊し、天才的な学者であるヒュパティアを殺害したのはキリスト教徒の総意ではないと作者は言いたかったのかもしれない。しかし300年以上にわたって痛めつけられてきた宗教が権力を持ったとき、その反動で他の信仰を弾圧してしまった面があることは否定しきれるものではない。群衆やペテロが何度もヒュパティアやセレネを魔女呼ばわりしているが、これはだれもが中世の魔女裁判を連想しただろう。これが宗教の弱点であり、恥部なのだ。